[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【1】

唐突に毛色の違う文章で恐縮だが、久しぶりの読み物エントリである。しかも思い出話だ。自分の半生色々あったな、と思ってまとめてみたくなった訳だが、なんというか、あまり共感が得られない類の話だと思うので、書いたはいいのだが、公開についてはかなり逡巡した。

ま、大して読者がいる訳でもないサイトなので、インターネットリソースの無駄遣いを承知で公開に踏み切ることにした。



我が家はなぜか引っ越しが多い家だった。自分がこの世に生を受けてから18歳で親元から独立するまでの18年間に13回も住む所が変わっている。平均して同じ家に2年住んでいない。いかにしょっちゅう居所が変わっていたか。

親が転勤族だったとかいうのであればまだわかる。ところが親は自営業、転勤する必要がない。ではなぜかというと・・・、まぁ色々あったのだ。とにかく親が引っ越しを余儀なくされるようなイベントが何度もあって、その度に住むところを変えていたのでこんなことになった。

そんなバックグラウンドが影響したかどうか分からないが、幼少のみぎりの自分は住宅の間取りを見ることがこの上なく好きだった。幼稚園に入るころには、新聞の折り込みに挟まっている住宅広告のチェックがライフワークとなっていたし、暇さえあればチラシの裏に当時のマイフェイバリッドだった車か、間取り図を書き散らかしているような子供だった。

そういう子供だったので、引っ越しは決して嫌なイベントではなかった。とはいっても、そうなる時の親の事情は大抵後ろ向きな理由なので、家にいて不穏な空気を感じたことがなかったわけではない。
ただ、当時は親の事情を汲み取れるような歳でもないし、親もわざわざ子供に話さないので、自分にとって引っ越しは親の事情とは切り離されたイベントとして捉えており、新しい家に住めるということを単純に楽しみにしていたフシがあった。
何も置かれていない新しい間取りの家に引っ越して、そこで新しい暮らしが始まる、というワクワク感はたまらないものだった。

まぁ、そう思っていられたのは幼いころだけだったが。

高校卒業を期に親元を離れ独立した。だが、独立後も身の回りに起こった色々なイベントによって何度か引っ越し回数を重ねた。
カミさんとの結婚を機にようやく身辺が落ち着いたので、引っ越し貧乏人生から脱却することが出来たが、その時までに8回も引っ越しをしている。
独立するまでの13回を足すと、30年間で21回である。


21回も引っ越しをしていたら、中には印象深い家もある。最初はそういう家にまつわる思い出話でも書こうかなと思って書き始めたのだが、それだけじゃ面白くなかったので、その家にまつわるエピソードや起こったイベントなどをちょこちょこ入れていた。ところが、そういうエピソードを書いているうちに、次から次へと色々なエピソードが思い出され、止まらなくなってしまったw

それならいっそ、あれこれ思い出話を書き連ねたら面白いのではないかと思い至って書き上げたのがこの一連のエントリである。

そしたらまぁ、長々となってしまった。
とりあえず読み疲れないように記事を小分けにしたが、それでも文章だらけである。流石に読みづらい気がしたので、当時の住まいの間取りを起して挿絵的に掲載してみようと思った。

フリーで提供されていた間取り図作成用の3D CADアプリを駆使して図面を作ったので、今回それらを掲載した。
手間はかかったが、元々そういうのが好きな性分なので作成は存外に楽しめたw


と言うことで前置きが長いが、物語を始める前にもう一つ。
エピソードを語るにあたり、登場人物を整理しておいたほうが良いだろう。ということでまずは登場人物紹介から始めたいと思う。



◆祖母
若いころ夫(祖父)の稼業に影響され、自身も質屋を始めた。
夫の稼業の業績もよくダブルインカムであったため、暮らしぶりはかなり良かったそうだ。父(後述)も小さい時は裕福な暮らしだったんだぞ、と時折昔話をしてくれた。
ところが、番頭に金を持ち逃げされてしまい店は廃業。追い打ちをかけるように夫もよそに愛人を作って家を出てしまう。なので自分はじいちゃんの顔を知らない。

度重なる不幸に、心の救いを宗教に求めてのめり込んでしまう。いくばくか残った資産の多くをその宗教に貢いでしまい、いよいよ住む所にも事欠くようになる。
その際、知人を経由して、K林さん(後述)の家族が営んでいた下宿を紹介され、親子ともども転がり込む。そこでK林さんとも知り合いになり、後年まで共に暮らすこととなる。

自分が記憶する祖母の姿に宗教にのめりこんでいるそぶりは感じられなかった。どこかで宗教に貢いでも救われない、と気が付いたのか、はたまた財産を全て貢いだら冷遇されて目が醒めたのか。。。宗教に狂っていた、という話は祖母の死後に聞いたので、今となってはその辺のいきさつは不明。ちなみにその宗教は、このところ話題の宗教団体ではないのだが、割と多くの人が耳にしたことがある、そこそこ知名度のある団体である。話題の宗教はそのやり口の悪辣さが取り沙汰されているが、他の宗教でも、かつては同じようなことをやっていたらしい。

老後は原因不明の病により歩けなくなり、やがて寝たきりとなる。
晩年は病院で過ごし、82歳でこの世を去った。


◆父
幼少の頃はかなりのお坊ちゃまだったそうだが、祖父と祖母の人生設計の頓挫によって、その座から転がり落ちた。
多感な時期をみじめに過ごしたことが、自身の反骨精神を養うきっかけとなったようだ。
学校を卒業した後はシャカリキに働き、若いころは職場のトップセールスを達成するほどの優秀な営業マンだったと豪語する。その人脈を活かし、やがて会社を立ち上げ独立。

ところが会社を立ち上げた矢先に妻(母:後述)が失踪する。失踪の際に母が、生後間もない次男を父への腹いせとして置き去りにしていったので、会社の立ち上げという最も難しい時期に、片時も手の離せない乳児の面倒を見なければならなくなり、大いに困惑するが、幸い、昔から縁のあった女性(お袋:後述)が、その乳児の面倒見を買って出てくれたため窮地を逃れる。

だが、後にお袋からも愛想をつかされ離婚。そのため父親が片親で自分の面倒を見ることになった。

仕事の方はしばらく順調だったが、バブルの崩壊と歩調を合わせるように徐々に業績が悪化。
更に30年ほど前に生活習慣病を患い、病気と低迷する業績と格闘しながら、片親で自分を育てた。

病気の方は長患いで闘病生活を続けていた。何度も死地をさまようものの、都度生還するという強運の持ち主であったが、先日とうとう力尽きてこの世を去った。

後述するが、父は自分が知る限り3度の結婚と離婚を経験している。その理由は主に浮気を疑われてということだった。もちろん本人は潔白だと言っている。
精力的に仕事をしていたのもまた事実なので本当に無実なのかもしれないが、八方美人的なところがあるので、疑われる羽目になったのかもしれない。あるいは、本当にやらかしていたのかもしれない。
その辺は本人のみぞ知る。

ちなみに自称霊感を持っていたらしい。


◆母
父との間に3人の子を設けるが、家庭を顧みない夫(=父)に愛想を尽かして失踪。その際、長男と長女は母が連れて行ったが、生後1か月の次男だけが置き去りにされた。その次男が自分である。

本人的にやむに已まれぬ事情もあったのかもしれないが、自分目線で言えば、個人的な腹いせのためにまだ乳児である我が子を平気で捨てる人でなしである。以来今日に至るまで消息不明。もちろん兄や姉の所在も顔も分からない。
父もこの人のことは思い出したくないようで、あまり多くを語ってくれない。故に詳細も不明。

だが、経緯はどうあれ自分の生みの親である。一度くらいは話してみたいという思いもなくはない。まぁ、もはや叶わぬ望みだが。


◆お袋
K林宅にお袋の親戚が下宿していた縁で、幼いころから父とは顔見知りだったそうだ。
妻に失踪されて、置き去りの乳飲み子を抱え途方に暮れる父を見て、保母(保育士)の資格を活かして、人助けのつもりで面倒を買って出たという。
その後、父の後妻に収まり子を設ける。父、お袋、自分、弟の4人でそれなりに平和に暮らしていたが、相変わらず家庭を顧みない夫に愛想を尽かせて離婚。その際、自身の子である弟はお袋が引き取ったが、自分は父のもとに残された。以降、自分と弟は離れ離れに暮らすことになる。

自分的には物心つく前から母だったため、継母という認識はなかった。離婚後暫くして祖母からそのことを教えられるまで、この4人は血のつながった家族だと信じて疑わなかったので、心情的には母なのだが、産みの母ではなく、現時点で父との婚姻関係もないため、区別としてここでは「お袋」と表記する。


◆後妻
自分が中学生の頃に父と出会い再婚。連れ子がいた。
仕事で成功し資産を持っている人であり、経営難に苦しんでいた当時の父にとって純粋な恋愛感情のみでの入籍ではなかっただろうことは想像に難くない。

父としては、この後妻に妻として家庭を守ってもらい、かつ会社の運転資金の面倒も見てもらおう、、、などと都合のよい皮算用を企てていたフシがないでもないが、ひとかどの成功を収めるような人が、奥ゆかしく夫の3歩後ろを歩くような人間であるわけがない。
そこを読み違えたのが父の人生最大の過ちだったように思う。
とんでもない烈女であることに気付いた時には時すでに遅し。離れることもままならず、以来30年、振り回されっぱなしの人生を送る羽目になる。

お金に関する下心が見透かされたか、暫く後に籍を抜いている。ただし、経営ノウハウを持つ男手が身近にいることはメリットがあったようで、その後も内縁の妻として父と共に暮らしていた。

自分から見ると、束縛が強い上に、連れ子と扱いに露骨な差を設ける態度がどうにも受け入れ難く、折り合いは悪かった。出来るだけ近づかないようにしていたので思い出らしい思い出もない(嫌な思い出は沢山あるが)。
ここでは「後妻」と表記する。


思えば、母の元に顔も知らぬきょうだいがいて、お袋の元に弟がいる。更に後妻には連れ子がいる。即ち、自分は3人きょうだいの末っ子であり、2人きょうだいの長男であり、何ならひとりっ子でもあるということだ。
よく、長男/末っ子はだから〇〇、とか、ひとりっ子だから〇〇、などと分類されて語られることがあるが、自分の場合はどこに属するのだろう?


◆K林さん
祖母と父が転がり込んだ下宿であるK林家の長男。変わり者で、物を拾ってくることをやめられない人だった。
結婚に興味がなかったのか、変人で縁がなかったのか、生涯独身を貫く。
本来なら家督を継ぐべき立場の人間だが、そんな具合なのでK林家の方針として家督は他の兄弟に任せて、土地建物だけ与えて下宿の家賃収入で生活させるつもりだったようだ。だが、その下宿も溜め込んだガラクタで住めなくしてしまう。

下宿が使えなくなって引っ越しを余儀なくされたタイミングで、何の縁か我が家で引き取ることとなり、以来長らく我が家の居候であった。当初は祖母も含め一家で暮らしていたが、やがて祖母と共に別の家で暮らすことになる。
祖母もK林さんも独身(祖母はバツイチ)である。一つ屋根の下に暮らすうちに恋愛感情などは芽生えなかったのだろうか。芽生えなかったら一緒に過ごすことに苦痛はなかったのだろうか。昔の人なので恋愛と生活は切り分けていたのかもしれないがその辺は良く分からない。

いつもチノパンにランニング姿で過ごしていて、およそ貫禄と言うものを感じさせない人だったが、両親や祖母からは「K林先生」とか「先生」などと呼ばれていた。自分が子供の頃から「東大の助教授をやってた人」であるらしいという話は聞かされていたが、それを鵜呑みにして本人に確認したことがなかったので、本当のところは定かではない。少なくとも助教授の肩書を持つ人のそれにはとても見えなかったし、両親たちもあるいは蔑みを込めてそう呼んでいたのかもしれない。

この一連のエントリを書いている間に、本当にあの人は助教授だったのだろうか?という今更すぎる疑問が沸き上がった。もし本当に東大の助教授であったなら、こんな荒んだ家におめおめと居候するような人生を送るだろうか。そういう視点で考えてみると、助教授ではなく職員だった可能性も捨てきれないし、東京大学じゃなく東京「の」大学、という線も捨てきれない。だが、
最早本人に確認するすべはない。

が、もし助教授であったなら、論文などで何らかの痕跡を残しているのではないか。そう考えてGoogle先生に聞いてみたら、同姓同名が何件かヒットした。割とベタな名前なので、教授もいれば、研究室の助手もいる。いつ頃勤めていたのかも分からないので、結局絞り切れなかった。まぁ、ここは親の話を信じるしかなさそうだ。

それはさておき、ガラクタを拾って家にため込む癖は、再三注意しても直らず閉口させられた。
そんな折、K林家の親族の勧めで件の下宿を取り壊して新たにアパートを建てることになり、その完成をきっかけに、我が家を追い出されてしまった。

色々と残念な人ではあったが、周りから何を言われても感情を荒立てるということがなかった。子供である自分に対しても偉ぶることはなく、ことあるごとによく褒めてくれる人だったので、時々話が通じなくてやきもきさせられること以外はいい人という印象だった。
もう長いこと会っていないので消息は不明だが、ご存命だろうか。



さて、相変わらず前振りが長いが、登場人物の紹介はこの辺にしよう。
次のエントリから、幼少期に暮らしていた家と、そこでの思い出エピソードをつらつらと書き連ねて行きたい。
思い出エピソードと言ってもふんわり、ほんわかしたものは出てこないぞ。誰も期待していないかw

ちなみに、この一連のエピソードは一部フィクションも交えていることを予めお断りしておく。なのでファンタジーとして読んで頂ければ幸いである。

Posted by gen_charly