[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【2】

【Episode 1 – 誕生~5歳】

まずは、幼稚園に入園する前までに住んでいた家とそれにまつわる思い出を語ってみようと思う。と言ってもまだ物心がつくかつかないかの時期なので、家はまだ興味の対象ではなかったし、記憶も鮮明ではない。伝聞によるところが多く深くは語れないので、ここはさらっと進めたい。



部屋番号01 - 千葉県松戸市某所

生家である。当時はアパート暮らしだったそうだ。

松戸で生まれたことは話に聞いていたが、具体的にどこに住んでいたかは父も既に記憶にないようだった。まぁ、思い出したくないのかもしれない。

それで、長いこと自分の生誕の地については不明だったが、数年前家財を整理していたら自分の母子手帳が出てきた。とっくに散逸しているものと思っていただけに、驚きもひとしおだった。

パラパラとめくると、母とそのあとを引き継いだお袋による、自分の成長記録が残されていた。案外ちゃんとやっていたんだな。

で、その住所欄に目が止まった。その母子手帳がちゃんと機能していた最後に住んでいた家の住所が書かれているのだが、よく見ると住所を記載した紙を上から貼り付けている。そしてその裏映りで何らかの住所が見える。。。おぼろげに見えているその文字(裏映りだから反転している)文字を何とか読み解いたら、松戸の家の住所だった。

早速ネットで検索してみたら、今もその住所は存在していた。

それから暫くして現地を訪ねてみたが、既にそこはアパートではなく店舗になっていた。その家でどんな暮らしぶりだったかは今となっては分からないが、まぁ、ロクでもなかったのだと思う。



部屋番号02 - 東京都北区某所
部屋番号03 - 東京都足立区某所

いずれも物心つく前に住んでいた場所なので、記憶はない。父によると02.は妻の失踪があったため、緊急避難的に引っ越した場所らしい。

また、03.については02.が緊急避難過ぎて住環境の悪い場所だったので、改めて引っ越した家だということだ。

詳細不明なので、省略。



部屋番号04 - 神奈川県川崎市某所

自分の中で記憶が残っている一番最初の家である。2~3歳ごろに住んでいたようだ。

窓の柵に太ももが挟まって抜けなくなったりとか、使用中のこたつの電源コードをハサミで切断してしこたま怒られたことなど、おぼろげながらも具体的な思い出が残っているのもこの物件である。

東急田園都市線の某駅の近辺と言う情報以外に具体的な情報がなく、父も忘れてしまったと言っていたので、思い出の中だけの物件になっていたが、ここも母子手帳の発見によって住所が特定された。

数年前に尋ねてみたら建物は現存していた。自分が所持している当時の写真のイメージを今も残していて、懐かしさがこみあげてきた。

アパート名が特定できたので、ネットでアパート名で検索してみたら、数年前に我が家が住んでいた部屋の空き家募集があったようで、間取りや写真が掲載されていた。それを見て、自分の曖昧な記憶の中だけに残っていた風景が、いくつかはっきりと蘇えるという、面白い体験をすることができた。


物心がつくのに合わせて、自分が興味を持ったものが、冒頭にも書いた家の間取りと車だった。

車については、散歩の度にお袋に近所の駐車場に停まっている車の名前を全部読んでもらうことを日課にしていたので、その頃発売されていた車の名前は大体覚えていた。当然、近所の車ばかりを見ていたので、レーシングカーやトラックなどは興味の対象外だった。お袋からは、英語が読めないのに車のエンブレムの英語を読まされて大変だった、と未だに言われる。

そして間取りである。同居していた祖母やK林さんは、自分が知っていることを話せばすごいねと褒め、絵を書けば上手ですねと褒め、間取りをチラシの裏に書けば将来は東大ですね(なんで?)と褒められる。そんな具合に事あるごとに褒めてくれたので、有頂天になって何度も書いているうちに、基礎的な能力が身に着いたようである。



部屋番号05 - 埼玉県坂戸市某所

04.の家にいた頃に弟が生まれ家族が4人になった。祖母+K林さんが同居していたので、3DKの部屋に都合6人が暮らす状態となり、流石に窮屈に感じたのだろう(K林さんが余計なものを拾ってくるせいで更に可住面積が減ったから、ということもあり・・・)、引っ越しすることになった。引っ越した先は、遠く離れた埼玉県坂戸市の団地。なぜ、縁もゆかりもない遠く離れた場所を住処としてチョイスしたのかは不明である。

とはいえ、団地もあまり広い間取りの部屋はないので、2軒借りて我々一家と祖母+K林さんで別れて暮らすことになった。

0501

我々一家の住まいは2DKの部屋。祖母たちが暮らした部屋は改めて紹介する。お袋は保母の資格を活かして近所の子供を預かっていたので、家はいつも賑やかだった。

この部屋は父曰く幽霊の出る部屋だったらしい。住んでいる間しょっちゅう霊障に悩まされたという。

自分には一切霊感が備わっていないので、そう言った経験は一切なかったが、果たしてどのようなものだったのだろうか。

それで困惑していたところ、知人から駅前に新築マンションが出来上がって分譲しているという話を聞きつけ、逃げ出すようにそこへと引っ越すことになった。


というわけで、この家には1年ほどしか暮らしていない。

当時の自分は好きモノの本領をいかんなく発揮して、この部屋の間取りをそらで紙に書くことができた。もちろん当時の自己評価なので、そのつもりになっていただけかもしれないが。

今でもある程度は覚えているのだが、間違って記憶している部分もあるかもしれないと思い、裏取りしてみることにした。

三つ子の魂何とか、ではないが、住所は未だに諳んじて言える。住所で検索したら、同じ部屋の間取りを見つけることが出来た。記憶していた間取りと大きく違わなかったが、細かいところは少し記憶違いをしていた。上記間取り図は、ネットから拾ってきた図面をもとに書き起したものである。

しかし、そんなニッチな三つ子魂など、普段発揮する場面がない。そこに自分の貴重な脳のリソースを使っていると思うと手放しでは喜べないw(この記事を書く上では非常に役立ったが。。。)

住んでいる期間も短く、これと言って特徴のある部屋でもなかったのだが、何故かよく印象に残っている部屋であった。

Posted by gen_charly