[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【10】

部屋番号09 - 埼玉県坂戸市某所(その4)

不登校、というかサボり癖がひどくなった自分を叩き直すため、再び父に引き取られることになった訳だが、今度は都内ではなく、近所に別の部屋を借りてそこで暮らすことになった。それは、転校を回避するためと、引き続き祖母の介助が必要だったからである。

引っ越してからも、祖母の家には介助のために毎日顔を出していたが、その頃にはほぼ寝たきり状態になっていた。
祖母は我慢強い人だったので、困ったことがあってもなかなか言ってこない。なので、こちらが頻繁に様子を見に行く必要があった。自宅から1,2分の距離とはいえ、ちょこちょこ見に行かなければならないのはなかなか大変だった。


K林さんは件のアパートも完成してそちらで過ごすことが増えてきて、坂戸にいる時間が減っていた。このまま来なくなってしまったら、いよいよ自分しか面倒を見られる人がいない。

そうした状況については、時折父にも伝えていたのだが、それから暫く経って祖母を入院させると言ってきた。
子供が介護にリソースを取られることで、これ以上学業を疎かにすることは罷りならない、という理由だったようだ。


で、残されたK林さん。父としては、これまでK林さん自身の居場所がないことに理解を示し、祖母の世話をお願いすることで居候でいることを許容していたのだが、何度注意しても部屋を散らかすような人に敷居を跨がれることはずっと我慢し続けてきた。だが、もう居場所が確保できているんだし、祖母の面倒見もなくなったのだから、さっさと出ていって欲しい、という態度を取っていた。

一方のK林さんは、アパートで過ごしている日がだんだんと増えてきてはいたが、何の用事か分からないが時々坂戸に戻ってくることもあった。

坂戸に戻ってくると、また祖母の家に何やら持ち込んで、気が付くとだんだんゴミが増えていく。父はそれが我慢ならなくて、追い出そうとするのだが、のらりくらりと躱されてしまう。


そこで父が取った対策は、07.で借りていた部屋に移動して貰うことだった。その理由は、本人から聞いたわけではないが、とにかく祖母の家から離れさせてしまえば、わざわざ坂戸に足を運ぶ意味がなくなり、そのうち来なくなるだろう、と考えたのではないかと思う。

特に反対することもなく、K林さんは07.の家に引っ越していった。だがそこはK林さんである。ナメてもらっては困ると言わんばかりに、あまり戻って来ていないはずなのに、気が付くとその部屋の中がガラクタだらけになっていた。
それで近隣から苦情が出るようになってしまい、とうとう父が激怒。07.の家のカギを取り上げて、K林さんは出禁となった。


住人が居なくなった祖母の家だが、例によってすぐに解約することなく、暫くの間そのまま借り続けていた。
半年ほどして父がこの部屋をオフィスとして使うと言い出し、部屋の片づけと整備に駆り出された。

祖母は入院中ではあったが、入院先は医療付き老人ホームみたいな病院で、もう退院させるつもりはないという。
なので、部屋にあった祖母の私物はあらかた処分してしまった。整理なんてしない。それはもう盛大に捨てていく。もう少し早く言ってくれれば、自分で整理なりなんなりしたかったのだが、思い立ったが吉日の父としては待てないという。処分されていく様を眺めている事しかできなかった。


思えば、祖母も父もそういうヒストリーには無頓着な人だった。人間関係も含め、なんでも簡単に切り捨てる。まぁ、良く言えば断捨離が上手すぎるのかもしれないが、どうしてこういうモノや繋がりを大事にしない家系なのだろうと恨めしく思うこともある。。。
そのせいで自分の先祖や親戚、生みの親や兄弟の顔すら知ることが出来なくなってしまったのだ。

まぁ、過ぎたことは言っても詮無いのでこの辺にするが。


一日かけてあらかた片付けて、部屋の中はすっかりドンガラになった。ドンガラになったら意外に広い部屋であることに気が付いた。と同時に、我が家が05.の家から引っ越してきたばかりの頃、祖母に自転車を買って貰った時のことを思い出した。
買ってもらった自転車がある日の夕方くらいに配送されてきた。自分としては今それに乗ってみたくて仕方ないのだが、流石に外へ行くのはダメだと言われた。多分、両親が外出していたかなんかで、祖母の家に預けられていたのだと思うが、祖母は当時既に人並みに歩くことができなくなっていたので、暗くなりつつある外で自転車なんか乗られたら見失いかねないと恐れたのだろう。

それでも乗りたいと何度もダダをこねたら、引っ越してきたばかりでまだ何も置かれていない和室でその自転車に乗ることを許可された。
買って貰ったのは子供用の自転車で、ハンドルに付いているボタンを押すと、ハンドルのセンターに付いたパーツがキラキラと光りながらブザー音が鳴るようになっていた。

雨戸も閉められてうす暗くなった部屋で、イルミネーションをキラキラと輝かせながら、グルグルと部屋の中を周回したことを今でも覚えている。祖母は優しいからNoと言わなかったのだと思うが、部屋で自転車に乗られるの、嫌だっただろうな。。。


話を戻す。祖母の荷物をあらかた処分してから数日後、学校から帰ってきたら、自宅1Fの共同ポストの前で白髪の爺さんが地べたに腰を下ろして、書類がごちゃごちゃ入った鞄をなにやらごそごそとやっている。こんなところで地べたに座ってけったいな爺さんだな、と思いながら近づいたらK林さんだった。

こんなところで何をしているのか、と声をかけると、父に用事があってきた、という。
父はK林さんを追い出した時に、金輪際顔を見せるな、と憤怒の形相で怒鳴り散らしていた。それを目の前で見ていたので、流石に今父に会わせたら修羅場になるのが目に見えている。絶対に会わせる訳にはいかないと思って、とっさに父は出張に行っていて帰ってこない、と嘘をついた。


だが、K林さんは引き下がらず、帰るに帰れないから助けてくれないか、といわれた。東京の新居で早速揉め事でも起したのだろうか。
とはいえ家に上げる訳にはいかない。父が帰って鉢合わせになったらK林さんが地獄を見ることになる。そこで、祖母の家に匿うことにした。
祖母の家は前述のとおり家財一式無くなって完全な空き家になっている。もちろん布団すらない。それでも良いか、と確認したらそれでいいと言うことだったので、K林さんにはその部屋で一夜を明かしてもらうことになった。
何かと思い出もあったであろうに。がらんどうの部屋でK林さんは何を思ったのだろうか。

翌朝、通学の前に立ち寄ったらK林さんは既にいなかった。そして、それ以降K林さんが坂戸に来ることはなかった。


さて、ドンガラになった部屋、次はオフィスとして使うための整備である。父は什器を入れる前に部屋の塗装をしたいと言い出して、ホームセンターで各々好きな色のペンキを購入した。それを2日くらいかけて部屋中塗りたくった。
いや、借家である。普通に考えて借り物を勝手にいじるのはNGである。父はそういう面での善悪の判断ができない人だった。自分も父が言うなら、と深く考えずに付き合ってしまったので同罪だが。。。正直家を塗装するのは楽しかった。


その後1年くらいオフィスとして使っていたようだが、所詮不便な場所である。だんだん使い道がなくなり、やがて解約したようだ。
細かい話は聞かなかったが、退去時に担当者を愕然とさせたらしい。その後大目玉を食らったという。そりゃそうだろう。
原状回復にいくらかかったのだろうか。。。
今思い返してもこの一件は、父がどうかしていたとしか思えない。

Posted by gen_charly