[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【11】
部屋番号10 - 埼玉県坂戸市某所(その1)
学校に行かない自分を見かねた祖母の訴えにより、再び父の監視下に置かれることになった。父が新たに借りた部屋は祖母の家から100mも離れていない場所にある別の棟だった。
これと言って特徴のない団地スタイルではあるが、一か所何とも言えない特徴的な場所があった。
下図の玄関のタタキの上に扇形の開放線があるのが見えるだろうか。その南側には和室1がある。和室1の引き戸は135cm幅2枚、という特殊なサイズになっているのだが、この状態でふすまを開放すると、玄関から部屋の中があらかた見えてしまう。
それを防ぐための衝立がここに格納されているのだ。
ただ、ふすまなんだから全開放する必要はなく、使う幅だけ開け閉めしてれば済む話で、わざわざ可動式の衝立を設置しなければならない理由としては弱い気がする。そう考えると、何のために付いているのかイマイチ分からないシロモノだった。
その棟には中学校の同級生が何人か住んでいた。2軒隣と上階に友達が住んでいることは引っ越す前から知っていたのだが、反対隣に同学年の女の子が住んでいることは引っ越してきて初めて知った。多感な年頃だったので、なんとなく気まずかった。もっとも、お隣さん同士だからと言って、学校で交流していたわけでもないのでアニメやドラマみたいな展開が起こるわけもなく、殆どお隣を意識することはなかったけど。
一方、2軒隣の部屋に住んでいたのがI田という同級生であった。彼は国鉄の通勤形車両が大好きな鉄道ファンで、小学生の頃からつるんであちこち近所に撮影に出かけたりしていた。
I田は家庭の方針がそうだったのか自由気ままな男だった。自分も中学生になって少しずつ大人の世界を意識し始めていた時期だったので、一足早く大人っぽくなっていたI田が羨ましかった。中学生になってからはI田は鉄道の事を口にすることは少なくなり、自分も撮影の対象がやや変わってきたこともあったので、鉄道でつるむことは殆どなかったが、いかんせんご近所さんなのでちょっと暇があれば集まって、結果夜遊びが増えてしまった。
父との共同生活ではあるが、当時の父は会社の新たな事業ドメインを立ち上げるため頻繁に海外に出張していたので、月に10日くらいは家を空けていた。なので、父の不在タイミングはベストオブ夜遊びタイミング。I田と同様に仲良くしていた、同じく自由気ままなY代がそのたびに家に来て入り浸っていた。
と言ってもつるんで繁華街に出かけるとかそういう訳ではない。そもそも近所に繁華街なんかない。店はみんな夜7時に閉まる。
やったことと言えば、夜中に自転車に乗ってあてもなくブラブラと走り回ったり、家でひたすらビデオやテレビを見たり、漫画本を持ってきて読みふけったりと言った程度のものなので、まぁまぁ健全だったと思うんだけど。
この街で暮らすようになって4年が過ぎ、だいぶ自分の居場所が出来てきたせいか、自分と友達やクラスメイトとの距離感みたいなものを意識することが増えてきた。
交友関係が広がってきたせいか、学校へ行く楽しさみたいなものがだんだんと分かってきて、やがて不登校は治った。相変わらず家ではほとんど勉強しなかったが、学校の授業をちゃんと聞いているだけで、低調だった成績も中の中くらいまで戻すことが出来た。
数学と英語だけは挫折したままだったが。。。
そうした中で、なんとなく自分の立ち位置みたいなものが見えるようになってきて、日々の生活も安定してきた。
ところがそんな矢先、人生何度目かの転機が訪れる。