[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【12】
部屋番号10 - 埼玉県坂戸市某所(その2)
中学3年の夏、父から近所のファミレスに呼び出された。行って見ると父の隣に見知らぬ女性。今、彼女とステディなお付き合いをしているとかなんとか、再婚を考えているとかなんとか、そんな話をされたが、中二病というか、世の中を斜に構えて冷めた目で見るのがカッコいいみたいに思っていた時期だったので、好きにすれば、的な返答をしたと思う。
それで父の新たな妻になったのが、弊サイト内で後妻と呼ぶ人である。
件の新規事業開拓はあまりうまく行かなかったらしい。一方、従来の事業の方もあまりうまくいっておらず、厳しい経営が続いていた。
そんなさなか、父が糖尿病にり患していることが判明した。体調が目に見えて悪化し、これまでのようにモーレツサラリーマン(給与所得者じゃないからサラリーマンじゃないか)、という訳にもいかなくなってしまった。
という話は、つい最近父から聞いた話だ。父は、伊達男にあこがれていたのか、やせ我慢をする人だったので、糖尿病を発症してからも自分の前では体調の悪さや、金回りの悪さを口にすることはなかったので、そんな風に不安を感じながらの生活を送っていたとはつゆ知らずであった。
そんな状況下での後妻との出会いである。自分が父なら神様が自分を救ってくれた、と考えてもおかしくない。実際そう思っていたような気がする。
節度ある人生を送ってきた人なら、子供が一番多感なこの時期に再婚とかそういう話をするのは神経を使うと思う。
だが、父にとっては千載一隅のチャンス、これをうまくまとめれば、倅と共にバラ色の日々が待っている筈だから、絶対にモノにする、という固い決意があったのではないだろうか。
自分が「難しい年ごろ」じゃなくてよかったね、と言ってあげたい。
だが、その皮算用が、のちに辛酸を舐め続ける日々の始まりであることを当時誰も予想できなかった。
後妻にも連れ子がいた。自分と同い年の女の子である。
物心ついてこのかた男兄弟しかいなかったせいか、女の子はどうにも苦手で、クラスでもあんまり女の友達はいなかったのだが、そんなウブな少年の元に、突如年頃の娘がやってきて、これから兄弟として暮らすというのだ。
急に家族の一員になって一緒に暮らすという、思春期男子にとってあこがれMAXのシチュエーションに、期待がなかったかと言えばウソになるが、それよりも、どうやって仲良くして行ったらよいのか、という不安の方がはるかに大きかった。
生まれた月が自分の方が早かったので、自分が兄、連れ子が妹、とそれぞれ役回りを決めたが、同い年である。兄貴面する訳にもいかず、かと言って甘えることもできない。距離の取り方が難しい。そのうえ人物紹介でも触れたとおり、後妻はどうしようもない烈女であり、そしてその娘である。やっぱりどこかまともではない子だった。
自分の未熟さも否めないが、結局あまりうまく立ち回れなかった。
入籍後、その娘を連れて後妻が我が家に転がり込んできたので、部屋の割り当てを決めることになった。
これまで、キッチン横の和室2はリビングで、玄関入ってすぐの和室1が父の部屋、北側の4.5畳の和室3が自分の部屋だったが、2人が同居するにあたり、父と後妻が和室1、自分と妹が和室3、ということになった。ちょっと待て。
年頃の男の子と女の子が一つの部屋で過ごす異常事態。妹は強く反発するものとばかり思っていたが、意外にも表立って反対しなかった。
この決定には正直困惑した。部屋には女の子には見られたくないものもある。もちろん、越えてはならぬ一線があることは心得ていたので、無双する心配はなかったが、とはいえ正直に言えば、なにかボーナスステージがあるのではないかという邪な期待が無いでもなかった。
当の妹が反対しなかったので、こちらもあまり強く反発は出来ず、結果としてそのフォーメーションを受け入れることになった。
部屋のハンガーに女子の制服が吊るされている光景は、今まで男兄弟しか経験していない自分にとってなかなか目が慣れないものだった。
最初はものすごく気を使った。だが、暫く共に過ごすうちに、妹が自分がイメージしていた女の子像とは違うことに気が付いて、やがてそんなモヤモヤした気分もなくなっていった。
というか、後妻親子が我が家にやってくる前に住んでいた家は、購入してまだ日の浅い建売の一軒家であった。そんないい所に住んでいるのに、何でわざわざ狭苦しい我が家に転がり込んできたのか、理解に苦しんだ。
というか、誰も表立って言わなかっただけで、多分後妻以外の全員の頭に?が付いていた気がする。人口密度が上がった3DKの部屋で色々難しい4人が暮らすのは窮屈に過ぎる。誰からともなく不満が漏れ始め、結局数か月後にその後妻の家に引っ越すことになった。
当時は後妻がどんな人間かなど知る由もなかったので、一軒家に移り住めるという事実に心は浮足立った。
ただ、一つだけ気がかりだったのが、その家が隣町にあるということだった。
隣町に引っ越すとなれば、学校をどうするかという話になる。当時中学3年の2学期である。進路選択が微妙な時期だし、学校生活もまぁまぁうまく行っていただけに、このタイミングで転校は正直言って辛い。隣町と言っても通えない距離ではなかったので、できればそこから通わせてもらいたい、と学校と相談してみたら、越境通学という手続きがあることを教えてくれた。その手続きをしておけば、通えるなら他の自治体から通うこともできるそうだ。
そのおかげでどうにか転校は回避できた。その分、家は早く出なければならなかったのが少し辛かったが。