[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【16】
部屋番号13 - 埼玉県坂戸市某所(その1)
ということで、再び家移りすることになった。今度は父がいざとなったら逃げこむシェルターを兼ねる必要があったので、いくらか広い部屋を探すことになった。
家賃の上限は10万円とのことだ。この辺だったら贅沢を言わなければ、その金額で築年古めの3DKの一軒家が借りられる。親と2人暮らしをする訳なので、建物の新しさよりできるだけ広い家を探したいところだ。
そういう条件で探して見つけたのが4LDKの一軒家だった。家賃は8万円。値段の割に広さも充分、建物は若干古かったがお互いのプライバシーを侵害することなく同居ができそうだ、ということでそこを借りることになった。
契約のために大家さんの自宅を訪ねたら、05.に住んでいた頃に通っていた小学校の同級生の家だった。まさか店子になるとは。。。w
間取りはこんな感じ。これを見てピンと来た人は相当なセキスイマニアであるw
外観はこんな感じ。中途半端な切り取り方で恐縮だが、建物が映り込んでいる写真が残っていた。
それはさておき、なかなかショッキングな外観である。この建物はセキスイハイムのM1と呼ばれている。
詳細はリンク先を見ていただきたいが、高度経済成長期に住宅需要が一気に高まり、在来工法の職人が枯渇してしまった。その旺盛な住宅需要に応えるためにセキスイが開発したのが、工場であらかじめ建具などを組付けた建物をトラックで運んで現地で組み立てる、ユニット工法と呼ばれる工法であった。
このM1はそのユニット工法によって作り出された最初のモデルということだ。
在来工法に比べて大量生産が可能で、安価で短納期であることから、デビュー当時はそこそこヒットしたらしい。
まぁ、見ての通り在来工法と較べると家らしさはない。好き嫌いの別れそうな建物である。
構造上の無駄を省いた近未来感あふれるスタイルは、当時のインテリ層あたりに好まれそうなデザインではあると思うが、壁面に抑揚がなく、天井が低いうえに屋根がない、というあたり、どうしても工事現場のプレハブを想起してしまい安普請に見えてしまう。
ただ、部屋の中に入ると案外モダンである。写真には残していないので3D図面からのスキャンであるが、ダイニングキッチン部分を切り抜いてみた。ごらんの通り床面にはリノリューム張りとパンチカーペットを組み合わせており、モダンなデザインの階段も今でいう所のリビングイン階段になっている。
この階段の3DモデルはSketchUpというサイトから拝借してきた。そこのサイトには多種多様な家具、建具がおびただしい数掲載されているのだが、このような特徴のある階段で、かつ同じ段数、折り返しのモデルはなかなか見つからなかった。そこにアップロードされているデータはプロ・アマを問わない全世界の製作者が自主的に製作したものなので、大量生産されている器具や建具以外、あるかないかは運しだいなのだ。
あればラッキーくらいのつもりで、2時間ぐらいライブラリをさまよってようやく見つけた。良く作ろうと思った人がいたものだw
それはさておき、リビングはかようにモダンな作りとなっていたが、それぞれの居室はちょっと違和感があった。部屋が妙に長いのだ。
和室というと、在来工法の畳は180cm x 90cmという寸法が一般的だ。これを6枚、4:3の比率で並べると、360cm x 270cmになる。これが標準的な6畳間のサイズである(押入を短辺側に作れば450cm x 270cm)。
対してM1のユニットは240cm x 560cmというサイズで設計されている。これは工場で完成したユニットをトラックで現場に運ぶにあたり、寸法を道路交通法に定められた制限内に収める必要があったためだそうだ。
そのせいで在来工法に比べて長辺は広く、短辺は狭いという、横長ワイドな比率になってしまった。
そのうえ、天井高も一般的な在来工法と比べると20cmほど低くなっていて、これらが相まって部屋の中にいるとすごく横長に感るのだ。
少しでも横長感を押さえるためか、床の間(というか板の間か)の奥行きがだいぶ大きく取られるなど、工夫の痕跡があるが、従来の日本家屋で目が慣れているので、どうにも違和感が拭えなかった。
更に言うと、日本で家具も尺モジュールを基準に寸法が決まっているものが多いので、普通に家具を配置すると見た目以上に狭く感じてしまう、という問題もあった。
ちなみに、理由は不明だが、各ユニットの妻面から20cmほど、幅が更に10cmほど狭まっている。
その狭まったところに押入や作り付けの棚、キッチンなどを配置して、うまくデッドスペースを出さないように工夫されているが、なんか誰得な感じである。
なお、4.5畳の部屋は押入がなく、収納は棚のみとなっている。布団を敷く部屋じゃないから押入はいらないでしょ、という設計のようだ。
我々の基準で言えば、住人が2人だけなのでそれに不満を感じることはなかったが、物持ちの人だとちょっと心もとない気がする。
こうして考えると、ユニット寸法の制限をデメリットとしないために様々なこじつけでごまかしているような感じがしなくもない。
少しマニアックな話になってきたので、建物の話はこのくらいにしよう。
上述のとおり、父のシェルターにするという思惑があって選んだ部屋だが、現時点ではまだ合流しないそうだ。ということで引っ越し後数か月の間はそこに1人で暮らしていた。建物の程度はともかく4LDKの戸建てに高校生が1人暮らしである。これまたなかなかないシチュエーションだ。日当たりも申し分なく風通しもよくなって、12.の部屋からすれば生活の快適さは段違いだった。
で、数か月後、父が転がり込んできた。逃げ場があると人間強気になるものである。家を探し始めたころは、出るかもしれない、と言っていたが、もはや既定路線だったのだろう。
そうして久しぶりに父との2人暮らしに戻った。2人で4LDKなので窮屈さは全くなく、程よいプライバシー感もあったので快適さが損われることもなかった。
が、それから数か月後、悪夢再び。。。
ある日学校から帰ってくると、すでに帰宅していた父の横に例の後妻が座っている。ナンデココニイルノ?
聞いてもいないのに、突如父が失踪したので残留物を調べたら、この家の住所が書かれた紙を見つけて訪ねてきた、と言われた。
オヤジ、何やってるんだよ。。。
父は憮然とした顔でもうあの家に戻るつもりはない!と後妻にきっぱり言い切ったが、そこは烈女の烈女たるところ、数日後には川越の家を引き払って妹を連れて転がり込んできた。なぜそうなる。。。
家を引き払ってきた、と言われては、父も無碍に追い出すわけにいかなくなってしまった。不承不承同居を承知して再び4人暮らしが始まった。
自分としては天国から地獄に突き落とされた気分だが、自分で稼いでいるわけではないので、父が動かなければその状況に甘んじるしかない。我慢して12.のアパートから動かなければよかった、と後悔するも後の祭り。
高校を卒業したら速やかに独立することを心に誓い、雌伏の時を過ごした。
自分の家ではなかったせいか、はたまたボロ家だったからか、川越の家にいた時のような潔癖さは要求されなかった。
潔癖と言うよりは、汚されて資産価値が下がるのが嫌だったんだな。