[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【19】

部屋番号13 - 埼玉県坂戸市某所(その4)

そして高校3年になる。
進路を考えなければならない時期だ。自分の通っていた高校は職業学科だったので、進学を目指す人はあまりいなかった。ほとんどの人は地元企業へ就職するか、専門学校への進学を選択していた。親は行くなら六大学に行ってくれ、なんて言っているが、自分が大学へ進学できるような優秀な頭脳を持ち合わせていないことは知っている筈、要は金がないから大学は諦めろ、と言っている訳だ。もちろん、家計が専門学校へ通わせるほどの余裕を持っていないことくらい自分も流石に分かっていたので、はなから進学するつもりはなかった。


一方で求人票はもっぱら地元の工場の事務みたいな仕事ばかりで、折角身に着けたITスキルが活かせる求人はなかった。
楽器の演奏を趣味としていたこともあり、どうせならIT業界か音楽業界で働きたいと思ったが、埼玉の片田舎の高校にそんな求人票が入るわけもない。

そんなわけで就職先も決められずにいた。なぜか進路指導も淡白なもので、どこも決まっていない、と言っても「そっか」くらいしか言われない。なので、切羽詰まる感じもなかった。


当時は、とあるゲーム会社(他の記事も読んで頂けてる人にはバレバレだが)の音楽が好きで、プログラマとしても音楽担当としても活躍できそうなそういう所で働きたいなと漠然と思っていた。でもそういう会社へどうやってアプローチしたらよいか分からない。物は試しにあるゲーム会社に電話をしてみたら、自分で作ったプログラムか、作曲した曲を何曲か送ってください、という回答だった。そりゃそうなるわな。

いやいや、そういう最初からプロフェッショナルな人材を求められても困る。最初は掃除夫とかメシスタントをやらせてもらいながら、仕事を憶えていくようなやつ、あるでしょ?そういうのがいいんですが。。。

学校ではプログラミング言語はCOBOLしか習っていない。COBOLでゲームのプログラムは作れない(こともないだろうがわざわざやる意味がないし、需要もない)。音楽だって何ら体系的に学んだわけではない。


いきなり業界に入れないのなら少し勉強するか、と考えて、親に1年くらい勉強させてくれ、と相談してみた。
流石に反対されるかな、と思ったが、意外にもそれならやってみろ、という回答だった。ただし、全く無職はかっこ悪いから、バイトでも何でもいいから少しは自分で金を稼いでくれ、というのが条件だった。我が家の家計を考えれば、そう言われるのも無理からぬ話である。

で、アルバイトを探すことにしたわけだが、コミュ力に自信がなかったので、対面の仕事は出来る気がしない。それにITのスキルは学校で少ないながらも身に着けてきた訳だから、それを活かした仕事の方がいいに決まってる。ということで、アルバイト情報誌を買ってきてそんな仕事がないかパラパラめくっていたら、表計算ソフトの入力などができる人募集、という会社を見つけた。これだ!と思って早速連絡すると、一度面談したいから来て欲しいと言われた。


向かった先は都内某所の小さなマンションの一室。アルバイトだと思ったその会社は派遣会社だった。18歳の小僧が仕事を探しに来たと聞いて、担当は面食らっていたが、仕事は探してもらえることになった。
それで紹介された仕事は汎用機のオペレーターの仕事だった。学校でACOSと言うNECの汎用機は見たことがあったので、頑張れば自分でもやれそうな気がする。ただし、その職場の所在地は千葉県の津田沼。うーん。。。

その仕事の話は以降のエピソードで改めて触れたい。


そんなわけで、アルバイト(というか派遣)で禄を食むフリーターの道を進むことになったので、高校の手続き上は就職浪人という、なんだか不出来な結果になってしまったが、いずれにしても収入のアテは出来た。これで魑魅魍魎が渦巻くこの家ともオサラバ。よし独立だ。

流石に働き始める前で引っ越し代金を工面できるほどの貯金はなかったので、初期費用は父から借りて、高校卒業後の春休みに独立を果たした。


この家はその後1年ほどで両親も退去した。
それから15年ほど経った頃、ふとこの家がどうなったのか気になったので、地元の友達に聞いてみたら、道路になったよ、と言う。道路!?
それで現場を見てみたくなり、急遽急行したら、建物は影も形もなくなり、以前は家の手前で行きどまりだった道路が延長されて、家のあった敷地を抜けていた。そうか。あの家ももう記憶の中だけの建物なんだな。

Posted by gen_charly