[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【25】
部屋番号16 - 埼玉県川越市某所(その3)
この家に引っ越してほどなく、派遣先が変わった。15.の時期に勤めていたWindows95のコールセンターが、リリース後のフィーバーがひと段落したということで、人員整理をすることになったのだ。
営業から別の案件に行ってこい、と指令があり派遣先が変更になった。
その仕事をしていた時もまた未成年だったので、例によって営業から入場に際して経歴の口裏合わせをさせられた。中洲産業大学並みに本当にあるのかどうかすら怪しいような、長い名前の外資の証券会社にいたことにされた。流石に前の現場のように前職がその証券会社だった人はいなかったので、まんまと入場せしめた。が、この現場ではオフィス内で定期券を落としてしまうという失態をやらかしてしまった。
拾って持ってきてくれた人が目を丸くして、「自分さん、これ。。。」と、定期券の年齢の部分を指さす。
またやっちまった。今度は流石にダメだね。。。目の前に証拠があってごまかしが利く訳がない。再び神妙に未成年であることをゲロする。
が、結局ここでもお咎めなしだった。
半年での退場は、経歴詐称して入場していることがバレる前に場所を変えたかったというのもあったのだろう。バレてるけど。
新しい仕事は某家電メーカーが販売しているパソコンのコールセンターだった。
入場して1か月は、PCの簡単な基礎や、コール対応のOJTなどの研修だった。まぁ、PCの基礎知識は既に持っていたし、前の現場もコールセンターだったので、その辺の対応に不安はない。正直1か月給料付きで遊ばせてもらったようなものだった。
その職場は都内だったが、辺鄙な場所だった。通勤に時間がかかるので、職場との往復だけでくたびれてしまったが、それなりにお金貰っているし、まだ10代で気力もあったのでそれほど苦痛でもなかった。
前述のとおり、PCに関する基礎知識は既に習得していたので、クレームユーザーの対応で手を焼くことがあるのを除けば仕事は楽だった。
というのも、その職場はコールがなければ待機時間だったのである。
その職場では、検証用としてインターネットプロバイダのアカウントが共有されていて、それを使って自分の端末からインターネットへアクセスすることが出来た。まだ、アクセス監視といった概念がなく、どこに繋いでも画面を見られなければバレない、というレベルだったので、待機中はもっぱらWebサイトにアクセスして暇つぶしをしていた。
接続先は、もっぱら自分が好きなミュージシャンのファンサイトのチャットだったのだが、ある時そこでベーシスト募集の告知を見つけた。コピーバンドだけど、ただコピーするだけではなくアレンジなども手掛けているという。
既にピアノへの興味は薄れ、専らベースの演奏に主軸が移っていたが、活動らしい活動をしていなかった。自宅で趣味程度に弾き続けていたが、ずっとソロなので、そろそろ他の人とやってみたいな、と思っていたところへこの募集だったので、すぐにコンタクトを取った。
暫くして相手から返信があり、幾度かのやり取りで意気投合。そのバンドに参加することになった。
活動場所を聞くと、なんと津田沼。また津田沼か。。。しかも、練習日は決まって日曜の朝9時から、という超健康優良バンドだった。
津田沼のスタジオに朝9時までに到着するには、家を6時前に出ないと間に合わない。日曜の朝6時にベースを抱えて電車に乗る。周りはゴルフとか釣りとかハイキングとか、そういう人ばかりだ。自分のところだけが亜空間のようになっていたんじゃないだろうかw
探せばもっと近所で活動しているバンドもありそうなもので、なんで断らなかったんだろうな、という気がしなくもないが、このバンドへの参加が自分の音楽活動が形になっていくきっかけとなった。
この記事のKさんはそのバンドにいた人である。その後別の道を歩んだり意気投合したりがあったが、未だに同じバンドで活動を続けている。もう、四半世紀のお付き合いか。。。