[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【27】
【Episode 6 – 22歳~26歳】
ついに念願の東京進出である。その後の生活は概ね順調に推移し、自分の人生もようやく軌道に乗り始めたかに思えたが、再び厄介ごとに巻き込まれてしまった。
部屋番号17 - 東京都世田谷区某所
前のエントリでも触れたが、当時の勤務先は交通費が自腹だった。定期代と家賃を足すと7万6千円。その範囲で収まってくれれば、川越に居る理由がない。とはいえ、都内でその金額で定期代と家賃が賄えるだろうか。
便利な場所は流石に高望みと思ったが、ラッキーがあるかもしれない。まずは烏山界隈で探しはじめた。烏山からの定期代は1万円ちょっと。となると6万5千円前後が上限となる。
その金額で借りられる部屋もないこともなかったが、それらはバス利用だったり、極端に狭かったりと、流石に条件が悪すぎた。
と言うことで、少し金額を足して7万円までとし、駅も前後数駅の範囲まで広げて探してみることにした。
すると、同じ京王線の下高井戸駅から徒歩2分、という物件を見つけた。アパートの1Fで、間取りは7.5畳の洋室とキッチン、ユニットバス。築年数は20年くらい。
意外なことに烏山より都心に近い駅の最寄りであり、そして文句の付け所がないほどの駅近である。
部屋や間取りは取り立てて特徴ないが、広さも妥協できるレベルだったので、その物件で即決した。
部屋はフローリングになっているが、壁などの作りが和室風で、以前は和室だった部屋をリフォームしたようだ。窓の前に隣戸が建っているので、日当たりはあまりよくなかったが、角部屋だったので風通しは思ったよりは悪くなかった。
日当たりが悪いと言っても、12.のアパートほどではない。一般的な1階住戸のそれだ。
家賃は7万1千円ということで、予算からは若干はみ出してしまったが、メリットを考えれば許容範囲だ。部屋は狭くなったが、16.の家は引き続き父が使うことになっていたので、いらないものは置いてきた。なので広さは必要にして充分。
なにより、駅近であることがうれしかった。派遣の仕事はいつ何時勤務地が変わるか分からない。その点下高井戸は京王線で新宿まで10分なので申し分ない。
東急世田谷線も通っているので東急線方面にもアクセスしやすいし、更に一つとなりの明大前へも歩いて10分くらいで行くことができ、明大前は井の頭線が通っているので渋谷とか吉祥寺方向へも出やすい。
おまけに京王線は数年前に運賃の値下げを実施しており、定期代が自腹の自分にとってお財布にも優しい路線だった。
まさに死角なし、である。
ついに東京進出したんだな、と喜びをかみしめる。
前の家にいたころに運転免許を取得し、ほどなく車を買ったが、都区内で駐車場を借りる予算は確保できなかったので、車は前の家の近所で借りていた駐車場に残してきた。車を使う時はいちいち川越まで取りに行かなければならないので面倒と言えば面倒なのだが、まだ免許を取ったばかりで年中乗り回すということをあまり考えていなかったのと、自宅周辺の道が甲州街道以外はほぼ細街路なので、当時の自分の技量では上手に運転できる気がしなかったので、マストで必要でなかったからと言うのもある。
欲しいものは基本的に車が無くても揃ったので、車がなくてもあまり困らなかったが、たまに大きな荷物を運ぶために車が必要になる時もある。そういう時は覚悟を決めて車を持ってきたが、最初のうちは、行き帰りだけでへとへとだった。でも不思議なもので、何度かチャレンジするうちに慣れてしまった。慣れるってすごいね。
駅周辺は賑やかだった。と言っても繁華街のそれではない。駅前には烏山よりは小規模だが、商店街や市場があって散策して飽きない。川越にいたころは何かしたければ、自転車を漕がなければどこへも行けなかったので、そこから考えると歩いてコンビニに行ける、というだけで天国である。
近所にはファミレスやカレー屋なども軒を連ねていて、自炊が面倒な時はそういう店にも足を運んだ。川越にいた当時はファミレスの普段使いなんて考えられなかったが、今はそれが出来る。大人になったなぁと感じた瞬間だった。
街の風景として気に入っていたのが世田谷線だった。世田谷線は都内の鉄道路線にしては珍しく路面電車のような電車が走っている。当時は昭和の忘れ形見のような無骨な電車がゴトゴトいいながら走っていて、それを眺めているだけで至福だった。
この家での生活は、まぁ平和だった。都内に出てきたせいか両親からの干渉もほぼなくなった。
通勤も楽だし、立地の割に治安も良い。部屋もご近所さんも平凡そのもの。大きな不満もなく暮らしていたが、1階の日当たりの悪さだけはいかんともし難かった。
2年住んで更新の時期がやってきた。今の家賃と同額でもっと快適な住み心地の部屋が有れば引っ越したいな、という思いもなくもなかったが、あまりお金もなかったので、そのまま更新するつもりだった。だが、近所の不動産を冷やかしていたら、見つけてしまったのだ。良い部屋を。
半ば勢いでその部屋を契約し、この家は退去することとなった。見ない方がよかったかなw
余談だが(余談ばかりだが)、家を借りるときには、大抵敷金と礼金というものを納める。当時関東ではそれぞれ家賃の2か月分というのが一般的だった。礼金はその名のとおり、貸してくれてありがとう、というお礼の金(と言われても首肯できないが)なので全て貸主の取り分となるが、敷金は保証金のようなものなので、本来退去時には必要経費を引いて残りは返金しなくてはならないことになっている。
自分が入居中に汚してしまったり壊してしまったものは責任をもって修理・交換しなければならないが、借主が自分で業者を手配して直すのは手間なので、大抵退去後に貸主が直す。その修繕にかかった費用が敷金から充当されるわけだが、これが曲者で、貸主が費用を水増ししたり、あるいは徴収しておいて直さずに着服したり、という不正が起こりがちな部分でもある。
借主は修理の相場が分からないので、違和感を感じつつも泣き寝入り、と言うこともよくあるらしい。
この家の敷金は1か月分だった。つまり7万1千円を超える修理が発生したら追加費用を請求されることになる。
それは知っていたので、家はきれいに使っていた。借りているものを返す時は、きれいにしてから返しなさい、というお袋の教育の賜物により、退去時も水回りから何からきっちり清掃してから退去した。
とはいえ、消毒や壁紙交換くらいはやるだろうから、追加費用が出なければいいや、くらいのつもりでいたら、4万円くらい返金された。あんたいい人や~