[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【30】
部屋番号18 - 東京都世田谷区某所(その3)
・・・だけどそんなハッピーライフは長続きしないのが世の理である。そして、壊しに来るのはまたしても親なんだなー。
まぁ、壊しに来た、と言ったらちょっとかわいそうではあるのだが。
職場が変わってほどなく、父が倒れた。脳梗塞である。
幸いにして、大きな後遺症もなく、1カ月ほどの入院で退院してきた父だったが、リハビリに専念する間もなく更なる災難に見舞われる。
16.のエントリで登場した父の弟、彼もまた自身で会社を経営していたのだが、経営状態が芳しくなかったらしく、商工ローンのようなところで調達した資金を踏み倒して消息を絶ってしまった。で、父がそのローンの連帯保証人になっていたので、父の元へ督促が届いてそのことが発覚した。
夜逃げしたなど寝耳に水。何も聞かされていない父にとって、まさに青天の霹靂。とはいえ、父自身が既にお金を稼げる状態ではなく、連帯保証人に名を連ねてあったからといって、とても肩代わりできる状態ではなかった。弟もそれを狙ったフシがあったような気がするが。
父は恐らく、いざとなったら後妻の資産をアテにしようと思っていたようなのだが、残念ながら思うような展開にはならなかった。
何の相談もなく勝手に連帯保証人になっていたという事実に後妻が激怒。下された判定は、自分で責任を取りなさい、であった。自分で責任を取る、と言うのは即ち自己破産である。
自己破産と言っても、自身に資産や定期的な収入があれば、そこから返済をしなければならないので通常は認められない。だが、幸か不幸か、父には資産らしい資産は何もなかった。そのうえ、脳梗塞で退院してきたばかりなので働ける見通しも立たない、となれば返済はほぼ不可能である。であれば却下される可能性はほぼない。後妻にしてみたら肩代わりする必要がないのだから、あとは自己責任でヨロシク、ということである。
父にとって、自分が自己破産者になるという事実は受け入れがたいものであったようだが、身から出た錆である。今回ばかりは後妻の助けを借りられないので、やむなく破産手続きを進めることになった。
とはいっても、自分一人で手続きをするのは容易ではないので、弁護士の助けを借りることにした。その費用だけは後妻が出してくれたようだ。
なぜか、父から呼び出されて自分も一緒にその弁護士のところへ話を聞きに行った。まぁ、そうそうあるイベントではないので、社会勉強をさせようと思ったのかもしれない。
弁護士に現状を伝えた結果、恐らく問題なく手続きは可能でしょう、という回答を得た。
ただし、どんなものでも資産(法律上の資産に該当するもの)があればそれは差し押さえとなります、とのこと。
上で父には資産らしい資産がない、と書いたが、一つだけあった。それは車である。俺のな。
なぜそういう風にしていたのか今となっては記憶がないが、車のローンを組むにあたり父の名義でローンを組んで、代金は自分が父の口座へ振り込んでいた。つまり、父の資産である。
まさか自分に流れ弾が飛んでくるとは思わなかった。一応、実体として自分は支払っているものなので、どうにかならないか、と相談はしてみたが、厳しいと思います、と言う回答だった。
既に10年落ちの車なので売ってもいくらにもならない。資産価値はほぼゼロである。そんなもの持って行ってどうするのかと思ったが、手続きに一切の例外はなく、差し押さえとなってしまった。
そんな中で不幸中の幸いだったのは、父が病気の前まで乗っていた車が手元に残ったことである。
父の車は、退院後に運転させるのは危険だということで、後妻が売却を考えていたのだが、それなら自分が使いたいと言って譲り受けたのだ。そっちはちゃんと名義変更を済ませていたので、差し押さえの対象とはならなかった。もし譲渡の手続きをモタモタやってたら両方とも差し押さえられるところだった。。。
そういう訳で、流れ弾は飛んできたのだが、被害は軽微に済んだ。
そもそも、なぜStepWGNを手に入れたのにRVRを手放さなかったのかというと、父から自身の体力が回復したら後妻に内緒で使いたいので取っておいてくれ、と頼まれたからだった。
あと3か月ほどでローンが終わる予定だったので、元手かからずで自身が乗るのに丁度良いと思ったのだろう。結果的には取り上げられてしまったが。
そんなこんながあり、弁護士の協力により種々の手続きが粛々と進められ、無事?自己破産状態となった。
父としてはこれほど不名誉なこともなかっただろうと思うが、自分としてはとても良い勉強をさせてもらった気がする。
自分がそうなることはまっぴらご免だが、いざという時の役には立ってくれるだろう。
その後の父は気落ちするでもなく回復は順調で、数か月後には日常生活においてはほぼ支障がない状態まで回復していた。それ自体は喜ばしいことだったが、回復したら昭和の頑固おやじな性格まで回復してしまったらしい。いきおい後妻との諍いも増えて、挙句、家出リターンズである。何度目だ?
ただ、話を聞くと、今回は今までのプチ家出とは訳が違うようである。
「後妻とケンカばかりで毎日ストレスだ。医者からもストレスを貯めるのが一番よくないと言われている。このままではまた病気が悪化してしまいそうだから、もう離れたい。戻る気もないので面倒を見てくれないか。」
正直、そういうことに協力して、これまでに何度となく振り回されているので、父の秘匿については乗り気ではなかった。父がいなくなったとなれば後妻から問い合わせがある。父のことを内緒にしたままやり取りするのは気が重い。できれば後妻とうまくヨリを戻して平和にやって欲しいところだが、今のストレスフルな毎日はそれを許さないようだ。
病気の回復期であり、そうしたストレスが再度の病状悪化につながる可能性もあるというのだから、一時冷却期間を設けるべきなのかもしれない。ということで、今後の面倒見るかどうかはともかく、ひとまず匿って様子を見ることにした。
数日後に父が転がり込んできた。と言っても今の住まいは6畳一間の1Kである。常に顔が見える状態は流石に息が詰まるので、せめて視線くらいは遮れるようにと、家具の配置を工夫して簡易的な間仕切りを作った。
その状態で数日を過ごしたが、数年に渡って一人暮らしを満喫してきた身にとって、間仕切りなど焼け石に水だった。視界に入らなくても仕切り越しに人の気配があるだけで、それが実の父親であってもどうにも落ち着かない。
数日程度で頭を冷やして実家に戻ってくれることを期待していたが、父の決心は思いのほか固く、完全に居座る気でいるようだ。
プライベートが確保できない空間が、これほどまでに窮屈だとは思わなかった。これから本気で父の面倒を見ていくことを考えたら、この部屋に暮らし続けるのはどう考えても無理。
ということで、やむを得ず引っ越しをすることになった。
折角理想の地を手に入れたのに、ここはわずか1年半ほどで退去となってしまった。