[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【33】

部屋番号19 - 東京都調布市某所(その3)

父は久々の都内暮らしである。とはいえいつホームシックにかかって懐かしの我が家に戻ると言い出すか分からないので、以前都内に暮らしていた頃にやり残したことや、やっておきたいことがあったらやってしまおう、と提案した。もちろんホームシックの話はしていないが。
いくつかアイディアが上がった中で先祖の墓参りに行くことになった。


むかし祖母が生きていた頃に、K林さんの家の近所に我が家の先祖が眠るお墓があるという話を聞いたことがあった。だが、もう長いこと誰も行っていないので今どうなっているのかは不明らしい。祖母がそんな風に言うくらいだから、恐らくそこに収められている人は自分とは面識のない人だろうが、とはいえ自分の先祖である。あまり蔑ろにするのもなんだか気分が悪い。

そんな話を父にしたところ、父もお墓の場所は知っているらしいのだが、住所や寺の名前までは分からないという。
じゃあ、一緒に行こうよ、と話したら、あまり墓参に乗り気ではないとのこと。


というのも、実は我が家にはこれまで墓参りと言う習慣がなかったせいだ。宗教的な理由とかではなく、父も祖母も祖先の供養に興味がなくて、単に行かなかっただけの話なのだが。
なにせ、親戚付き合いすらしないものだから、自分は祖母が亡くなるまで冠婚葬祭にすら参列したことがなかった。

父としては今更のこのこ行っても、という気持ちなのだろう。だが、もし再び埼玉に戻ってしまったら二度とそのお墓の場所が分からなくなる懸念がある。自分の先祖であるというのなら、これからは自分がそれなりに供養していかなければならない訳で、そうなる前に場所くらいは確認させてほしい、と言って、乗り気でない父を半ば無理やり連れ出した。


父も相当長いことそのお墓には行っていないということだったが、おぼろげな記憶を頼りに墓地の中を進んでいったら、我が家の名字が刻まれた墓石があった。ようやく見つけたそれは随分と小ぢんまりとしたもので、自分が想像していたものとは全然違うものだった。
父が幼い頃は相当裕福であったと聞くし、しかもここは都心からほど近い場所なので、もっと立派なものがデンと鎮座しているという先入観があったのだ。

それだけに、そのあまりに小さな墓石を見て、こんな小さなお墓に先祖代々が眠っているのだろうか、と首をかしげてしまった。どう考えても骨壺がいくつも入りそうな大きさではない。
父に本当に合ってるの?と念押ししたが、ここで合っているという。そこに長いことあり続けたであろうことは、風化して角が丸くなった墓石をみれば一目瞭然で、それだけ昔からあるのであれば間違えようがない気もする。


よく見ると墓石の後ろに真新しい卒塔婆が立っている。ということは誰かが欠かさず墓参してくれていたのだろうか。誰かといっても心当たりは1人しかいないが。

長いこと不義理?をし続けてしまったので、お寺の人にも一言挨拶くらいはしておいた方がいいだろう、ということで、お寺の戸を叩く。中から出てきた住職に招き入れられ不義理の事情を話した。
だが、住職は我が家の事情は汲んでくれなかった。あからさまに不機嫌な態度でとうとうと説教された。卒塔婆の件を聞くとやはりK林さんが定期的にお参りしてくれていたらしい。そっか。まだご存命か。とりあえすそれが知れただけでも収穫である。


住職との会話には取り付く島もなかったので、また連絡します、と言い残して寺を後にした。住職の態度に父もすっかり不機嫌である。しょうがないじゃん、罰当たりなことをしていたんだから住職の言うことも一理あるよ、と思っていたが、その車中、改めてどういうご先祖がいるのかと聞いてみたら、ご先祖と言ってもあまり近しくない親類なので父もよく分からない、と言っていた。なのでもう行かないと拗ねてしまった。というかそれ先に言ってよ。。。

とりあえず、このお墓に眠っているのが遠戚だということが改めて分かった訳だが、少なくともお墓の様子を見る限りそのご先祖の子孫にあたるであろう人たちも、既に長いこと墓参はしていないようである。


何だろう、一族郎党そういう気風なのだろうか。
遠戚であるなら自分があれこれ言っても詮無い話だが、誰からもお参りして貰えないのもなんだか不憫である。K林さんもそう遠くない時期にお参りに来れなくなる日が来るだろう。そうなったら自分が面倒を見るしかないのか。
なんか、どうにも見ず知らずの一族の不始末の尻拭いをさせられているような気がしないでもないが、なんにせよあまり蔑ろにしていいことはないようにも思う。どうにかして自分くらいはちゃんとお参りを続けたいと思うが。。。


それはさておき、後妻と距離を置いた生活が良い効果をもたらしているのか、父の回復は思った以上に早かった。引っ越してきて2か月後には短時間のアルバイトを見つけて働きに出るようになった。

だが、日々元気を取り戻す父の姿に希望を見出しながらの慎ましい暮らしは、半年ほど経った頃から様子が変わってきた。もしかしたらこれも病気の後遺症なのかもしれないが、自分の考えに固執して、ことさら頑固な態度を取ることが増えてきた。実家でこんな風にしていたら、後妻が自分だったとしても諍いが絶えなかったような気がする。

ちょっとした会話がきっかけで口論に発展する。病気の回復期だから、ストレスをかけないよう広い心で接しようと心がけてはいたが、それを死守していたら自分がつぶれてしまいそうだ。


この時期は、仕事の方でもストレスを抱えていた。18.の家から自転車で通えた現場は前年の年末で終了となり、当時は別の案件先に常駐していたのだが、自分のチームに属するプロパーが乱暴な人で、殴られることこそなかったが、年中暴言を吐かれるし、気に入らないことがあると胸ぐらをつかまれたり、座っている椅子を蹴られたり、と言った具合で、良好な関係を築くことが出来ずにいた。

仕事でストレスがたまり、帰宅すればこっちでもストレス。。。だんだんと父との生活に煩わしさを感じるようになってきた。
そこを我慢しつつ更に数か月ほど過ごしたが、ちょっと流石にもうダメかも、と音を上げる寸前、父から後妻とヨリを戻したから実家に戻る、と言われた。あんたらはなんでそう人を振り回すのか。。。


どうせ実家に戻ってもすぐに口論して、また音を上げるのが目に見えている。なので引き止めた方がいいかな、とも思ったが、まぁ、こっちにいても口論続きであることには違いないし、だったら実家に帰ってもらっても大して違わないかもしれない。何より、これ以上ストレスフルな生活を続ける自信がない。結局出ていく父を止めることはしなかった。

もう、ストレスがどうとか言っても匿わないからな。


数日後、宣言どおり父は家を出て行った。
結局、想定どおりの結果となり、再び一人暮らしに戻った訳だが、そうなるともはやこの家に住み続ける意味がなくなってしまう。
このまま家賃を払い続けても苦しくなる一方なので、早々に退去することにした。結局この家にいたのは1年に満たなかった。なんか、間取りとかどうでもよくなってきたw

そう言えば、この年は厄年だったな。。。

Posted by gen_charly