[読み物-05]親父、旅立つ【7】

切断手術:


手術の決定から1週間後、ついにその日が来た。手術を行う病院は別の病院なので転院することになった。
自分は手術を行う病院へ向かい、父が移送されてくるのを待った。

やがて父が乗った介護タクシーが到着。降ろされた父は車椅子に腰掛けていたが顔色が随分と良くなっていた。前回の面会が最後の面会となる覚悟もしていただけに、こうしてもう一度会って話ができるのことがうれしかった。

最初に現在の体調のチェックを行うらしくその準備ができるまで待合室で待機となった。顔色は前回面会した時と較べたら随分と良くなっていたし会話も当時と比べたらまともにできるようになっていた。と言っても夏ごろのような表情の明るさはなく会話もたどたどしかった。痛み止めのせいで頭がしっかり回転していない感じだった。

病院は混雑していてかなりの時間待たされた。いつもならもどかしくなるところだが、そのあいだ父とじっくり会話することが出来たので今回ばかりは有難かった。


それから診察を済ませ入院手続きを行う。その後主治医の先生に話を聞いた。
足の壊死が見つかった当初からこちらの病院でも診察を受けていたらしく、開口一番ずっと手術を勧めてきたんですけどねぇと言われた。やっぱりそうだったか。

それから足全体を覆っていたガーゼが外され、その足に目が釘付けになった。いつの間にか足の甲のあたりまでが全て真っ黒に変色している。それだけ壊死が進行したということだ。

2か月ほど前にガーゼを交換した時は人差し指は壊死していたものの、そのほかは中指が少し変色している程度でこのくらいならもしかしたら温存も可能なのかなとも思ったが、その足を見てもはや温存なんて無理だと一瞬で理解した。これほどまでに進行してしまうとは。。。

その足を見ながら、この状況で手術の判断をしないなんてありえないんですけどね、と今朝方まで入院していた病院への不満を漏らしていた。あまり仲が良くないのだろうか。患者の意向を大切にしているといえばそういうことなんだろうが、必要な治療を患者に選択させるのはやっぱりちょっと違う気がする。

反対の足のつま先も壊死が始まっていた。この分だとこちらも数か月後には同じような状態になってしまうのだろう。日に日に足が黒く変色していく様を目の当たりにしながら、その間ずっと強い痛みに襲われ続けるなんて想像しただけでゾッとする。父の忍耐強さに感心する。


壊死がつま先だけだったら、かかとを残して切断(かかとを残せば義足なしで立てる可能性が残る)ということも検討できたが、ここまで進行したらひざ下から切断する以外に方法がないという。

現状体力があまりないので切断後の予後は何とも言えないそうだ。切断した個所から感染症にかかったり(特に傷口がひざ下なので、ベッドに横たわって膝を立てると傷口が布団などにこすれやすくなる)、切断面から新たに壊死が始まったりする可能性もそれぞれ3割くらいはあるということだ。

もしそうなってしまったら、今度は太ももから切断をしなければならなくなるという。もちろん今壊死が進み始めている反対の足も同様だ。


なんか夢も希望もない話をされているような気がして気が滅入った。そうやって少しずつ体を切り刻まれることなど想像したくもない。

今回の手術で傷口が塞がって退院できるまで最低3か月、そこから日々リハビリに励んで日常生活をこなせるようになるまで半年や1年かかる。でもそれは最短コースだ。恐らく今の体調ではもっと時間がかかるような気がする。また仮に退院できたとしても自立歩行が出来るようになるまでの回復はいくら不死身の父といえど流石に難しそうだ。たぶん良くて車いす生活がせいぜいだろう。

もちろん車いす生活でも家で平穏な日々を過ごせるならまだ救いがある。それどころか退院すらできないまま再度手術なんてことになる可能性が十分あり得るという話なのだ。

手術の目的は壊死の進行を食い止めることはもちろんだが、毎日の耐えがたい足の痛みから解放されるためでもある。切断した傷口が癒えるまでの数か月間の苦痛は、それ以降の安楽な生活を取り戻すための通過儀礼として受け入れようと判断しているのである。にもかかわらず手術の傷も癒えぬうちに新たな切断を余儀なくされたら結局苦痛が延々と続くこととなり、それでは切断を決意した意味がなくなってしまう。これは死ぬことよりもマシなことなのだろうか。


手術後の展開があまり明るくないのに一縷の奇跡にすがって何度も苦痛を味わわせることが、果たして本当に父のためになるのだろうか、と思った。その一方でこれまでも予後が期待できない、と言われる中でその一縷の奇跡をつかみ取ってきたから今があるわけで、その奇跡の芽を自分たちが摘み取ってしまってよいのだろうかとも考えた。

医師から今決めることではないですがそういうケースになった場合にどうするかは考慮ください、と言われた。最終的にどうするかは父の判断を最優先にしたいが、もしそういう判断ができないような状態だったら、延命のためだけの治療は不要ですと伝えた。


それから手術開始まで待合室で待機となった。父は病室へ移動して入院の準備と各種チェックを受けていた。もちろん自分が寄り添える余地はない。

待っている時に看護師がやってきて切断した足をどうするか聞かれた。どうするかとはどういうことか、と返すと、人によっては自身の体なのでお墓に入れたいと希望する人がいるらしく確認しているとのこと。引き取り希望がないなら病院の方で処分するそうだ。

切断後の足をどうするかなんて全く想定していなかった。もちろん身内の誰しもがそんなこと考えていないので誰もがこの場での回答に窮したと思う。仮にお墓に入れるのなら火葬のことを考えなければならないうえ、寺と話さなければならないがそれらの話がまとまるまで保存しておくことも出来ない。
結局病院での処分をお願いした。なんか罪悪感を感じた。


手術の予定は朝イチであったが、別の患者と順番が変わり午後からとなった。午後になり更に待機していたらまた別の患者の手術と順番が変わってしまい、結局手術開始は夕方になってしまった。

その間病院から離れることが出来ずもどかしかったが、何より父自身が今日で自分の足がなくなってしまう、という現実と延々向き合うこととなってしまい精神的にしんどかったのではないかと思う。


夕方、とうとう手術の時間となり病室から父が運び出されてきた。
頑張って戻ってこいと伝え手術室に入って行くのを見送った。ベッドの上で手を掲げているのが見えた。そのくらいには意識がはっきりしている。何かを考える力がまだ残っているのだ。自分らの下した判断が父の希望に添った物か、後で聞かされた時に絶望を突きつけるようなことを言ってしまったのではないか、と少し不安になった。


手術は1時間ばかりで終わった。全身麻酔での手術だったので手術室から出てきた父はまだ目を覚ましていなかった。医師が布団をめくって包帯でぐるぐる巻きにされた足を見せた。そこにある筈の足はなくひざ下でぶっつりと途切れている。本当に切られてしまったんだなと複雑な心境でそれを見た。

その傍らで手術は成功したこと、手術の際に殆ど出血がなく既にひざ下への血流が殆どなくなっていることなどが簡単に報告され、そのまま病室へと運ばれていった。


混濁:


手術は終わって自分は帰宅するよりほかなくなった。後のことを先生にお願いして病院を後にしたが、帰宅してからと言うもの意識を回復したのかとか、どんな様子で過ごしているのかなど、病院と話す機会が殆どないので状況が分からない。ここ最近はどこの病院でもそんな感じである。1人1人の患者の様子をいちいち毎日のように報告する余裕がないことは理解できるが、なんとももどかしい。


数日後、後妻から連絡があった。父の意識が戻ったと病院から連絡があり、父の携帯に電話を掛けたのだが電話には出るものの会話が全然かみ合わないので、認知症になってしまったのではないかと動揺していた。

こちらも父の容体は気になっていたところなのですぐに電話を掛けてみた。父は数コールで電話に出た。声はいつもの感じだが確かにちょっと様子がおかしい。なんと言っているのか活舌が悪くて聞き取りづらい。それを伝えると、ちょっと待ってと言って何かをし始めた。

暫く待ったが一向に電話口に戻ってこない。水を飲んでいるのか、入れ歯を入れようとしているのか分からないがそれにしては時間がかかりすぎている。電話越しにどうした?と何度か問いかけたら、ちょっとかけ直すと言って電話を切られてしまった。

それで折り返しを待ったのだが一向にかかってこない。看護師が訪ねてきたりしているのだろうかと思って1時間くらい待ってから再びコールを入れたがもう電話に出なくなってしまった。父の身に何が起こっているのか不安が募るがどうすることも出来ない。病院にいるのだから緊急事態ではないと思うが。

唯一会話らしい会話ができたのは傷口の具合で、痛みはそれほどないが傷口にかさぶたができてこないのでなかなか塞がらないと言っていた。手術の時も殆ど出血がなかったと聞いているので確かにかさぶたが出来づらいのかもしれない。

かさぶたが出来ないと傷口が塞がらないので、入院が相当長期にわたるのではないかと思った。入院が長期に及ぶと認知症の心配が出てくる。既に電話口での会話が殆ど成立しなかった。これが痛み止めによるものであれば痛みの消失と共に認知状態も正常に戻ると思うが、認知症になってしまったらこの先ずっとあの調子になるかもしれない。

そんな状態で退院してきても、もはやこれまでの父ではなくなってしまう。父の方も無事生還してまた自宅で過ごせる喜びを噛みしめられないかもしれない。そんな得も言われぬ不安を感じた。

それから何度か電話を掛けたが父が電話に出ることはなかった。

Posted by gen_charly