日常ふと暫くあっていない友人のことを思い出す事があると、
「アイツ、今ごろどうしているのかな~」
「もしかして有名人になってたりして・・・」
っていう風に思ったりしてネットで検索をかけてみたりするのですが、先日何気に検索をかけたら出てきたブログがここでした。
ともぞうはドラムをやっていて、原付の結婚式の二次会の時のハウスバンド的演奏コーナーに出てもらったのですが、まさかと思って過去ログを読んでいくと、なんと、その時の話がエントリーされてて二度驚きました。
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原付は高校時代からT-SQUAREというフュージョンバンドが好きで、このバンドが毎年年末に六本木PIT-INNというライブハウス(今はなくなっちゃったのかな?)で年越しライブを行うのですが、ファンクラブでもなかなか当たらないこのチケットの残席分が12月の頭くらいになると先着順で発売される為、外れた人はこの時に並ぶのが恒例行事となっていました。
しかし、12月の頭といったら既に冬本番。そこへ徹夜で並ばなくてはならないので、みんなそれなりに防寒対策をして順番待ちに望みます。
原付は1年目にほぼ手ぶらの状態でここに並んで大いに懲りた為、2年目は毛布と、この寒空の中一人でいるのは余りにも辛すぎるので話し相手として買収した友人同行の上で望んだわけですが、毛布1枚くらいでは全然寒さをしのげず、当時ハマッていた麻雀のありえない役の話などをして寒さを紛らわせていました。
「ダンボールでもあれば多少は寒さがしのげるんだけどなぁ。。。」
と、どちらともなく口には出すものの埼玉の田舎育ちの原付は一人で夜の六本木の街中をうろうろすることなどできず、さりとて友人と一緒に探しに行っては順番から外れてしまうので、結局どちらもダンボールを探しに行こうとはせず毛布にくるまってがたがたと震えてまんじりともせず夜明けを待っているだけでした。
「良かったらダンボールあまったので使いますか?」
夜中の2時か3時を回った頃だったと思うのですが、声のした方を見上げるとそれまで原付の後ろに並んでいたダッフルコートに身を包んだいかにも高校生!という雰囲気の少年少女(って書くとオヤジ臭いなぁ。。。(笑))がダンボールをもって立っていました。
割と人見知りな方の原付は、
「高校生ってみんな突っ張ってるからヤなんだよな~」
なんて印象で後ろに並んでいた彼らを見ていたのですが、なんでも、寒いからダンボールを探しに行って、余ったのでおすそ分けをしたいと言うのです。
「まだ高校生も捨てたものじゃないな~(って、この時、原付もまだ20歳くらいなんですけど。。。(爆)」
なんて思って、戸惑いながらもそのダンボールをありがたく受け取りました。
(その時は彼らが神様に見えましたよ^^;)
でも正直高校生と何を話してよいのやら、スクエアのことばかり話してマニアっぽい人だと思われても困るしなぁ。。。
なんて思いつつ、一言、二言と彼らと話し始めたのですが、その中で割とシャイな感じで佇んでいたのがともぞうでした。
話を聞くと彼らは部活でブラスバンドをやっている仲間で、部活でスクエアの曲をやる事があって、それでスクエアを聞くようになったとの事です。
原付の通っていた高校では管弦楽部はあるものの、フュージョンを演奏する事などはなく、周りにもフュージョンなどというジャンル自体を知らない人ばかり。原付のようなフュージョンファンは非常に肩身の狭い思いをしていたので、そんな環境があることがとてもうらやましく思えました。
お互い音楽をやっている人間同士なら話が早い!
それから話に花が咲き、寒い夜も気にならないくらいで朝を迎え、無事チケットを受け取った頃にはいずれどこかでセッションでもやろう!という話まで決まってしまいました。
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それから暫くしていよいよセッションをやる為にスタジオに入る日がやってきました。
ともぞうがドラムをやっている事は既に聞いていたのですが、スクエアのドラム、則竹さんの演奏というのは非常に小難しい所があって、原付の狭い交友関係の中でまともに聞けるドラムをたたく人はいなかったので、素人に出来る物ではないのだろうと、正直、お遊びのつもりで出かけたのでした。
しかし、スタジオに入り彼のプレイを聞いてみてびっくり!
素人には叩けないものだと思っていた16ビートをさらりと叩きこなして、ちょっとしたフィルなんかも飛び出してきます。
(補足:あくまで当時の原付の印象です。余り誉めると怒られるので。。。^^;)
スタジオから出て雑談などをしている時、
「あの時になぜ他の人じゃなくて原付にダンボールを持ってきてくれたの?」
と質問すると、原付と友人が麻雀の話をしているのを聞いていたともぞうが「話に加わりて~!」と言いながら悶々としていて、ダンボールを取りに行ったら余ったので、これを声をかけるきっかけにしたと言う話を教えて貰い、納得しました。
その後何度か二人でセッションのような事をやったりしていましたが、原付はついにバンドに加入する事になりました。その時は別の人がドラムを叩いていたのですが、たまたま脱退する事になり、原付は迷わずともぞうを推薦し、ついにバンド形態で一緒にやる事ができるようになったのでした。
まぁ、そのバンドではあるメンバーと原付が仲違いをしてしまい、まもなくして原付が脱退してしまうのですが。。。
それから付かず離れずな感じで推移していくのですが、原付はプロを目指す事を諦め、ともぞうはフュージョン以外のジャンルに進んでいく事になるのでした。たまに風の便りでいまはどこそこのバンドに参加している、なんて話を聞きつつ。。。
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そして原付が結婚することになり、式の場ではライブを絶対にやりたいと思っていて、ドラムは可能ならともぞうに頼みたいと思っていました。
駄目もとで。。。ぐらいの気持ちで連絡すると「僕でよければ」と二つ返事で引き受けてくれる事になったのでした!
その中で絶対演奏したかった曲が原付が今までで唯一作曲した曲、ここのサイトのタイトルにもなっている「Search in MyMother」でした。
この曲はドラムパターンを作る時に「ともぞうなら叩けるだろう」というパターンで作っていて、多分割と小難しいパターンだと思うのですが、やっと本人に叩いてもらうチャンスに恵まれたわけです。
これまで参加していたバンドで他のドラムの人にやってもらった事もあるのですが、どこかしっくり来ない感じがして、いつかはともぞうに叩いて貰いたいなぁ、と思っていたのでした。
しかし、スタジオ入りして、ともぞうにデモテを聞かせると「これは人間が叩くものじゃない!」って怒られてしまいましたけど(爆)、自分なりに解釈して、それでいて原付も「それそれ!」って思えるようなパターンを作ってきたので大満足でした^^)。
ライブの方も無事に成功し、カミさんと原付(原付だけ?)のいい思い出になりました。
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今のような付かず離れずのような感じで今後もやっていくのか、それとも手の届かないような遠い所へ行ってしまうのか。。。
原付としては、そのどちらも望んでいる所であって、ジレンマでもある訳ですが、草葉の陰から暖かく見守りたいと思っているわけです。
彼は今も幾つかのバンドに参加してプロを目指して頑張っています。もしこのブログを読まれている方で、興味を持たれたら是非彼の出演するライブに足を運んでみて下さい。
原付からもよろしくお願い致しますm(__)m
P.S.結婚式のライブの後、ともぞうは客席で居眠りしていたのはここだけの秘密です(笑)