[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【9】
部屋番号09 - 埼玉県坂戸市某所(その3)
少し話は戻って。
K林さんのゴミ拾い癖だが、こればかりは何度言っても治らなかった。手が付けられなくなる前に父と近所のおじさんとで、盛大に片づけをして片っ端からガラクタを捨てる。その後、K林さんに説教をする。ところが、K林さんは、自分の物を勝手に処分されたことを怒るでもなく、片付けていただきありがとうございました。今後は気を付けるようにします。と、相変わらず低姿勢に徹している。
それで反省するかと言えば否である。それが彼の処世術なのだろう。いや、拾ってこないで欲しいのですが。
結果、3か月もすると部屋の中が元通りになってしまう。
丁度この頃、廃墟となっていた件の下宿を取り壊して、その敷地に新たにアパートを建てる計画が、K林さんの親族内で進められていた。
そのアパートの一室を広めに作って、そこにK林さんを住まわせようと考えたようである。
長男坊(K林さん)には年金が潤沢に支給され、退職金もしっかり手元に残っている。(ガラクタを拾ってくるくらいなので)無駄遣いをすることもないから資金面での不安はないが、いかんせん生活力がない。いつまでも我が家に面倒を見てもらう訳にもいかず、かといって一人にさせるわけにもいかない。さりとて、自宅に住まわせて散らかされては困る。ならば、近所の目の届くところで一人暮らしさせよう、という考えだったようだ。
取り壊しの前に一度だけその家を見に行ったことがあった。廃墟とは聞いていたがひどい状態だった。そこかしこ床が抜けた状態になっていたので、立入はさせてもらえなかったが、家財などは中に残されたままのように見えた。
だが、それらはとても1日2日で整理できるような量ではなかったので、そのまま取り壊すことになった。
祖母や父が下宿していたころの荷物なども残したままになっていたらしい。結果、写真など貴重な品々が建物もろとも廃棄されてしまった。
今だったらどうにか人を集めて整理させてくれ、と交渉するところだが、当時の自分はそこまで考え至らなかった。惜しいことをしたものである。。。
そういえば、いよいよアパートを建てる段になって、主体的に関わっていたわけでもないK林さんが、ある時期から猛烈に住宅の情報収集をするようになった。それは間取り好きの自分としても最高にワクワクするイベントだった。住宅展示場などにも足を運ぶというので、一度せがんで桜上水の住宅展示場に連れて行ってもらった。
住宅展示場の建物はどれも当時の最新技術の粋を集めた物ばかりで、しかも広くて綺麗。とても感動したことを覚えている。
見学後の帰路で乗換えする時に、電車の写真を撮りたいとせがんで、半ば強引に少し時間を貰った。で、写真を撮り終えて戻ったらK林さんがいなくなっていた。周囲をいくら探しても見つからない。このままでは自分も終電に乗り遅れてしまう。
自分があまり勝手なふるまいをするので、きっと呆れて先に帰宅したのだろうと考えて、そのまま帰宅したのだが、自宅に戻ってみるとK林さんはまだ帰ってきていないという。
こりゃ一大事ということで捜索に手を尽くすが、歩けない祖母と小学生の子供なので、夜半に外を探し回ることも出来ないし、いかんせん携帯電話もない時代なので、せいぜい伝手に電話をかけて行っていないか聞くことくらいしかできない。八方手は尽くしたが、結局所在はつかめなかった。
まんじりともせず迎えた翌日、K林さんは昼前にひょっこり帰ってきた。自分が自宅にいるのを見て、無事で本当に安心しました、と安堵していた。
自分を見失ったので夜通し探していたらしい。徹夜で寝ていないと言って程なく眠ってしまった。
心配していたつもりが、心配されていたとは微塵も思わなかっただろう。自分が事件に巻き込まれた、なんてことになったら祖母に顔向けできない。その焦りは理解できる。だが、それならどうして家に一報電話しなかったのか。
祖母も連絡してさえくれたらこんなことにはならなかったのに、と憤っていた。
そもそもは、ちゃんと同意を取らないまま、勝手に行動を乱した自分が悪いのだ。帰宅時の憔悴した顔を見たらとても申し訳ない気持ちになった。
脱線した。