[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【26】

部屋番号16 - 埼玉県川越市某所(その4)

仕事の話をもう少ししたい。
その現場は長続きして4年間在籍した。2年を過ぎたころ新サービスを立ち上げることになり、そっちのメンバーに抜擢された。
そのサービスはサービス時間が9時~21時で、早番、遅番のシフトが組まれることになった。そこで、すかさず遅番限定にしてほしい旨を申し出た。通勤に時間がかかるのでラッシュを避けたかったのだ。元々夜型人間だったので、帰宅が遅くなることは全く問題ないが、朝のラッシュで1時間以上混雑した電車に揺られるのは耐え難いものがあり、ダメもとで申し出てみたのだが、了承を貰うことが出来た。おかげで通勤は楽になった。


通勤が楽になっただけではない。思わぬ副産物も生みだした。自動車運転免許の取得である。
昔から車が好きだったので、18歳になったらすぐに免許を取るつもりだったのだが、高校在学中は就職が決まった人以外は免許の取得が禁止されていたので、就職浪人を選択した自分は卒業するまで教習所に通うことが出来なかった。

そのくせ、卒業してすぐにフルタイムで仕事をすることになってしまったので、合宿でという訳にもいかない。
となれば、通いで取得するしかないのだが、そうなると業務後か休日しか時間が作れない。だが、休日や夕方以降は混雑して枠が取りづらいという話を聞いていたので、ずっと重い腰が上がらないままだった。

そこへきてこの遅番である。朝の時間帯なら教習所も大抵空いている。しかも自宅から駅へ向かう途中に教習所がある。これを神の采配といわずなんという。今取らないでいつ取るんだ、というわけで、その教習所に申し込んで毎朝通勤前に通った。幸い実地で落とされることもなく、ほどなく免許を取得することができた。

このイベントが無ければ、未だに免許を取るきっかけがないまま過ごしていたかもしれないし、旅のぞうりも開設していなかったかもしれない。


それと前後した時期に、とある女性とお付き合いをすることになった。
その人は世田谷区の烏山という所に住んでいる人だった。たまに帰宅が遅くなった時に彼女の家に転がり込んだりしたのだが、やはり川越の自宅に帰るよりは圧倒的に近い。
それがきっかけで都内で暮らしたいという思いがむくむくと頭をもたげてきた。


14.のエントリでしれっと書いたが、自分が登録していた派遣会社は定期代が出なかったので、交通費が自腹で川越から職場までは毎月3万円ほどかかっていた。彼女とお付き合いをするうちに、それって都内から通えば節約できるんじゃね?と言うことに今更ながら気が付いた。都内からの通勤でも1万円前後はかかると思うが、それでも2万円の節約になる。
今の家賃に2万足したら6万6千円。そのくらいの物件なら贅沢言わなければ都内でも借りられる物件があるんじゃないか?と言う気がしてきた。

この頃は地元でつるんでいた友達もぼちぼち就職してだんだんお互いの時間が合わなくなってしまった(自分が夜の仕事をしていたから、というのもあり)。大学へ進学した友達とも都内で集合することが多くなり、だんだん地元にい続けるメリットがなくなってきた時期だった。

そこへ丁度烏山に地縁ができたわけで、機は熟したということなのかもしれない。
彼女の家を足掛かりにして、週末などに周辺の不動産を回って物件を探したところ、いい物件が見つかったので、そこへ引っ越すことになった。


引っ越しする旨を父に報告したら、自分が使うから解約しないでくれ、と言われた。どうも家庭不和でまた家出を考えているらしい。反抗期の高校生か。
まぁ、そういうことなら、と父にカギを渡す。程なく家出をしたという話を聞いた、が、父の家出はわずか2週間で幕切れた。
またしても自宅に住所のメモ書きを置き忘れたらしく、ほどなくバレて哀れ回収。


もう、わざとやっているんじゃないだろうか。。。

Posted by gen_charly