[DigiItem-14] EPSON PC-486MV2JM
(Spec : [CPU]i486DX2 66MHz→3xODP / [HDD]340MB→2GB / [MEM]3.6MB→64.6MB)
1998年頃購入:
高校の頃に友人から、パソコンを買いたいんだけど一緒に見に行ってくれないかと相談された。彼はパソコンでイラストを描いてそれをパソコン通信を使って公開したいらしい。
彼と彼のお母さんの3人で近所の電気屋に行き、店頭に並んでいる様々な製品を見比べた。その頃の自分はEPSON信者だったので初めからEPSON PC推しだったのだが、一応PC-9801やEPSON互換機も含め、他社のPCも一通り見比べさせてそれとなくEPSON PCの良さをアピールしてだんだんとその気にさせる方向に誘導した。
当時売られていたEPSON PCはPC486MU/MVとFE/FRだったかな。この中では486MVが一番ハイスペックなマシンで、先々考えたら性能の良いやつを買っておいた方が良いよなんて話したら、じゃあそれ買うか、とあっさり486MVに決まった。
もちろんパソコン本体だけ買ってもしょうがない。パソコンでイラストを描いてそれをネットに公開するというのだから、本体の他にスキャナやペンタブレット、プリンタ、モデムなども必要になる。当時はどのハードウェアも自分には逆立ちしても買えないような価格で、見繕っていくうちにどんどん総額が膨れ上がっていく。だが、彼から他に何か必要になる物ってある?って聞かれた時、MIDI音源があるとゲームとかで遊ぶ時に綺麗なサウンドになるよ、とついそそのかしてしまった。まぁ嘘はついてないが。そしたら彼はあっさりと、じゃあそれも買う、と言ってYAMAHAのMU-80が追加となった。SC-88にしない所に自分のひねくれっぷりが現れているw
結果、店員から提示された総額は90万を超えた。流石にこんなのお母さんが首を縦に振らないだろうなと思ったのだが、一緒についてきたお母さんもあっさり首を縦に振った。お前んち金持ちだったんだな。
ぶっちゃけ、彼が今後もパソコンを使い続けるかどうかは未知数なので、最初はスモールスタートで始めるという提案プランも用意していたのだが、買えると言うんだから黙っておいた。買わせる俺もひどいが買えちゃうお前のウチもすごいwしかもその一式を持ち帰って彼の自宅でセットアップしてあげたら、お母さんからお礼として3万円もいただいてしまった。ちょっと罪悪感。。。後でお前がこれ提案したんだろ?なんて責められないだろうか。
その頃自分が使っていたのは相変わらずのPC-9801USである。i386SX16MHzとi486DX66MHz、その差は歴然なんてレベルじゃない。もう、同じパソコンとは思えないほど爆速だった。人に買わせるくせに自分は持っていないというのもどうかと思うが、彼のPCを触ってすごく羨ましくなったことを憶えている。
それから幾星霜。と言うほどでもないが4年くらい経って中古でフルセットが10万円で売られているのを見かけて思い切って購入してみたのが上の写真のマシンである。そうだよ、自分は10万円とかじゃないと買えないんだよ。。。その頃は既にPentiumの時代であり、それと較べたら486DXの66MHzなどもはや鈍重と言ってもいいくらいのスペックでしかなかったが、Win95上でパソコン通信やメールをやるくらいならこのスペックでも事足りるだろうと考えて購入したのだった。
このPCは元々Win3.1のプレインストールモデルなのでWin95を動かすためにはインストールメディアが別途必要になる。ところがNECのPC-9801互換マシンであるにもかかわらずNEC版のWin95が使えずEPSON PC専用版を入手する必要があった。だがEPSON版は流通しておらずその辺のパソコンショップでは買えなかった。じゃあどうやって入手するのかというと、メーカーの窓口に電話して発注である。面倒なことこの上なかったがそれをやらなければWin95化は出来ないので電話して入手した。
EPSONは古くからPC-9801互換機というポジションのPCを製造していたが、NECは互換機を作られることを快く思っていなかったようで特許侵害であるとして製造中止を求めて裁判になったりしていた。またEPSONチェックなどを搭載してEPSON PC上でOSやアプリが動かないよう防衛(妨害?)も行っていた。なのでEPSON PCはそこに抵触しないよう構成などを微妙に変えたものを販売しており、NEC版が動かなかったのもそのためである。
IBMのPC/ATがアーキテクチャを公開して自由に互換機を作らせていたことからすると随分とNECの囲い込みが凄い。そこまで虐げられながら互換機を作り続けたEPSONのガッツも凄いが。。。
Win95の発売はパソコンの裾野を大いに広げた。それこそ一大ブームと言っても良いほどに爆発的に売れて多くのご家庭にパソコンが置かれるようになっていった。だが、その主流は引き続きNEC、とはならなかった。上述のPC/AT互換機(DOS/Vパソコンと言った方がとおりが良いか)はPC-9821シリーズと比べたら格段に安価で、PC-9801時代の資産を持たないビギナーの多くがDOS/Vパソコンを選択したのだ。
こうして日本におけるデファクトスタンダードであったNECのPC-9801/9821シリーズは徐々にシェアを失っていった。恐らくEPSONはそうした未来を早々に予測していたのだろう、積極的に店頭販売しなかったのもその辺が理由なのかもしれない。
Win98が出た時はEPSON版は発売すらされなかった。その頃には既にAT互換機製造メーカーにシフトしていたからである。
それはさておき、このPCは豊富な拡張性がアピールポイントになっていた。メインメモリは拡張メモリボードを使うことで64MBまで増設可能で、ODPソケットも付いていたのでODPを装着して更なる高速化を図ることも可能であった。もちろん自分も価格がこなれてくる頃を見計らってメモリも増設したし、ODPも入手して装着した。
だがそこまでドーピングしてもWin95上でアプリを動かすと流石に重たい。まぁ我慢すれば使えるという程度には使えたが決して快適ではなかった。Win95はお世辞にも安定性の良いOSとは言えなかったので、しょっちゅう例外0Eのエラーがでて閉口した。結局、数年使って後継の586RXを入手したことで過去帳入りとなった。