[読み物-05]親父、旅立つ【2】
脳梗塞で倒れる:
だんだんと糖尿病との付き合い方が上手くできるようになり、それから十数年に渡って小康状態を保っていた。年相応の体力の衰えなどはあったが、日常生活も食事を気にする以外は特に制限などもなく過ごせていた。
自分が中学生の頃父が再婚した。だが自分はその後妻とはあまり折が合わなかった。実家にいるのが苦痛だったので高校を卒業してすぐさま親元を離れた。そんなわけで高校卒業後はあまり実家にも戻っていなかったので、父がどのような日常を過ごしていたのかはよく分からない。
ある日、後妻から連絡があり父が脳梗塞で倒れたことを知る。状態も悪く念のため最悪の事態を想定してすぐに来てくれという。言われるがまま車に喪服を忍ばせて、車を飛ばして父が入院する病院に向かった。
その日は意識を回復せず不安が募ったが、翌日になってようやく意識を取り戻した。ひとまず喪服を着ずに済んだことに胸を撫で下ろす。
後日聞いた話だが、父が倒れた日は朝から調子が悪かったらしく頭痛が酷いと言って昼過ぎから自室で伏せていたらしい。その後ベッドから転落してしまい、その物音に気付いた後妻が部屋に行くといつもやせ我慢な父が珍しく具合が悪いと訴えている。その様子に尋常ならざるものを感じた後妻が救急車を呼ぼうとしたら、世間体があるから救急車は呼ばないでくれと父から懇願されてしまい、仕方なしに自分の車に乗せて近所の病院に連れて行くことにした。
ところが着いた病院は大変な混雑。待てど暮らせど順番が回ってこない。父の容体はどんどん悪化し次第に待合室の椅子に座っていられなくなってしまったので車いすを借りてそこに座らせるが、気が付くとうなだれたようになっている。それでも一向に名前を呼ばれない。受付に何度も普通の状態でないことを訴えるが、順番だからの一点張りで取り付く島もない。
しびれを切らした後妻がここで一計を案じる。病院から119番したのだ。よその病院で見てもらおうと思ったらしい。夫が大変だからすぐに救急車を寄こしてくれと隊員に訴える。住所を教えてくださいと話す隊員に〇〇病院ですと返答。
病院にいるんですか?と聞き返される。いたずら電話だと思われたのだろう。
夫が尋常じゃない状態なのに病院が一向に診察してくれないから一刻も早く他の病院に運んでほしいと訴えたところ、救急側から病院に連絡を入れてくれて、晴れて急患扱いとなり速やかに診察が始まった。そしたら脳梗塞だったという経緯だったそうだ。
病院にいながら119番をするというファインプレーがなければ今頃手遅れだったかもしれない。そもそも父が下らない意地を張らず、最初から素直に救急車に乗ってれば起こらなかった話ではあるのだが。。。
折り合いのつかない後妻ではあるがこの時ばかりはGJである。素直に感謝した。
意識が戻ってからの回復は順調で1か月ほどで退院してきた。相部屋でプライバシーもない中での療養が我慢ならず早く退院するためにリハビリを頑張ったと言っていた。本当かどうかは知らないが。
退院後も右半身にわずかな麻痺が残った。歩くときにわずかに右足を引きずるような感じだったり、手に力が入らないので字が書きづらくなったり、わずかに活舌が悪くなったりと言った具合だが、半身不随などと言った重い後遺症が残らずに済んだのは不幸中の幸いだった。
それらの症状も時間の経過とともに徐々に回復し、1年程でゆっくり歩く程度なら特に違和感なくできるまでになった。流石に走ったりすることは出来なくなってしまったが。
人工透析開始:
脳梗塞を克服してからは再び体調も安定して、10年弱に渡り問題なく日常を過ごしていた父だったが、その間にも腎臓の機能が低下し続けついに慢性腎不全の診断が下されてしまった。
慢性腎不全の患者に対して取られる選択肢は2つ。腎移植か人工透析である。腎移植は言うまでもなく他人の腎臓を移植する治療だ。健康な臓器に付け替えるので健常者と同じ状態に戻ることができる。ただし日本ではドナーが少なく順番待ちがかなり長期になることを覚悟しなければならない。また移植してもちゃんと定着するかという問題もあるし、その臓器がちゃんと働くように免疫抑制剤などの服用も欠かせなくなる。
なお無事に定着したとしても、それによる延命効果は15~20年程度ということだ。
一方人工透析は受け入れの病院さえ見つかればすぐに治療を開始できる。ただし2日に1回程度通院して都度4~5時間に渡って透析治療を受ける必要がある。その間病院に拘束されるため長期の外出などもしづらくなり、日常生活において少なからず制限を受けることになる。
また、何らかの事情で治療が滞ればすぐに死への片道切符となる。透析による延命効果は10年前後ということである。
父は人工透析で治療を行っていく道を選択した。恐らく今まで手術を受けた経験がないので、自身の体にメスを入れることに対する不安があったのではないかと思う。
いずれの治療を選んだ場合も自身の余命がざっくりと分かってしまったことになる。10年ないし20年という期間を長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれだと思うが複雑な心境であったことだろうと思う。だがそんな不安感や焦燥感は自分に対して一切見せることはなかった。
上で人工透析は2日おきの通院が必要になると書いたが、実は人工透析には2つの方式がある。
一般的に知られている人工透析はもっぱら血液透析と呼ばれるものである。上に記述した人工透析も血液透析を指している。その名のとおり腕などの血管から血液を取り出して人工透析器で血液に含まれる老廃物をろ過した後で再び体内に戻す方式だ。
もうひとつ腹膜透析という方法がある。これは腹部に管を通して腹腔内に透析液を送り込んで置き、腹膜から透析液側に老廃物がしみ出してくるのを待ってその廃液を交換するというものである。
腎臓は本来1日中ゆるゆると血液のろ過を続けているので、1日を通して血液中に含まれる老廃物のバランスが大きく崩れないようになっているが、血液透析はそれを数時間の間に一気に行うため体内のバランスが崩れてしまい、それによる様々な弊害が生じる可能性がある。ただし続けているうちに体が慣れてくるらしい。また血液透析を受けた後、次に受けるまでの間体内の老廃物が排出されない状態が続くので前日辺りは調子が悪いことも多いそうだ。
一方の腹膜透析は透析液を交換時以外は常に体内に満たしておくので、老廃物の排出が常時行われる。なので体のバランスが崩れにくい。また透析液の交換は自分で行う必要があるが、自宅でも対応可能なので時間的な制約を受けにくいというメリットもある。
父もそのメリットを享受するため腹膜透析を選んだ。
だが透析を開始して半年ほど過ぎたある日、病院に通院した帰りに倒れた。たまたま倒れたのが病院の真ん前だったので近くにいた看護師によりすぐに救命措置が行われ事なきを得たが心不全を引き起こしていたそうだ。病院の前だったからよかったものの、もし自宅に戻って来てから発症したりしていたら最悪の事態になっていたかもしれない。
透析液の交換がうまく出来なかったのか、排出しきらなかった透析液によって心臓が圧迫されていたそうだ。更に腹膜炎も併発していたので腹膜透析は諦めざるを得なかった。その後は血液透析に切り替えることとなった。
血液透析になったので以降2日に1度の通院生活が始まった。仕事は既にしていなかったので時間的には比較的自由だったが、好きな海外旅行に行けなくなってしまったことは悔しがっていた。
透析を始めたことで以前と比べて食事制限が緩やかになった。体に悪影響を及ぼす糖類や脂質などを透析によって除去できるようになったからだ。ただし透析患者においても食事制限は存在する。特にカリウムを含む食べ物の摂取が禁忌である。カリウムを多量に摂取すると高カリウム血症を引き起こして心臓が止まる可能性があるのだ。通常はカリウムも腎臓でろ過されて排出されるのだが、透析が2日に1度なので一般的な摂取量でも蓄積してしまう危険があるのだそうだ。
カリウムを含むものと言えば野菜である。カリウムは水溶性なので茹でこぼせばその量をある程度減らすことができ、煮物などなら食べられるが生野菜は食べられない。
一方それまで禁忌とされていた、甘いもの、しょっぱいもの、脂っこいものについては以前ほどの厳しい制限がなくなった。実家に顔を出した折りに食事に出ようとしたとき、急にとんかつを食いに行こうなんて言い出すようになった。いやいやそれはまずいでしょ、と言うと透析をやるようになったからもう大丈夫なんだという。自分がそのことについてちゃんと勉強していなかったので、初めのうちはその言葉を鵜呑みにして大丈夫なのだろうか、と心配だった。
もちろん過ぎたるは及ばざるがごとしなので適量を守らなければならないことには変わらない。だがそれでも以前に比べたら色々な料理を背徳感なく食べられるようになったので随分と開放的な気分になれたそうだ。ただし適量を越えて摂取すると透析の時に先生から怒られると言っておどけていたが。
ちなみに水分の摂取については厳しく制限されていた。
腎臓が働いていないので尿が出ず、摂取した水分が体内から出て行かないのだ。そのため水分は1日800cc以内にするよう厳しく言い渡されていた。冬場はそれでも凌げるが夏場は喉が渇いても水が飲めないのがつらいと言っていた。少しでも口を潤すためによく氷を舐めていた。
うっかり水分を多く摂取してしまうとそれがそのまま体重の変化となって現れる。なので透析の時にすぐばれてしまう。そういう時は水分を多めに抜かなければならなくなるので透析の時間が伸びてしまうそうだ。
透析後は半日ほどふらつきが取れないと言っていた。上述のとおり透析によって体内のバランスが大きく変わるせいだ。いつも透析が朝からなので透析の後に食事が出るらしいのだが全然箸が進まないらしい。
1日くらい経つと体調が戻るそうだが、その時の調子のよさは健康だったころのそれに匹敵するらしく、すごく晴れやかな気持ちになるとのこと。その点だけは透析を始めてよかったと言っていた。