[読み物-05]親父、旅立つ【3】
大腿骨骨折:
透析を始める前には仕事もリタイヤし、のんびりとした老後生活を送っていた父だが、旅行など遠出ができなくなってしまったので以来日々の暇つぶしとして近所の店をぶらつくのをささやかな楽しみにしていた。
透析を開始して6年後、いつものように近所の店をブラブラしている時に足元がふらついて転倒してしまった。打ち所が悪かったのかそのあと立ち上がることができなくなってしまい店から救急搬送された。
診断の結果は大腿骨の骨折だった。健康体なら転んだ程度で容易に折れるような骨ではない。だいぶ脆くなっているらしい。老人が大腿骨や骨盤を骨折すると入院中の筋力の衰えにより再び自分の足で立ち上がることができなくなって寝たきりになってしまう、という話をどこかで聞いていたのでこの診断には正直不安を覚えた。
治療として骨折箇所にボルトを入れる手術を行うことになった。
手術は無事終わり傷が塞がるまで入院となったが、食事がとにかく美味しくないと文句を言っていた。透析を開始してから健常者と同じような食事がとれるようになったからか薄味の病院食が口に合わないらしい。
それと病室内のテレビが有料でカードを買って見るタイプのものだった。父は家にいる時は大抵テレビをつけている人なのでそんな調子でカードを買っていたら莫大な金額になってしまう。もちろんそれを後妻がOKするはずもなくそれにも不満を言っていた。
家にあるポータブルDVDはワンセグチューナーが付いているタイプのものだったので、それを持ち込んで見ることにしたのだが付属のアンテナではあまり映りが良くなかった。そこで病院のテレビが繋がっているアンテナを引っこ抜いて、そこに持ち込んだポータブルDVDのアンテナに繋いだところ感度良好で入院中のテレビ視聴を楽しんでいた。
多分看護師にはバレていたんじゃないかと思うが咎められることはなかったそうだ。それに味をしめたのか以降入院となる都度、同じようにポータブルDVDを持ち込んでいた。
そんなこんながリハビリの励みになったかどうかは分からないが、それからひと月ほどで退院となった。杖が必要なものの1人で歩くこともでき、とりあえず寝たきりが回避できたのには安心した。
退院時の引き取りを頼まれたので病院に迎えに行った。引き取ったあと食事に行きたいというので車に乗せて店に行くことにしたのだが、向かう際車内に饐えたような臭いが漂い始めた。何の臭いだろうと思ってなんか臭いねと言ったら、ああ俺風呂入ってないからじゃないかな、と言われた。
言われてみれば髪の毛も長らく風呂に入っていない人のように油ギッシュでぼさぼさだった。入院して以来一度も風呂に入れなかったらしい。傷が塞がるまでは仕方ないと思うが退院の前日位お風呂に入らせてくれたらいいのに。なんだかその病院の対応に釈然としないものを感じた。
ちなみに食事は父の希望でとんかつ屋に行った。もちろん健常者と同じ量を食べることはできなかったが、ひどく食事制限をされていたあの頃を思えば今の方が幸せなんじゃないかという気がした。
末期がん:
骨折から無事に回復し再び自宅での生活を謳歌していた父だったが、その年の暮れから貧血を起すようになった。
貧血は日々ひどくなりフラフラすることが増えてきたので病院で検査してもらったところ直腸にステージ4のガンが見つかった。更に肝臓にも転移していてこちらはステージ2だという。ステージ4はいわば末期がんである。切除の手術ができるかどうかは父の体力次第とのこと。また手術を行ったとしても成功しない可能性もあるし、成功したとしても他の場所へ転移している可能性が高く術後の生存率もあまり高くない(1年持てば立派)という説明だった。
背筋が凍るような思いと同時に、とうとう覚悟を決めなければならない時期が来たのか、と思いながら医師の話を聞いた。
そのことについて、きょうび本人に黙っておくということはあまりやらないということで本人にも医師から説明がなされた。
入院して数日後、生まれて間もないチビを連れて見舞いに行った。病室の父は顔色もそこそこで意外にも表情は明るかった。ほんのひと月ほど前に父を自宅に呼んでチビとの初対面をしたばかりだ。その時はまさかがんを患っているなんて全く想像もできないくらい元気だった。それが今では病室のベッドの上での対面である。こんなに急に進んでしまうものなのかと思うととても怖かった。
一方の父はまた孫の顔が見られたと喜んでいた。だがそんな父も心の内では自分に襲いかかった病魔と対峙する不安と戦っているはずである。にもかかわらずこんなに明るくしていられるのはなぜなのだろう。自分が同じ立場に立ったときに同じように振る舞える自信はない。
流石に今回はダメかもしれないと思い、金沢で暮らす弟にも連絡を入れた。
弟は両親が離婚した際お袋に引き取られたため、父とは20年くらい前に一度会ったきりだ。もちろん自分が弟と会った時に節々で父の様子は伝えていたが金沢からは気軽に来れないし来ても実家には後妻がいるしで呼ぶに呼べなかったのだ。
だが今回ばかりはそうもいっていられない。あまり余命も長くないらしいし手術が失敗したらもう会話も出来なくなるかもしれないから、一度会いに来いと声をかけた。弟も2つ返事で家族を連れてやってきた。父は20数年ぶりの再会に驚いていたが、弟が元気そうにしていて子供たちもがすくすくと育っている様子を見て安堵していた。
手術:
それから数日後手術が行われることになった。手術に耐えられるだけの体力が戻ったと判断されたのだろう。当日は自分が立ち合いをした。朝病院へ行き父の病室へと向かう。病室の中では話し辛いからとフリースペースへの移動を促された。
色々な管が取り付けられていたが足取りはしっかりしていた。今日これから大手術を受ける人とは思えないほどひょうひょうとしている。朝から飲まされている下剤がとにかく美味しくないと言って顔をしかめていた。このポーカーフェースはどのようにして作り出しているのだろうか。
医師から呼び出しがあり手術についての説明があった。直腸の患部付近と肝臓の転移箇所をそれぞれ切除するとのこと。最後に同意のサインを求められた。ああこれが手術の前にサインさせられるやつか、と思いながら署名した。
それから間もなく準備が済んだようで父は手術室へと運ばれていった。流石に手術室へと運ばれる段になり不安を感じたのか、あとはよろしくな、と手を握られた。
待合室で待つこと2時間弱。手術が終わった旨看護師から報告があり執刀医の待つ部屋へと通される。
まずは患部の切除は成功し無事に手術完了となったことが報告された。
続けて切除した患部を見ますか?と聞かれた。患部って、、、人間の内臓の実物である。もちろん今まで見たことなどない。見るべきか戸惑ったが後学のため意を決して見せてもらうことにした。切除部位はスーパーで売られている果物の容器のような透明なプラスチックのトレイに乗せられていた。
腸の切除部分は6-7cmほどで、そこに2cmほどの腫瘍が2つで来ていた。盛り上がった腫瘍の真ん中にはぼっこり穴が開いていて、見た瞬間にこんなものがおなかの中に有ったらさぞしんどかっただろうな、と思った。
見るまでどんなグロテスクなものが出てくるのかと身構えていたが、見せられたそれはホルモンのマルチョウでしかなかった。がん細胞が無ければ精肉店の店頭に並んでも気づかないかも、と思えるほどだ。肝臓の方は2cmほど切断されその先に潰瘍状のものができていた。こちらとて見た目はただのレバーである。なんか人間も哺乳類なんだなとしみじみと思ってしまった。
見た目の怖さがなくなったので更に興味が出てしまい、写真に撮ってもいいですか?と聞いてみた。
医師は怪訝な顔をしたが特に問題ないというので撮影した。怪訝な医師の顔を見た時には非常識なことを言ってるのかな、と思ったが今になって思えば撮影しておいてよかったなと思う。
それから集中治療室へ案内された。人工呼吸器を装着されてベッドに横たわる父。意外なことに意識があった。
全身麻酔での手術の場合、術後にすぐに麻酔を醒まして意識を回復させる必要があるそうだ。眠っている姿を見に行くだけだと思っていただけに意外だった。
意識はあるようだが強い痛み止めを打たれているので朦朧とした感じだった。朦朧としつつも手術が成功したことに安堵していた。だが周期的に痛みが走るようでその都度苦痛に顔をゆがめていた。痛みが襲ってくると顔をしかめ、一瞬息を止めて痛みの峠が過ぎたら息を吐き出すようにしていた。
その姿を見ていたら気の毒な気持ちになった。だが息を吐くときに「おほーっ」という声をあげるのがなんか妙におかしくて吹き出しそうになった。自分がそうやって噴き出したら不謹慎極まりないし、それが父に伝染して笑い出したりしたら傷が再び開きかねない。必死に自重した。
父としては心細い時間だったかもしれないが、集中治療室の中であり治療の邪魔になってはまずいと思ったのでほどほどの所で退室した。
それから1週間ほどして再び病院に見舞いに行った。病室で過ごす父は思いのほか元気そうだった。まだ傷口は痛むらしいが痛み止めである程度抑えられているらしい。意識もはっきりしていて会話も問題なくできた。まずは手術が無事に済んだことを喜んだ。
傷口が変な風に固まらないよう積極的に体を動かすように言われているらしい。帝王切開で出産した女性などは当たり前のようにそれをやっていて最近の術後リハビリの主流という話だ。そんなことをしたら痛いに決まってるし、傷口が再び開いてしまいそうで考えただけでゾッとする。
お腹を切っているのでトイレのコントロールが難しいらしい。それでもおしめを付けることに強い抵抗があるということでリハビリを兼ねて自分で病室のトイレを使おうとしていた。そこまで回復が進んでいるのかと思いきやさにあらず。トイレは病室内にあり歩いて数歩だがそこまで自力で歩けないという。手助けしてくれと言われて肩を貸した。それ今日から看護師にお願いするつもりだろうか。変なところが意地っ張りなんだよな。。。
一応手術は無事に済んだが末期がん患者だったという事実が消える訳ではない。今後他の臓器への転移する可能性も高いし元々糖尿&透析で体力が衰えている状態なので、医師から余命1年程度とは言われているがそんなに持たないかもしれない。
元気に退院してこれからもチビの成長を見守ってもらいたいけど、そういう日々がいつまで続くのだろうかと思うと切ない気持ちになった。
ところが意外にもその後の回復は頗る順調だった。手術のあと1カ月ほどで退院してきた。傷が完全に塞がるまで暫くは歩行器での移動を余儀なくされたが、それから数か月もしたら歩行器を使わずに歩けるまでに回復した。病院での定期的な検査でもがんの転移が見つかることはなかった。体力が衰えて代謝が悪くなっていることががん細胞の増殖を抑える方向に働いたらしい。