森林公園の車庫を見に行った話 (1987/12/05)

1987/12/05

例のM君から教えてもらった話だと思うが、鉄道の車庫は事前に連絡することで見学させてもらえるということを知って、自分も見に行ってみたくなった。何しろ車庫なのでその路線を走る多種多様な車両がいっぺんに撮影できる可能性があるのだ。出来るだけ多くの種類の写真を撮りたいと思っていた自分にとってそれはいわば宝の山。

ただし、見学を許可してくれるかどうかはその車庫の判断になり、許可していないところもあるそうだ。


我らが東武東上線は、森林公園駅の近くに森林公園検修区と呼ばれる車庫がある。手始めにその車庫に連絡して見学可能か問い合わせてみることにした。

といっても連絡先の電話番号が分からない。車庫の電話番号なんて普通は公開していないのでタウンページに載ってないのだ。載っていないなら104で聞くしかない。104と聞いて番号問い合わせ用ダイヤルだと分かる人はどのくらいいるだろうか。104はオペレーターが調べて教えてくれるので手間がないのだが有料である。のべつ幕なしに問い合わせまくっていると後で親に怒られる(電話料金が高騰するから)。

それはさておき、104のオペレーターに「森林公園検修区の電話番号を教えてください」とお願いするのだが、検修区という単語がピンとこないらしく、何度も聞き返された。自分の滑舌の悪さや当時のアナログ回線の音声品質の限界もあって、会話がとんちんかんでかみ合わない。何度かのやり取りのあと、どうにか番号を聞き出すことができたが、当時はそうしてボタン掛け違いのまま、案内された番号に電話をかけたら違うところにかかってしまった、なんてことも時々あった。

ともかく、番号が分かったのでそこに電話してみたら、見学可能とのことだったので、12月5日に見学を申し込んだ。


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というわけで12月5日、東武東上線坂戸駅ホームである。ホームには沢山の高校生がいる。この日は土曜日で、昼に小学校から帰ってきたらすぐに出かけるつもりだったのだが、なんやかんやで家から出られず出発が14時近くになってしまった。それで高校の下校時間とバッティングしたようだ。多分鶴ヶ島高校あたりの生徒だと思うが、何となく時代を感じさせる格好である。

で、森林公園駅に着いたのが15時過ぎ。駅から車庫までは15分ほど歩かなければならなかった。

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入口から車庫の敷地へと進み事務所へと向かう途中、東上線の新旧コンビがそろい踏みしていた。

片方は9000系、もう片方の廃車然とした車両はクエ7000形という。既にレールの繋がっていないところに置かれていたので、休憩所か倉庫として使われていたようである。


それはさておき15時過ぎである。真冬のその時間はもう夕暮れ間近。あと2時間ほどで退勤時刻となるであろうタイミングでの訪問は、今思えば大層迷惑だったと思うが、事務所で見学に来た旨を話すと嫌な顔もせず対応してくれた。

受付台帳に来訪者情報を記入し、その後ヘルメットをかぶって係員の案内で連れて行ってもらったのが点検庫。どんな点検をしているのか、といった説明を係員から受けた気がするがほとんど忘れてしまった。

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庫内には当時まだ出始めたばかりの8000系更新車が停まっていた。

それまでの東上線は、来る日も来る日も東武顔の8000系という時代が長く続いていた。東武顔は飾りっ気がなかったので何とも地味だな、と思っていたが、9000系から始まるニューフェースグループは、ようやく時代に追いついた感のあるあか抜けたデザインになり、それまでの味気ない東上線の車両に彩りを添えていた。その一員に加わったのが8000系の更新車である。とはいえ当時はまだ更新が始まったばかりで、この車両に遭遇するのは珍しかった。なのでそれを目の前で見ることができてテンションが上がった。

係員が写真を撮ってあげるから運転席に立ってよ、と言ってきた。良いんですか!?
初めての運転台だ。いつもはガラスとカーテン越しにしか見られなかったあの運転台に今立っている。間近に見るマスコンやメーター類など、とても興奮した。

それから程なく、今度は車庫の方へと案内されて、停車している車両の写真を撮影させてもらった。

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まずはなんといっても5000系である。見た目は8000系と同じだが、旧型車両の更新型なのでいわゆるツリカケ式の車両である。当時は越生線でその任に当たっていた。なので、気が向いたら越生線に野太いモーター音を聞きに行っていた。


この翌年、ひょんなことから坂戸駅の駅員と仲良くなった(というか話し相手になってもらった)。そのおしゃべりの中で、当時5000系の独壇場だった越生線を揶揄して、「10000系が入線するのはあと500年くらいかかるんじゃないの?」などと軽口を叩いていたのを覚えている。流石に500年は言い過ぎである。実際にはこの15年ほど後に5000系は引退し、8000系や10000系が走るようになった。

でも、東武は8000系を大量に作ってしまったので、5000系が引退したら次は8000系だ。多分その時代が当面続くものと思っていたから、駅員の冗談も荒唐無稽ではなく、東武ならやりかねないな、くらいの笑い話に受け止めた。

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隣はその10000系だ。まだ10030系シリーズはデビューしていなかったので当時の東武の最新鋭車両である。東上線用の10000系は当初8両編成で落成されたが、後年2両追加して10両の固定編成となっている。この写真の車両はまだ8両だった当時のものである(車両番号からそうであることが分かる)。

隣に8000系の更新車が停まっている。もちろん撮影はしたが、さっき掲載したのでここでは省略。

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そして9000系である。地下鉄有楽町線への直通に備えて製造された車両であるが、非対称のフェイスを持つ東上線随一の美形である。

型番が示すとおり10000系よりもデビューは早かったが、有楽町線との直通が開始される1987年までは線内の一般列車として他の列車と混じって運用されていた。当時はあまり増備が進んでおらず、8000系更新車と共に割とレアな車両であった。

まぁ、そんなこんなで日もどっぷり暮れた頃に見学を終わらせた。案内してくれた係員にお礼をして帰宅。
当時はこんな具合で電話連絡して希望を伝えたら、受け入れてもらえる車庫が関東近郊で何カ所かあった。今でもそうなのだろうか。

(おわり)

Posted by gen_charly