西武最後の赤電が引退 (1990/06/23)
1990/06/23
西武に多摩湖線という路線がある。この路線には351系という形式の車両が走っていた。西武といえば20年前くらいまでは黄色の電車だったが、黄色くなる前は赤と茶色の塗り分けだった。故に「赤電」と呼ばれていた。他の路線の旧型車が淘汰されて黄色の電車に切り替わっていく中で、多摩湖線の351系だけは赤電塗装のままずっと生き延びていた。
その理由もまた他の旧型車両が残っている路線と同様、車両限界の制限によるものだった。国分寺駅手前のカーブがきつくて、他線で走っている大型車が入線できなかったために車両更新が滞っていたのだが、改良工事が完了して急カーブが解消されたことで351系も引退ということになった。
351系は西武最後のツリカケ電車だった。昭和30年頃より前に製造された電車はたいていこの方式で、その構造上、走るときに野太いモーター音を奏でることで知られている。
それ以降はカルダン駆動式などの新しいタイプの電車が主流となったため、車両更新があるごとにそれらの旧型車が廃車となって徐々に生息域を減らしつつあった。
なので先輩鉄道ファンの人と話すと、大抵過去に走っていたツリカケ電車の話が出てくる。あの頃が懐かしいとか、あの音がたまらないなんて話をちょいちょい聞かされていると、自分らもそれが貴重な体験なのだという風に思えてくる。
その頃からツリカケ電車を愛でる文化が、我ら鉄道キッズの間でもはぐくまれていた。ただし東武の5000系は除外w
なぜなら地元でいつも走っているからだ。なんと贅沢な。
話を戻して。この西武351系の引退に伴い、セレモニーが開催されるという情報を入手した。日付は6月23日土曜日。そりゃ見に行かないわけにはいかない。開始が15時くらいからということなので、学校が終わってから向かってもなんとか間に合いそうだ。
ということで学校が終わって、家に荷物を置いたらその足で急いで萩山駅にやってきた。
ホームは既に沢山の愛好者の面々で埋め尽くされていた。せっかく電車が入線してきても、ご覧のとおり写真もろくに撮れない状態だった。
列車の到着後にセレモニーが開かれ、そのあと留置線に引き上げて行ってイベントは終了した。
お別れ記念の切符などが売られていたのでいくつか購入した。中学生のなけなしの小遣いをはたいて。
← 切符を買ったら乗車記念のしおりをくれた。乗ってはいないのだが。。。
← 記念切符
← 記念レオカード
ホームの混雑が凄くて車両がろくに撮影できなかったので、ダメもとで留置線の方へ移動したら思ったより空いていた。それでも「いい場所」はあらかた埋め尽くされていたが、どうにか隙間を見つけてカメラを構える。とうとうこの電車も見納めか。
留置線に置かれていた電車はその後回送列車となって走り去っていった。
(おわり)