ほぼ日本一周ツアー【5】(2000/09/20)
因島へ:
2000/09/20
尾道の朝だ。ホテルの窓から尾道市街の北西の方角を写した。
しかしグーグルマップの衛星写真は偉大である。このときの旅行で宿泊したホテルをメモしていなかったので、撮影してから数年もしたらもうどこに宿泊したのかとか、この写真がどこを写した景色なのかとか、さっぱり分からなくなってしまっていたが、衛星写真によって泊まったホテルやどの方角を見ているのかまで判明してしまった(なので写真を1枚も撮影していない博多のホテルは失念したままである)。
というわけで一晩を過ごしたホテルをチェックアウトし本日の旅路に出発。
前述のとおり今日はしまなみ海道を渡り松山へと向かう。しまなみ海道は鉄道併用橋ではないのでバスで渡ることになる。途中興味のある島で途中下車しながら周辺を散策してみようと考えている。
まずは因島へ向かうバスに乗るため尾道の駅前に移動。
尾道という街は映画の街、坂の街として知られている。が、自分は映画は見ないし巨大なスポーツバッグを肩に背負っているので坂道を登ろうという気にもならない。更に当時の自分は古い街並みを愛でる感性も持ち合わせてなかったので、尾道には全く興味がなくあくまで通過点でしかなかった。
駅前のしまなみ交流館のデッキの上から向島の姿が見えた。島が見えるというよりは川の対岸の景色でも見ているかのような風情だが。事前に知らなければこの水路がとても海だとは思えない。尾道は古くから埋め立てによって発展してきた街なのでその分海峡が狭まってこんなことになっている。
デッキ下に見える乗船場(写真では屋根だけが写っている)から向島へ渡る渡船が出ていて、それで渡るのも面白そうだなと思ったのだが、渡った先の移動手段がよく分からなかったので結局バスでの渡島とした。
因島はこの向島の背後にある。ロータリーのバス乗り場から因島方面行きの路線バスを見つけてそれに乗車。
バスは尾道の市街を抜け尾道大橋を渡って向島に上陸。自分の島上陸記録では6番目に上陸した島となった。
(バスから降りてないので上陸カウントに含めてよいのか微妙だが。)
当時は島旅への志向が今ほど強くなかったのでなかったので、離島というものがどういう場所でどのような雰囲気なのか具体的なイメージがなかった。離島というくらいなのだから狭い集落に狭い道、あとは山と海がある、とその程度のイメージだ。
失礼を承知で言うが向島という島は今まで知らなかった。名が知れていないということは鄙びた島なのだろうと思った。そんな島はバスの車窓からどんな風に見えるのだろうか、鄙びた良い感じのところがあったら下車してみようかな、なんて考えつつ車窓を眺めていたのだが、橋を渡って見えてきた景色はそんな予想とは大きく異なっていた。
上述のとおり向島と尾道市街は狭い海峡に面して向かい合っている。尾道は山が海沿いまで迫り人が住めるところが少ない。なので向島はそれこそ川の対岸くらいのカジュアルさで尾道のベットタウンと化していた。2車線の広い国道が島を貫き、そのロードサイドに住宅が立ち並び、点々とロードサイド店が建っている。。。埼玉の地元の景色を見ているのかと思った。
そのくらい普遍的でコレといった特徴のない景色でまさしく予想外、バスを降りて散策しようという気にもならず、途中下車はせずにそのまま因島へと向かった。
JazzUpに登場する土生港に行く:
向島と因島は因島大橋という橋で結ばれている。因島大橋はしまなみ海道の橋なのでバスはいったん高速(有料道路)に入って橋を渡る。因島は続番で島旅7番目の島となった。
因島は古くは村上水軍の本拠地として、また、近世は造船の島として知られた島である。ここ最近はポルノグラフィティのメンバーの出身地としても知られている。
平成の大合併により現在は尾道市の一地区となっているが、自分がここを訪ねた当時は因島と隣の生口(いくち)島の一部で構成される因島市という独立した自治体であった。当時は島の自治体で市制施行している場所は珍しかった。というのも市制施行のための条件が今よりも厳しかったからである。
その条件は確か概ね人口5万人以上で、かつ中心市街地の戸数がその自治体すべての戸数の6割以上、という要件だった筈だ。後の平成の大合併の際に市制施行への要件が緩和されたので全国に沢山の市が誕生したが、それ以前は上記の要件を満たさないと市を名乗ることが出来なかったので市制をしく自治体というのはそれなりに発展した場所に限られていた。
この島の他には、沖縄本島を別とすると、佐渡島(両津市)、淡路島(洲本市)、平戸島(平戸市)、福江島(福江市)、天草下島(本渡市)、種子島(西之表市)、奄美大島(名瀬市)、宮古島(平良市)、石垣島(石垣市)くらいしかない。いずれも本土から比較的離れた大きな島で周辺離島の中心に位置づけられるような場所にある。
一方、因島は本土からそれほど離れていないうえに、そこには尾道や福山といった大きな街が隣接している。周辺の離島も大抵は本土との結びつきとなが強く因島がその中心となっている感じがしない。ではどういう理由で市になったのかというと造船である。この島にはかつて日立造船の工場がありそこへ通勤する工員たちによって町が発展したというわけだ。
そういう前情報があったので向島よりは発展した島なんだろうな、と言うのが上陸前の自分の予想であった。
と、ここで話は変わりポルノグラフィティだ。何のきっかけで聞くようになったのかは忘れたが、当時自分はポルノグラフィティのにわかファンになっていた。で、因島に上陸した訳である。聖地巡礼をせずに何をするというハナシで(当時は「聖地巡礼」という単語を作品の舞台や作者の縁のある土地を訪ねるという意味では使っていなかったが)。
とは言ってもコアなファンではなかったので、メンバーの生家とか通っていた学校とかよく行っていた店とかそういうのは一切知らない。
とりあえず知っている曲の歌詞に出てくる場所を訪ねてみようと思った。
歌詞に出てくる場所で唯一場所が特定できたのが土生(はぶ)港。ファーストアルバムである「ロマンチスト・エゴイスト」の1曲目に「JazzUp」という曲がありその中に「土生港から海沿いの道を~」という一節が登場する。果たしてどんなところなのだろうか。当時はストリートビューなんてものはなかったので事前の情報は0である。
ちなみに彼らの最初のライブDVDとなったツアータイトルが「08452」というものであった。これは当時の因島の市外局番である。なんと5桁だ。市外局番は東京の03、大阪の06を筆頭に発展している場所ほど桁数が少ないという大まかな傾向がある。そのなかでの5桁である。市を名乗る自治体の割に案外発展していないのだろうか。メンバーもそう言う田舎臭さを前面に出す意図でこのタイトルを付けたような気がする。
バスは因島大橋を渡り暫く高速の上を走って一般道へと降りた。そこから先因島の市街地の風景を車窓越しに見ながら進んでいくが、その景色ははたして、向島と対して代わり映えのしない物だった。ハナシを引っ張った割に何とも締まりのないオチである。。。
やがて、バスは土生港に到着しそこで下車(終点だったかも)。
土生港から見える景色はそこいらじゅうに島が浮かぶ島銀座(そんな言葉はないが)の様相を呈していた。ここも目の前の海は狭い海峡である。視界の先は何かしらの島に遮られているので大海原という雰囲気はない。
周囲に生口島、生名島、弓削島、佐島など多くの離島の離島が浮かんでおり、それらの島々を結ぶフェリーのターミナルになっていた。
鄙びている景色とは違うが、遠くの島に来たことを強く感じさせる景色にようやく巡り合うことが出来た。
ポルノグラフィティのメンバーはこの景色を見てあの歌詞を思いついたのだから大したものである。