宮古島社員旅行【4】(2003/07/20)
島内ドライブ:
さて、次に向かったのがフナウサギバナタという展望台。ここはさらっと見て通過。更に進むと白鳥岬に至る。

白鳥岬へと向かう道は緩やかな斜面を下る一直線の道路で、その向こうには大海原が広がっている。なんとも南の島ならではの光景っぽいなと思って、1枚写してみた。かつてWindows95や98にPlus!というプラグインのようなソフトがあったが、それに付属している壁紙にこんな風景なかったっけ?
それはさておき、白鳥岬のところで島の中央部へと向かう道が分岐していたのでそこで左折。島の中央部は一面畑で、どこまでもサトウキビが植えられている。
写真はまだ大きく成長していないサトウキビだが、場所によっては背丈を超える大きさに育っていて、立山の雪の回廊のように両側にそそり立っていた。
しかし、だだっ広い大地にひたすら畑が続いて、遠くにまばらに木々が見える光景は、どことなく真夏の北海道のようにも見える。もっとも現地の気温に北海道らしさは一切ない。写真で温度は伝わらないので雰囲気で。
島の丁度中央で十字路にぶつかる。十字の道はそれぞれ東西南北を目指していて、どこへ向かうにも最短のルートとなる。このまま直進して島の南側の観光スポットを訪ねてもよいのだが、このあたりでぼちぼち下地島を目指すことにした。
ということで交差点は右折、進んでいくと島の西側にあたる伊良部地区に出る。
伊良部と下地を隔てる海:
さて唐突だが、下の写真は何か?
川?池?正解は海。そう、海である。どう見ても川のようにしか見えない。
地図で伊良部島を見てほしい。島の西のあたりに地面がひび割れでもしたかのような細く入り組んだ水路があるのが分かると思う。この写真はそれを写したものだ。
この入り組んだ水域、さらに目で追ってもらうと、どこにも地続きになっている場所がないことに気が付くと思う。つまりここは島と島を隔てる海峡なのである。そして両島が陸続きにならなかったので、それぞれ伊良部島、下地島と名前が付いている。ちょっと何かがあればすぐ埋まってしまうような幅で、2つに分かれた理由は何だったのだろうか。何となく不思議さを感じる光景だ。
こんな狭い海峡なので、両島の間には橋が何本もかけられている。だが下地島の方にはほとんど住人がいないらしい。島の半分ほどが下地島空港とその関連施設で占められており、そのほかの場所はもっぱら畑として利用されているそうだ。
両島を隔てる海岸線を北上している時に海岸近くを通る場所があった。そのきわめて浅い海辺にヒルギの若木があった。植林されたものか自然に生えたものかはわからないが、これも南の島でしか見られない植物。物珍しさを感じて撮影。
よいアングルを求めて水際をウロウロしていたらうっかり足を海中に落としてしまい、靴がぐしょ濡れになってしまった・・・。まぁ、この陽気だからほどなく乾くだろう・・・。
佐良浜の奇岩:

伊良部地区から伊良部島と下地島を隔てる海峡に沿う道を北西の方向に進んでいくと、やがて海峡の幅が広くなってくる。その広がった部分が佐和田の浜である。日本の風景100選に選ばれているそうだ。
この写真を見ていただくだけで、自分の説明を要さないほど独特な景観であることが分かると思う。特に異様なのは海上にゴロゴロと散乱する岩。これらは1771年に発生した八重山地震の津波(明和の大津波)によって運ばれてきたものだと言われている。
伊良部島は離島オブ離島であるためか、歴史的な文献があまり残っていないらしく、その地震はもっぱら口承で言い伝えられている。そのため本当にその津波で運ばれてきたものという、明確な証拠はないのだが、周囲はなだらかな砂浜が続いていて岩の供給源となりそうな山体や崖などが見当たらないので、よそから運ばれてきたものという説には説得力を感じる。
では、これが津波によって運ばれてきた岩であるとして、その岩はどこからきたものなのか、ということについても調査が進められているが、これについては諸説あるそうだ。主だったものでは近隣にあった島が津波によって破壊され、それが流れ着いたものという説や、地震で海底地すべりが発生し、それが運ばれてきたものという説が有力らしい。

佐和田の浜を横目に、海沿いをさらに北上すると黒浜御嶽(くろはまうたき)がある。いわゆる祠だが、地元では拝所(うがんじょ)と呼ばれ、地域の信仰上の聖地となっている。
前出のサバぬにゃーんの歌詞の中にも、ずっと御嶽に籠って祈りをささげる信心深いおばあの話が出てくる。本土の神社でいうところのお百度参りのようなものだろうが、延々と籠るというのだから大変である。
沖縄にはこうした御嶽が点在していて、それぞれが聖地とされているので、場所によっては撮影を禁じられていることもあるそうだ。