金沢へ【2】(2006/02/25)

鬼嫁伝説!?:


2006/02/25

朝方に金沢に到着。眠い目をこすりながら下車。寝台列車に乗る非日常はとても好きなのだが、自分は列車が駅に停車するたびに音や揺れで目を覚ましてしまう性分なので、大抵寝台列車に乗った翌日は睡眠不足になる。

ここから普通列車に乗り換えてお袋と待ち合わせをしている駅で降りる。改札を出たところでお袋が待っていた。相変わらず小さいな。
カミさんの紹介もほどほどにしてまずは家に戻った。
家にはお父さんと弟もいて弟は仕事に出る支度をしていた。微妙なタイミングでの来訪だったかなと思いつつカミさんを軽く紹介。
弟はなんかそっけない受け答えをして、そそくさと仕事の準備を済ませて出かけて行ってしまった。相変わらずシャイなあんちくしょうだな。

 

お父さんは今日は休みとのこと。リビングのテレビからローカルニュースが流れている。ネタは地元密着の話題が多い。そうした番組を見ていると妙に懐かしい気持ちがこみあげてくる。

昔、岩手のばあちゃん家に行くとテレビのチャンネルが3つくらいしかなかった。関東に住む自分にとってテレビと言えばNHKからテレ東まで7チャンネルが映るものという認識だったのでその少なさに戸惑ったものだ。しかも放送される曜日や時間が異なっていたり、関東では別々の局で放映されている番組が同じチャンネルで放送されていたり、逆に見たい番組が放送されていなかったりもする。

そのうえテレビCMも見たこともない地元企業の物が流れていたりする。百貨店などの地域の大資本はそれなりに動画を作り込んで流していたが呉服店などの地元密着企業などはテロップのみの固定映像だったりした。これまた関東では固定画面のCMなんてまず見られなかったので、違和感が凄すぎて怖いなと思ったほどだw

・・・まぁ、そういうことを思い出すのだ。そんなテレビを見ながらカミさんの人となりや近況などを報告する。お袋もお父さんも、ほう、ほうと相槌を打って聞いている。小一時間ほどそんな会話をしていたら、お父さんがふと、ほんならドライブでも行こうか?と切り出した。と言っても行先は決まっていないらしく、お父さんとお袋があーでもない、こーでもないと相談し始めた。が、結局決まらないままとりあえず出発となった。

 

暫く車を進めていくうちに、お父さんが吉崎御坊行ってみるか?とお袋に持ち掛けた。横で聞いていた自分が吉崎御坊ってなに?と聞くと、鬼嫁伝説が有る所なんや、とお袋が答えた。鬼嫁!?

日本における鬼嫁と言えば北斗晶が最右翼ではないかと思うが彼女はまだ存命なので伝説の存在ではない。ある意味伝説的な存在とも言えるが。まぁ実際のところ伝説というからには過去の人物だろう。しかし伝説になる鬼嫁ってなんだ?どんな武勇伝をやらかした人なんだろうか?そもそも鬼嫁といってイメージするものは、乱暴に旦那をあしらいつつなんだかんだ言って面倒見の良い嫁(と尻に敷かれる旦那)だ。いやいやそんな犬も食わないような話が伝説になるだろうか。百歩譲って伝説になったとしてもそれが観光名所たりえるものだろうか。

そんなことが頭の中を瞬間的に駆け巡った。さっぱりイメージできないのでそれってどんな伝説?と聞いてみたが、わーからーんと返された。え?

 

車で1時間ばかり走ってお寺のようなところの駐車場に車が停まった。どうやら着いたらしい。お寺は本願寺吉崎別院という。ここにどんな鬼嫁伝説があるというのか。なまはげみたいに突然鬼嫁に扮した人から脅かされたりしたら、リアクションに困って半笑いになってしまいそうだ。

20060225_103200

期待と不安の入り混じった気持ちを抱えつつ車を降りる。そして階段を登って門をくぐると、程なくこの寺の由緒に関する案内板があった。それを目で追うと嫁威(よめおどし)伝説と書かれた一文を発見。これか。

・・・ちょっとまて。“嫁威"じゃないか。どこにも“鬼嫁"なんて書いてない。

その伝説はまぁまぁ長い話なので乱暴にまとめると、この辺りに毎日寺に通う熱心で信心深い嫁がいたらしい。だが共に暮らす無宗教を是とする姑は、そんな無駄なことに時間を費やさずに家業の手伝いをしてほしいと考えていた。ある日寺通いをやめさせるために、いつものように寺へ向かう嫁を待ち伏せして鬼の面をつけて脅かしたところ、それ見た嫁は恐怖におののいて自宅へと逃げ帰って行った。

首尾よく企みを果たした姑が帰途につこうとしたところ、なぜかそのお面が外れなくなってしまった。このままでは自分が犯人だとバレてしまう。どうしてよいか途方に暮れていたところを捜索していた嫁と息子に発見され、号泣しながら犯行を自供。息子の勧めに従い吉崎御坊の上人の前でこの悪事を懺悔したところそのお面が外れた、というストーリーである。

なお、この伝説については上記のストーリーが寺の公式となっているが、他にも息子は既に先立っているという説、荊に引っかかって脅かしに失敗したという説、脅かしたけど嫁が驚かなかったという説、発見されたのではなく自ら自宅に戻って発覚したという説など、なんか諸説あるらしい。

 

現地でそれを読んだときには、有りがちな昔話だなぁくらいの感想しか持たなかったが、エントリを書きながらよくよく考えてみると、これって家業を疎かにしてでも熱心に寺参りをする人の方が正しくて、それを邪魔する人にはバチが当たると言っていることになる。いくら寺の宣伝とはいえそんな極端な話をされてもなぁ、と言う気がする。

こうした昔話の類は背景設定が破綻していたりすることが往々にしてある。話を単純化するために仕方ない面もあるのだろうが、誰もツッコまなかったのかなと言う気がしなくもない。自分はバチが当たる姑サイドにいる人間なのだろうか。。。

とりあえず到着するまでの間ずっとモヤモヤしていた疑問は解消したが、新たなモヤモヤを抱えてしまった。まぁそのモヤモヤからあれこれ想像して悶々とするのがまた楽しかったりするのだがw
というか夫を脅(おびや)かすのが鬼嫁、姑に脅(おど)かされているのが嫁威、そこ間違えたらイカンだろお袋さんよぉ。。。

 

境内へと進むとお堂の中が見学できた。その途中にその時のお面とされるものが展示されていた。実話なのだろうか。
お堂の中の広間でお坊さんが説法を説いていた。その説法に耳を傾けることは自由らしかったので4人してしばしそのお話を傾聴した。
お坊さんは柔らかな声で現世の苦悩を和らげる方法のようなお話をされていたが、いかんせん途中からなのでどういう話かはよく分からなかった。

20060225_104107

境内を散策したあと吉崎御坊跡へ行った。御坊跡は園地になっていて散策できるようになっている。その一角にこの別院および御坊を建立した蓮如上人の銅像が立っていた。

20060225_104500

その園地は北潟湖に突き出た半島のようになっていて、北潟湖と海沿いの集落そしてその向こうの日本海が一望できるなかなかのビュースポットだった。正面のこんもりしている小山は鹿島の森と言うそうだ。

Posted by gen_charly