鹿児島へ【5】(2006/08/14)
近所を散歩:
2006/08/14
大口は標高があるせいか夜になるとグッと気温が下がってだいぶ凌ぎやすかった。おかげで朝までぐっすりである。
7時半くらいにカミさんに起こされぼんやりと起床すると既に他のみんなは起きていた。また自分が一番の寝坊助となってしまった。まぁこれはいつもの事なんだが。休みの日は昼近くまで布団でウダウダしているのが通常なのでそう言う意味では7時半起床も自分にとって充分すぎるほど早起きではあるのだが、まぁ分かって貰えるとは思っていない。
朝食を頂いた後、一服しようと表に出てみた。
今回泊めていただいたお義母さんの実家は畜産を生業としている。既にカミさんの祖父母にあたる人は他界しており、現在は長男夫婦が家業を継いでいる。
母屋の脇には牛小屋があり、ちょこっと中の様子を覗かせて貰った。中に毛艶の良さそうな黒毛の牛が繋がれていた。聞くところによると品評会にて優勝したこともあるほど品質には定評があるとのことだ。
そして別の小屋にはニワトリが飼われていた。こちらは自家用とのこと。農家をやっている人が身内となったことも自分の人生では初である。また自分の知らない世界が広がりそうな予感がした。
で、改めて庭先に出て再び煙草に火を点けた。ふと家の前を横切って続いている道を少し散歩してみようかなと思った。
片方の道はここへ来る時に通ったので反対の方向へと歩き出した。すると程なく集落の外れにある小高い丘を登り始めた。
道は車1台分ほどの道幅しかないうえに斜面を削って掘割にしてあるので退避できるスペースがゼロである。この状態で対向から車がやってきたらどこへ逃げようか考えながら進んでいく。
木立からまだ涼しい風が吹き抜けて行って実に爽やか。気分を良くしながら登りつめたら丘の上の台地上に出たらしく視界が広くなった。
その道すがらに鳥居があった。鳥居の奥は小さな祠がひとつ。背後にはしいの木だろうか、立派なご神木が枝を伸ばしている。この辺りの氏神様なのだろうと思うが、神社の名前は崩し字で書かれていて判読できなかった。
そしてその辺りから道は未舗装に変わり、両脇の畑へ向かうための作業道になった。
なんかいい。こんな道久しく見ていない。
気の赴くまま歩いてきた道なので今どの辺に居るのかも分からないが、この道はどこへ続いているのだろうか。ちょっとした冒険心が芽生えてきて、この道の行き先を確かめてみたい気分になったが、家人に何も言わずに出てきてしまっているのでそろそろ戻らないと騒ぎになるかもしれない。ということでプチ冒険はこれにて終了、後ろ髪惹かれる思いで引き返すことにした。
家に戻るとみんなは家を出る準備をしている所だった。カミさんにどうしたのかと聞くとお墓参りに行こうとしているらしい。一緒に行くよ、と促され再び外に出る。一同の後ろについて今しがた散歩してきた道へと進みその途中にあるお墓に到着。
お墓を綺麗にして静かに手を合わせた。この家にとって新たな関係者となった自分をよろしくお願いします、とご挨拶をしておいた。
家に戻ったらもう出発の時間だった。日程的には明後日まで休みなので多少ゆっくりしても良いのだが、折角鹿児島まで来たのだから少しくらいは観光もして帰りたい。まずは地元の観光名所がないか尋ねてみたら曾木の滝というのがあるらしい。ただ誰一人としていい所だから見ておいた方がいいよ的なことを言わない。滝というだけで名所っぽい匂いがするが大したことないのだろうか。
地元にはそれ以外にこれと言ったものがないそうだ。それなら鹿児島まで出ちゃって桜島でも見て帰るか。両親にそれを伝えると桜島に行くのはいいが、自分らは何度か行ったことがあるので行ったことのない所に行ってみたい、というようなことを希望してきた。
じゃあ桜島は見させてもらう代わりに明日は帰路の途中で観光しながら帰宅しましょうか、と提案したらそれで了承を取ることが出来た。
片づけをして車に荷物を積み込み11時に出発となった。
大口市歴史民俗鉄道記念資料館:
昨日、カミさんを美容院に送り届けるために大口の市内を運転している時に大口ふれあいセンターという施設の中に大口市歴史民俗鉄道記念資料館というものがあることを知った。なんでもかつて薩摩大口駅に乗り入れていた山野線、宮之城線に関する展示があるそうだ。
昨日は時間の都合で見に行けなかったが、ちょっと行ってみたかったのでご家族に了承を取って立ち寄らせてもらった。
大口ふれあいセンターは旧薩摩大口駅の跡地に建てられていて、資料館もその建物内に有る。
大口と言えば横浜にある横浜線大口駅が思い出される。こちらは「おおくち」、横浜の方は「おおぐち」である。重複を防ぐために鹿児島の方には薩摩を冠することにしたようだ。ちなみに横浜線の方は隣駅が菊名駅という。2駅合わせて「大口きくな」となるという小話をどこかで耳にしたことがある。オチはない。
かつての薩摩大口駅が国鉄(JR)山野線と宮之城線の2路線が接続するターミナル駅だったことは前述した。だが宮之城線が昭和62年、山野線が昭和63年に相次いで廃線されてしまった。国鉄が特定地方交通線に指定した路線の廃止や第三セクター化が相次いだのもこの時期で、とりわけ九州と北海道で多くの路線が廃線となった。
お目当ての鉄道記念資料館は民俗資料館の一角にこじんまりと展示されていた。当時の車両の写真や駅構内などに掲げられていたものが展示されていたのだが、当時を知らないのであまりピンと来なかった。
資料館ということであくまでそうした資料の展示がメインで、路線の生い立ちやどういう位置づけの鉄道だったのかとか、どうして廃止になったのか、みたいなことについては触れられていなかった。そういうところをもう少しクローズアップしたらもっと面白い施設になりそうな気がする。それでも施設があるだけ万倍マシだが。
当時の路線図が掲示されていた。薩摩大口は乗換駅なので太字で書かれている。それはそうと山野線の線路はよく見ると熊本県との県境付近でループを描いている。なんとループ線を持つ路線だったのか。
自分とお義父さんはそれなり楽しんで見学したが、カミさんとお義母さんは早々に飽きて別の所に行ってしまっていた。
見学を終えて合流するとカミさんからしろくま食べよう!と持ち掛けられた。しろくまってあの小豆とか入ったかき氷だよね。スーパーとかで時々見かけるけどあまり好きな食べ物じゃないんだよな。。。なんてことを思いもしたが、まぁ食わず嫌いもなんなので行ってみよう。
建物の1階に併設された喫茶店にあるらしい。いわゆるしろくまの他、コーヒー味のしろくま(茶色いからしろくまではないな)もあったので自分はそれを注文。暫くして出されてきたしろくまはスーパーで売られているものとは全くの別物だった。ふんわりと小高く盛られたかき氷に気前よくシロップがかかったもので1人1杯は多すぎるんじゃないの?と思うほどのボリュームだ。
早速スプーンを突き立ててそのふんわり氷を口に運ぶ。んまーい!
カミさんに白い方も少し分けてもらったがこちらも美味しい。やっぱり食わず嫌いだったようだ。頭がキーンとなる感覚もまた風情である。
なぜかこの時のしろくまは写真に撮っていない。惜しいことをした。