沖縄離島探訪【7】(2006/11/22)
与那国島観光(軍艦岩、サンニヌ台、立神岩):
先ほど映像にお見苦しい点がございましたこと深くお詫びいたします。今後ともよろしくお願いいたします。
気を取り直して次の見どころへ向かう。この辺りでようやく天気が回復して雲が切れてきた。それと同時に気温も上がり始めた。
暖かくなってきたので再び長袖を脱いだ。
さて、その次の見どころは島の南東部に点在する奇岩類である。
まず最初が軍艦岩。ご覧のとおり軍艦のように見える岩礁である。それ以上でもそれ以下でもない。柱状節理などによって形作られた物であろう。ということは与那国島もかつては火山島だった時代があるということだ。
そこからすぐの所にあるのがサンニヌ台。漢字で書くと三根ノ台、らしい。写真がどこを写しているのか分からないのは勘弁。
サンニヌ台まで遊歩道が続いているが遊歩道にしてはなかなか道が険しい。手すりがあまりないのでちょっとスリリングだった。
ステージ状になった岩礁の上まで行くことが出来る。あまり予習せずに来てしまったので、ここの楽しみ方があまりよく分からなかったが、とりあえず登ったり降りたりして散策した。
そして次が立神岩(たちがみいわ)。
まぁ、写真を見れば説明は不要だろう。各地に伝わる男根信仰の類のもので子宝祈願で訪れる人もいるそうだ。
学術的な話で言うと、かつてここにあった火山の火道にあった古い溶岩であるはず。
これをビロウと言ったらバチが当たるかもしれないが、ビロウついでに自分の腹も再びビロウな状態になって来た。ゴロゴロ言い始めたので慌てて駐車場のトイレに駆け込む。。。
もういや、こんな生活(きれいな写真でごまかす。。。)
Dr.コトー診療所のセット:
岩場を見学していたら程よい時間になったので、いよいよDr.コトー診療所のセットを見学しに向かった。
このセットは島の南側に位置する比川集落の浜に作られている。
そこまでの道がナビなしの車では若干分かり辛かったがどうにか到着。ドラマで見たあの志木那島診療所がそのままの姿で残されているのが見えた。これはテンション上がる。
Dr.コトー診療所は志木那島という架空の島にある診療所を舞台に繰り広げられるドラマである。原作によると鹿児島県の離島である甑島(こしきじま)の診療所が作品のモチーフとなっているらしく、志木那島と言う名称は、甑の「しき」に、「那」と言う字を加えたものであるようだ(明記されていないが)。
なんか「しきなじま」という音の響きに耳覚えがあるな、と思ったら伊豆諸島にある式根島だ。そして漢字に含まれる「志木」と言えば埼玉県新座市の地名である。
なので架空の離島の物語であるにもかかわらず、何となく耳馴染が良いという不思議な感覚で原作やドラマを見たものだ。
ドラマの収録は甑島ではなくここ与那国島で行われた。なぜこんな最果ての島をロケ地にしたのだろうか。甑島も僻地ではあるが、九州本土からそれほど離れていない場所なのでそれほどアクセスが難しい訳でもない。
落ち目の女優が自身の出演するドラマ撮影のために志木那島にやってくる、という話が原作本にある。何の娯楽もないような島にそうそうたる俳優や撮影クルーが押しかけてきたので島民の面々が浮足立つ、という情景が描かれていた。実際の甑島もそんな騒動になることを敬遠したのだろうか。いや、単に与那国島の方が空路でアクセスできて、それでいて僻地のような光景があちこちに広がっているからだろう。
ドラマのオープニングにも登場する、浜辺に打ち捨てられた廃船までそのまま保存されている。
建物の方へ移動してみると、他の観光客が2.3組先着していて建物の周りをうろうろしていた。時間は16時を回っているがまだ職員が到着しておらず鍵が開いていなかった。まぁ役場も何かと忙しいのだろう。
とりあえず自分も建物の周りを見学してみた。
壁面のくたびれ具合など、建てられて数十年は経っているかのような風合いだが、これは大道具さんの仕事によるもの。実際には建てられてまだ数年しか経っていない。にもかかわらずここまでエージングされた風合いを出せるのだから物凄い技術力だ。
この看板の色褪せ具合や錆のたれ具合などもリアルそのもの。大昔にこんなホーロー看板をどこかで見ているような気がする。
屋上にも登ることができ、掲げられている旗と写真などを撮っていたら5分ほどで職員が到着し解錠してもらった。
建物に入った後はめいめい好きなところを見学してよいそうだ。特に立入禁止の場所もなく、どこでも見られるというのは珍しい気がする。
建物の中もドラマで見たのと同じ風合いがそのまま残されていた。
人や物が通った時に触れてできたような壁のひっかき傷なんかまでちゃんと再現している。芸が細かい。
診察室にはカルテなどがそのままの状態で残されていた。もちろん小道具なのでニセモノだが。
どこかにある実際の診療所をモデルにしているようで細かい部分まで抜け目ない。
この作品を見た時の没入感が半端なかった(と言っても第一話から暫くの間、キャストが原作の雰囲気と大きく違うことに違和感は感じた)が、没入できたのは演者の演技力の高さやシナリオの緻密さもさることながら、このようにリアルにこだわったセットで撮影されていることも相乗していると思う。
セットと言えばこんなものもあった。
ヤシガニラーメンはドラマに登場する架空のインスタントラーメンなのだが、主人公のコトー(五島健助)はカップラーメンが大好物と言う、医者の不養生を地で行くキャラクターで、このラーメンも作品中に頻繁に登場する。
そういう小道具のひとつだが手に取ることが出来る。持った時に重さを感じたので蓋をそっと開けてみたら、中に金ちゃん飯店の麺とスープが入ったままになっていた。小道具が作られた時点で既にこの状態だったのだろうから既に賞味期限は過ぎているはず。別に蓋を開けて中身を見るシーンがあった訳でもないので、中身なんかあってもなくても変わらないと思うのだが、あえて中身を残しているあたりに小道具さんのこだわりを感じた。
小さな建物なのでじっくり見学すると言っても、ものの20分ほどで全部見終えてしまった。
このセットにお邪魔する時に職員からアンケート用紙を渡されていたので、最後に部屋の片隅の畳コーナーに腰掛けて記入することにした。
セットなのにこうして腰掛けても怒られないと言うのがなんか不思議だった。
アンケートはこのセットの活用に関するものだった。建物の開放や有料化に関する是非などが設問されている。
建物の開放と言うのは、今回もそうだが今は職員がいちいち建物の鍵を開けに来ている。希望の連絡がある都度来ているようで、それなりの負担になっているらしい。そこでもう思い切って開放して自由に見学してもらうのはどうか?と言うことだ。
そして有料化については、建物の維持管理をしていくうえでその維持に関するコストをどうするのが良いかという問いである。今はそのコストは税金によって賄われているので無料で見学できるが、財政的に豊かな自治体ではないのでその負担が無視できないものになりつつあるのだろう。受益者負担として有料化したいところではあるのだが、有料化することで見学する人が減ってしまうとそれはそれで維持費用が捻出できなくなるのでどうするのが良いか?という問いである。
どちらもこうした観光スポットにありがちな悩ましい問題である。流石に係員も立てずに開放したら物を壊されたり盗まれたり、と言うことも想定しておく必要があり、それはそれでコストがかかると思う。そもそも壊されては元も子もないので完全公開は得策ではないと思う。有料化についてはいくらかの入場料(訪問を見送る人が増えない程度の安価な額)を徴収して残りは税金で賄うのがよいのではないかと思った。維持に必要なコストが賄えて、町の負担を軽減し、見学者がそのくらいの金額なら支払ってでも見学したいと思えるような金額がどのくらいかを見極めるのはなかなか難しいとは思うが、島へ訪れたら宿泊もするし食事もする訳だからそれなりの経済効果も期待できる筈。そこは試行錯誤で。
とはいえ、映画はそれを知るものが徐々に少なくなっていく運命にある。北海道の夕張に幸せの黄色いハンカチのロケ地があるが、どんな物語か知らないので見に行く動機がない。このように物語を知らない人が段々と増えて行くので見学者数が漸減していくことを想定しておかなければならない。映画ならロケ地の辺りを観光する前に予めその映画を見てから訪問することも可能だが、テレビドラマだと再度作品を見る手段が限られるので知名度の低下がより顕著なものになるかもしれない。そう考えると少し前途多難である気がした。
でもドラマ自体はとても感動する名作なので、知らない人は見て欲しいと思う。そして末永く多くの人の記憶に留まるようこういった施設が残ってくれることを無責任に期待してしまう。
セットのすぐ近くには昔ながらの製塩所があった。小さい製塩所なので揚げ浜塩田方式で製塩している店なのではないかと思ってちょっと覗いてみたが、ここでは小売をしていないということで買えなかった。
日本最西端:
さて、時間はもう少しで17時になろうとしている。もうちょっとで日没だ。
ここは日本最西端の島である。と言うことは日本で一番最後に日が沈む場所と言うことだ。島には日本最西端である西崎(いりざき)という場所があるので、そこで日本の端っこにタッチしつつ本日最後の夕日を拝みに行ってみることにした。午後に入ってからいくらか雲も切れてきたのでいい感じの日没が拝めるかもしれない。
途中、Dr.コトーのTVドラマオープニングに登場する農道を通った。ドラマ内では晴れ渡る空の元、主人公がのんびりと自転車を漕ぐシーンが流れるが、今回はご覧のとおりちょい微妙。
そして西崎に到着。日本国最西端之地と書かれた石碑が置かれていて、西の端っこまで到達できたことを再確認する。
与那国島の向こうは台湾だ。かつては貿易による交流が盛んだったという。今日はその島陰は見ることが出来なかったが、台湾までは100キロほどなので空気が澄んで良く晴れた日であればここから台湾の山々が見られるそうだ。
あちこち寄り道しながらちょっとずつ進んできたので凄く遠い場所に来ている感覚が持てなかったが、東京からの距離は2000キロを超す。そう考えるとやはり遠い場所である。
日没を見届けるためにやってきたわけだが、日本で一番最後に日が沈む場所と言うだけあって、11月下旬の17時と言う時間であるにもかかわらず太陽は思いのほか高い位置にあった。もう一か所くらい寄り道してから来てもよかったか。この分だとまだ日没するまで小1時間くらいありそうだ。とりあえず園地の中を散策して時間を潰すことに。
駐車場に植えられたソテツの周りで何かをしているおばさんがいてカミさんが興味を示す。近寄って話しかけてみたら、ソテツの実を摘んでいるのだという。
食べられるんですかと更に聞くと、飾り付け用として集めているとのこと。食べれなくもないけどあまり食べないですね。と言う回答だった。
西崎の周辺には灯台などもあり、遊歩道が結んでいるのでブラブラと散策した。程よき所で戻って近くのベンチで一服しながらのんびり日没を待った。水平線付近に雲の塊があって水平線に沈む日没は見られなかったが、雲の向こうに太陽が沈んだ所まで見届けた。
久部良:
さてあとは夕暮れを待つばかり。だがまだ空は幾分の明るさを残しているので、完全に日が暮れる前にもう少しだけ見ておこう。明るいうちに見ておきたいと言うのももちろんだが、車の返却時間が近づいてきたのでのんびりしていられない、と言う理由もある。
島には主な集落が3つある。北岸に祖納、南岸に件のロケ地セットがあった比川、西岸に久部良(くぶら)の3つである。今からその久部良の港を見に行く。
久部良はカジキマグロ漁で栄えた集落である。その港の漁協もDr.コトーのロケ地として使われている。こちらは現役で使用されている建物だが、こうして比較すると診療所建物の古ぼかしの手法がいかに絶妙かが分かると思う。
この集落の近くにはクブラバリ(久部良割)と呼ばれる岩場がある。そこには幅3m、深さ5mほどの地面の割れ目があるのだが、それにまつわる悲しい伝説がある。
かつて島が琉球王国によって支配されていた頃、島民には人頭税と言う税が課せられていた。文字どおり1人あたりいくらと言う非常に乱暴な徴税で15歳になるとほぼ無条件に課せられた。その納税は作物によって行われるためそこに住む人の分だけ耕地が必要になる。だが島なので耕作に適する場所は限られており、人が増えすぎると納税に支障をきたすという問題があった。
だがそこに人間がいる以上どうしたって子供が出来てしまう。そこで苦肉の策として編み出されたのが、妊婦を連れてきてこの割れ目を飛び越えさせることだった。体育の授業で走り幅跳びをやったことがある人ならわかると思うが3m飛びきるのは男子でもなかなか難しい。しかもあれは砂地に着地するだけだから足を前方に投げ出して着地後に尻もちをついても良い訳だが、崖でそれをやると間違いなく後頭部から転落する。それを身重な妊婦にやらせる訳だからその難易度は走り幅跳びの比ではない。飛びきれなければ5m下の奈落に真っ逆さま。打ち所が悪ければ命はない。九死に一生を得て母体は生き残れたとしても、お腹の赤ちゃんはまず無事と言う訳にはいかない。
また運よく反対側に飛びきることが出来たとしても、足場の悪い場所で綺麗に着地なんかできる訳もなくやはり流産の危機をはらむ。
飛び越えられたら、なんて条件を付けているがそもそも生かすつもりなどなかったのだろう。そんな無理ゲーのようなことが行われていたのだから妊婦にとっては恐怖の対象でしかない。赤ちゃんが死ぬか自分も死ぬか。そのストレスで流産をしてしまう人も少なくなかったという。
一方、島内には他にトゥング田の伝説と言うものもある。これは何の予告もなく鐘や太鼓を打ち鳴らして田んぼへの集合を命じるもので、時間内に集まれなかったものは殺されていったと言う伝説だ。老人や病弱な者など労働力にならない者を口減らしするための風習であったという。
いずれも文献などが残されておらずあくまで伝説の域を出ない話であるため、真偽のほどは定かではないのだが、伝説にしては話が具体的でありストーリーの筋が通っていることを考えると、実際にあった話である可能性もある。と言っても年中やる意味はないので極限時に限ってやむなく行われたのではないだろうか。
ちなみにこうした残酷な風習にピリオドを打ったのが、前出のサンアイ・イソバであったとされる。
・・・となんだか見て来たかのような話しぶりで書いてしまったが、実は見に行っていない。漁港を見たあと程なく日が暮れてしまい、そのうえ一帯があまり整備されていないという話を聞いていたので、やむなく訪問を見送ったのだ。ここも次回訪問時の残課題だ。
民宿おもろ:
ということで島内観光は以上で終了。そのまま進んでいくとやがて島を一周して祖納の集落に戻って来る。我々が手配した宿は集落内にある、民宿おもろという宿だ。オモロー!じゃないよ、と言ってももう知らない人も多いのかな。。。
古民家風の、と言うか古民家そのものな外観の宿で、ここもまたネットでの評判が良かったので選んだ宿である。
(註:2020年に当時のオーナーが事業譲渡され、現在は旅の宿かふうと名称を変えて営業中であるとのこと)
民宿然とした佇まいは飾り気がなく、穏やかな時間が流れているような雰囲気を醸し出している。
ちなみに宿名の「おもろ」というのは、沖縄の古語で「思い」と言う意味らしい。宿に確認した訳ではないのでその意で合っているかは不明。
入口の扉を開けるとまず食堂がある。居酒屋の様な小上がりになっていてテーブルが並んでいる。奥の壁にぶら下がっている白衣は、Dr.コトーのなりきりセット、ということだ。まぁ、白衣を着るだけだから科学者になってしまう可能性もなくはないが。。。
その食堂を中心に左に風呂や洗面所への通路、右が個室へ続く通路、というちょっと珍しい作りになっている。珍しいと言っても沖縄古民家の一般的な作りを知らないのでこういう造りが一般的なのかもしれないが。
女将に案内された部屋は6畳の和室。部屋はこれまた独特で三方を通路に囲まれていて、残るもう一方が隣室という造りだ。なので屋外に面した窓がない。一応障子の張られた小窓はあるのだが、それらはいずれも内廊下に面しているため開放が出来ない。開けると通路から室内が丸見えになってしまう。
換気のためか天井に接している部分の壁面は木枠に桟が付いているだけになっていて、外の音も筒抜けだし中の音も筒抜けだ。こうした作りも、沖縄古民家では普通なのだろうか。
プライベートが一切考慮されていない空間に最初は面食らったが、まぁ見られて(聞かれて)困ることなど大してないので、やがて気にならなくなった。流石に大声で会話すると迷惑になりそうなので、終始ヒソヒソ話になってしまったが。
荷物を降ろして一息ついてからレンタカーを返却しに行った。幸いレンタカー屋の事務所がこの近所にもあって、そこで返却が可能だった。返却を済ませたあとその戻り道で街中を少し散策した。
島の夕食:
部屋に戻って少しして女将が部屋を訪ねてきた。今日は体調が優れず夕食が用意できないので、近所で済ませてくれないかとのことだ。
この宿は食事もおススメと聞いていたので割と楽しみにしていたのだが、事情が事情だけに仕方がない。ということで急遽ガイドブックをパラパラめくって店を探した。折角島に来たのだから寿司でも食べようか、なんていう意見も出たが、この島に回転寿司屋などない。普通の寿司屋はあるようだが料金が分からないので一見さんの自分らはちょっと入りにくい。
それで見つけたのが女酋長という店。ここはチャンプルーが美味しいらしく、じゃあそこで島料理を食べようと決めて街へ繰り出した。と言っても宿から店までは目と鼻の先。2、3分の距離である。
店の戸を開けると先客は1人のみで閑散としていた。中に入ろうとしたら店員が出てきて、今日は予約で満席だといわれた。そーなん。。。
おもろで夕食を食べそびれた人がこぞって押しかけているのだろうか。残念だが満席だというのだからどうしようもない。
完全にアテが外れてしまったので、後は現地調達するしかない。街中をブラブラと散策してめぼしい店を探す。と言っても外食の店は数えるほどしかなくさほどの選択肢はない。2,3見つけた店の前でどうするか話し合うものの、どれもイマイチ決定打にかけ、あーでもないこーでもないと言い合いながら結局決められずに何度も行き来してしまった。
いやいや、そんな悠長に悩んでいる暇はない。何ならもう少ししたら店が閉まってしまう。コンビニはないので店が閉まったら夕食難民確定である。結局切羽詰まった気持ちのままもうここでいいや、とラーメン屋の暖簾をくぐった。
とりあえず腹は満たされたが、正直あまり口に合わなかった。
宿に戻った後はシャワーを浴びておしまい。部屋で明日の準備を済ませて早々に就寝。