沖縄離島探訪【6】(2006/11/22)
大原港へ:
2006/11/22
夜寝ていたら腹の辺りに違和感を感じて何度か目を覚ました。痛いというほどでもないのだが、腹が張るというかそんな感じの違和感だった。
寝て寝られぬこともなかったのでそのまま朝まで寝て過ごしたが、なんだか寝不足気味だ。
目を覚まして上体を起こした途端、猛烈な便意を感じてトイレに駆け込んだら完全に腹を壊してた。昨晩何か悪いものでも食べたっけか。。。
腹は壊れているが腹痛はなく唐突に便意が来るだけの変な感じ。ただ何となくだるい気もする。念のためカミさんに熱を測ってもらったが特に発熱している訳でもない。なんだこれ。
とりあえず、腹を落ち着かせて食堂へ。今日は女将さんが早朝に出発する自分らのために特別に30分早く朝食を用意してくれている。
食欲は・・・あまりないのだが、折角自分らのために用意してくれたのにそれに手を付けない訳にも行かない。
食堂に行ったらおいしそうな朝食が並んでいた。食べたいけど食べたくない、これまた変な感覚に戸惑う。食事は見た目のとおりでとても美味しかったので、結局普通に完食してしまった。
が、出発の準備をしている間にも定期的に便意が襲来する。このまま出発して大丈夫だろうか。トイレが近くにない所で突然の便意が来たら窮地に立たされる。
女将さんに腹薬がないか聞いてみたらあるという。おお、聞いてみるものだ。ただしバラで渡せないので箱ごと買ってくれと言われた。そんなに要らないんだが背に腹は代えられないのでそれを入手。まぁ、困ったらこのお薬に助けてもらおう。
そんなこんなで出発の時間となったので、女将さんにお礼を言って宿を出発。昨晩から借りているパジェロミニに乗って大原港を目指す。
昨晩、西表島温泉に行った折に往復した道を明るい所で改めて走った。明かりが全く見えない道を走ったことで十分理解していたが、明るい所で見てもやっぱり何もなかった。
視界に入るのは海と森と自分が走る道路だけ。こんな場所が日本にもまだ残っているのだな、と感慨深い気持ちになる。
ちなみに昨晩通行を悩まされたカニの群れは朝には綺麗さっぱりいなくなっていた。何しに陸に上がっていたのだろうか。
この道の動物注意の標識の図柄がイリオモテヤマネコになっているのは割と有名な話。
運転中に標識は見かけていたのだが、自分は運転中でカメラが構えられないし、停まって写すほどの物でもなかったので写真に残さなかった。
記事をまとめる時にやっぱり撮っておけばよかったかなと少し後悔していたのだが、運転中に助手席でカミさんが回していたビデオカメラを見たら映り込んでいたのでキャプチャしてみた。ややブレているがヤマネコらしき生き物が書かれているのが分かると思う。
西表島温泉を過ぎて少し行った辺りに牛が放牧されているのが見えた。渋滞もカニの姿もなかったので思った以上に快走でき、このままだとだいぶ早く大原についてしまいそうだったのでちょっとだけ休憩。
牛たちはめいめい朝食の真っ最中だった。この牛たちは多分アレだろう。
反対側に目をやるとその向こうに島影が見える。由布島だ。西表島と由布島とを隔てる海は水深が浅く、水牛が引く牛車で渡ることが出来るようになっている。そこらで草を食んでる牛はここの水牛なのだろう。
これも西表島の名物観光のひとつだがこの時間は流石にまだやっていないし、訪ねている時間もない。また来ることがあったら今度は体験してみたいところだ。
小休止を挟みつつ進んで大原までちょうど1時間ほどだった。8:55発の船には充分間に合った。レンタカーを返却して港で乗船手続きを済ませると程なく出港。
腹は相変わらず微妙。少しでも寝ておこうと船に乗ったらそのまま船内でひと眠り。
与那国行きの飛行機:
石垣に到着して港に降り立ったらその足で空港まで行くバスに乗り継ぎ。バスに乗っている間にまた腹が騒ぎ始めたので、空港へ着くなりトイレに走る。何やってるんだろうね。カミさんも呆れている。というか心配してくれ。
与那国行きの飛行機は10:30発。
離陸したら石垣の市街地が良く見下ろせた。こうしてみると結構な街である。
離陸して暫くするとベルト着用サインが消灯してCAから飲み物が配られる。だが配布が済んでほどなく、
「ただいま前方に大気の不安定な場所があるため、機内が若干ゆれる場合があります。」
と、アナウンスがあって再びベルト着用サインが点灯した。
まぁ、そう言う経験が過去になかったわけでもないのでその程度なんだろうと思いながら、ベルトを締めて配られた飲み物を空けた。
その数分後、ズドン!!と言う衝撃と共に機体が数mほど落下した。いや、正しくは降下したなのだろうが、その時の衝撃はまさしく落下だった。機内のあちこちで悲鳴があがる。乱気流で機体がぐぐーっと急降下するようなことはこれまでにも何度か経験していたが、この衝撃的な落下は流石に肝を冷やした。
いや、マジで墜落するのかと思ったもの。
幸いCAも含めすべての乗員がベルトをちゃんと着用できたようで、飛ばされた人などがいなかったのが不幸中の幸い。
数年前に飛行機が乱気流に巻き込まれCAが飛ばされて重傷を負ったというニュースを見た記憶がある。今回の乱気流は誰も飛ばされずに済む程度のものだったが、それでこんなに肝を冷やすのだから、その時の乱気流はもっと強烈なものだったのだろうと思う。
それ以降は気流も落ち着いて大きな揺れもなく与那国空港に到着した。
与那国島:
さっきの積乱雲による降雨だろうか、与那国空港は雨で路面が濡れていた。雨が降った直後だからか少し肌寒さを感じたので、カバンに入れておいた長袖を羽織る(カミさんは最初から長袖)。
島旅39番目の島は与那国島となった。飛行機からエプロンに直接降りるので、タラップの降り口の前でちょっとだけVIPのような気分を味わった。
いや、そんな悠長なことをやっている場合ではない。荷物が出てくるのを待っている間に再びトイレに駆け込む。いつまで経っても落ち着かなくて困惑している。腹薬もう少し頑張れ。
このまま悪化して高熱が出たり、腹痛で進退窮まって救急搬送なんて事態にならなければよいが。。。
この島で借りるレンタカーは営業所が空港のロビーに併設されている。そこに行く途中にあった土産物屋などを冷やかしつつ店に向かう。
明日は宿をチェックアウトしたら石垣に戻ることになっているので、車は今日は夕方まで半日のレンタルとした。車を借りている間に島内を観光するつもりだ。
そのレンタカー屋は米浜レンタカーという地場の店だ。小さな事務スペースでおばちゃんが1人で店番をしていた。手続きを済ませると、車は駐車場に鍵付きで停めてあるからナンバーを確認して乗って行ってください、と言われた。駐車場でその車を探したらほどなく見つかった。この島でのレンタカーは濃紺のミニカである。
荷物を積んで運転席に乗り込むと、ハンドルだけがやたらと黄ばんでいる。熱でやられたのかななどと思いつつふとメーターの距離計を見たら16万キロを超えていた。随分と物持ちがいいことで。
島で16万キロはなかなか走れないと思うので、どこかでリースアップになった車を安く調達してきたのかもしれない。まぁ、ちゃんと走ってくれさえすればそれで充分。
ドアを閉めたらペコンと軽い音を立てた。なんともしみったれた気持ちになったがこれも離島の味わいだ。。。とは思えないなw
ティンダハナと崎元酒造:
とりあえず車を出発させ、まずは島の北東に位置する祖内(そない)集落の背後にそびえたつ山にあるティンダハナ(天蛇鼻、ティンダハナタ、とも称する)に行ってみることに。
ティンダハナの「ハナ」は崖を指す古い言葉である。聞き馴染みのない表現であるように思えるが、漢字で書くと鼻なのでどういう場所なのかは何となく想像がつく。この辺りの方言ではなく本土でもそういう名前が付けられている場所はあちこちにある。
与那国では崖のことを「ハナ」と称するが、沖縄本島だと「バンタ」、宮古島あたりでは「バナタ」などと変化する。以前宮古島に社員旅行に行ったときに伊良部島で見たフナウサギバナタもこれに該当する。
遊歩道入口前の駐車場に車を置いてそこから歩いて向かう。さっき雨が降ったばかりなので道が濡れている。こういう時ってハブが出るんじゃなかったっけ?与那国にハブは・・・いる。周囲に注意を払いながら恐る恐るその遊歩道を歩いた。
数分ばかり進むと崖がえぐれて片洞門のようになっている場所に出た。ここがティンダハナである。かつて当地を治めていたサンアイ・イソバと呼ばれる女酋長の根城があった場所とされている。
崖は祖内集落背後の高台にあり集落と東シナ海が一望できる。祖納集落は島の中心的な集落で町役場も置かれている。
これだけ見晴らしの良い場所なら、敵の襲来も良く見通せたことだろう。それにしても・・・天気が微妙だ。
そこから順路に沿って更に進むと、2、3人の島の女性と思しき人が白装束で祈祷している場面に出くわした。彼女らはウチカビ(打ち紙)と思しき紙の束を備えて、一心不乱に祈りを捧げておりその姿は真剣そのもの。我々が近づいたことにも気づいていないようだ。そうした儀式は沖縄の島々では一般的と言うが、これまで目の当たりにしたことはない。
それだけにどのような儀式なのか見てみたいと思ったのだが、なんの断りもなしの見学はのぞき見をしているようで気が引ける。でもちょっと見たい。。。そうして少し眺めていたら徐々に自分らが立ち入ってはならない場所に入り込んでいるような気がしてきて、だんだんソワソワしてきた。これはやはり見てはならないものなのだろうと思い、程なくその場を離れた。
という訳で次の見どころへ。次は琉球泡盛の酒蔵を見学しに行く。近くに与那国という泡盛を製造している崎元酒造という蔵元があり、見学可能とのことだ。というか我々の旅行において蔵元の見学は非常に珍しいイベントだが、ガイドブックを見ていたカミさんが泡盛の酒蔵を見学してみたい、と言い出したためだ。
工場に到着し店員に声をかけたらすぐに案内してくれた。酒蔵に入るとムワっとした酒の匂いが充満していた。流石酒蔵である、アルコールに弱い自分はこの臭いだけで酔えそうだw
店員がここで作っている泡盛の種類や醸造の工程などを懇切丁寧に解説してくれた。だが酒を飲まない自分には何が何やらw
カミさんが聞いているだろうからいいやと適当に聞き流してしまった。
説明は15分ほどだった。お礼を言って外に出る。ここは直売所も併設されていて作っているお酒を買うことが出来る。我が家は自分は下戸だしカミさんも家では酒を飲まないので自宅用は不要なのだが、知り合いに酒飲みがいるのでお土産として買って帰ることにした。
与那国は30度、45度、60度の3種類が売られている。どれも自分の感覚からしたらこんなの誰が飲むんだよ、と思うほどの度数だ。この度数が酒飲みにとってどういう位置づけになるのかよく分からないが、売っているということは飲むやつがいるということだ。
だが、買って帰ってこんなの飲めるか!なんて言われたら悲しいので、すんなりと手が伸びなかった。
色々見ていたらそれぞれの度数の物が100mlほどの小瓶に入ったセットが売られていた。これなら味見程度の量だから大丈夫だろうか。
かように酒が飲めない人が酒を土産に買っていくのは難しいものなのだ。
店を出てからカミさんに感想を聞いてみたら、話が長くて退屈だったと言っていた。自分が行きたいって言っていたのに。
なぜ酒蔵を見学したかったのかと更に聞いたら、試飲目当てであることを白状した。結局試飲にありつけなかったので不満だったらしい。なんだかね。
ちなみに、与那国にはもう一つ酒蔵があるのだが、そこが出している銘柄はどなんである。「どなん」と「与那国」、発音すると全く異なる言葉だが語源は同じらしい。と言うのも与那国方言ではyの音がdに変化する特徴があるそうだ。つまり、与那国の「与那」を与那国方言で読むと「どぅな」となる。つまりどなんだ。
どなんとはこの島が黒潮の真っただ中にあり、渡ることが困難だったことから「渡難」と呼ばれていたことが由来であるそうだ。
片方は試飲目当てで、もう片方はロクに聞いていない。不真面目極まりない見学者たちであったが、トイレだけはしっかり拝借した。
東崎の与那国馬:
続いてはテレビドラマDr.コトー診療所のロケセットの見学に行くことにしている。
この島は各所がそのドラマのロケ地として使われており、診療所のシーンで使うための建物も島内に建てられた。撮影後はこれを島の観光資源として活用するため町が取得し、現在もそのまま残してあるそうだ。
自分はこのドラマの原作となったコミックが好きでドラマの方も見た。なのでこの島に来たからには絶対に見ておきたい場所である。
上述のとおり町で管理しているので、見学するためには事前に町役場へ連絡を入れる必要がある。
と言うことで連絡してみると、現在建物は施錠されていて外部の見学しかできないのだが、16時になったら解錠しに行くのでそれ以降であれば内部の見学も可能です、との回答だった。どうせなら建物の中も見学したい。時計を見るとまだ14時で今から行くとちょっと早い。そこでその間に他の見どころのチェックを済ませておくことにした。
まずやってきたのは島の東端にある東崎(あがりざき)。ここには日本の馬の在来種である与那国馬が放牧されているそうだ。
岬の入口の道路上にテキサスゲートが設置されていて、そこから先が放牧エリアとなっている。ゲートと言っても門がある訳ではないので見た目にはただ道が続いているようにしか見えない。詳しくはリンク先を参照いただきたいが、ひづめを持つ生き物はひづめが嵌りそうな場所を避けるという習性を利用して地面に溝を切っているのだそうだ。いわば見えない壁である。このようなもので敷地外へ出ることを防げるのだから面白い。
通過するとそこらじゅうに馬の姿。本当に敷地の外に出ていない。我々の姿を気にするでもなくめいめい好き勝手にやっている。
車を駐車場に停めて少し散策。馬が自由に動き回っている場所なので道の至る所にふんが落ちている。
それを踏まないように気を付けながら歩いていると、カミさんが自分のカメラを持って好き勝手に散策を始めた。
それから暫くして戻ってきて、撮影した画像を見ろとカメラを渡してきた。
何か珍しいものでも撮影できたのだろうかとカメラの画像を再生したら。。。
馬糞にキノコが生えていた。ちょっとあんまりな写真なので最小サイズで掲載する。ピンボケでよかったw
クリックしても大きな画像は出ないのであしからず。