奄美大島上陸【9】(2007/09/21)

諸鈍集落:


とりあえず諸鈍へ向けて車を走らせた。道は大和村や宇検村辺りの県道よりもさらに一回り狭い。ほぼ一車線しかない道が海岸と山肌に沿って続いている。しかもそこかしこで補修工事が行われていて何度も足止めを食らう。そしてその現場を行き来するダンプも多い。細い道のカーブの向こうからダンプがぬっと現れると流石にドキドキする。神経をすり減らしながらの走行だった。

で、どうにか生間に到着。諸鈍に近い集落だから多少の賑わいがあることを期待したがここも小さな集落に過ぎず、飲食店や売店は見当たらなかった。ダメもとでフェリー乗り場の詰め所にいたおじさんにこの辺りで食事ができるところがないか尋ねてみたら、生間に飲食店はないとのこと。ないのか。。。
食い下がって売店とかでもいいんですがと更に聞くと、それも生間にはないが諸鈍に1軒あると教えてくれた。

諸鈍でも1軒か・・・、いや1軒でもあるだけマシ。おじさんにお礼を言って諸鈍へと向かった。小さな丘を越えたらすぐ諸鈍集落だ。

 

道なりに海岸沿いに延びる細い一本道を進んでいくが売店らしき建物が見当たらない。キョロキョロしているうちに集落の突き当りが見えてきた。と丁度そこに郵便局があったので売店の場所を尋ねてみたところ、ここから1本内側の通りを進んでいくとすぐにあると教えてもらうことができた。

 

その店は集落で昔からやっているよろづやみたいな店で食べ物以外のものも売っている、というか食べ物以外がメインで食べ物は店の片隅の小さなワゴンにちょこっと乗っているだけだった。そこ置かれているのは菓子パンのみ。まぁ胃袋に入るものなら何でもいい。

・・・なんて思いながら、手に取ってどれを食べようか選んでいたら、菓子パンの袋のひとつにアリが数匹入り込んでいて袋の中でパンの周りをウロチョロしていた。流石にこれはドン引きである。とはいえ店はここしかない。ここで買わなければこの島で食べ物を食べることはできないと思った方がよさそうだ。

ということで袋の中を念入りにチェックして大丈夫そうなパンを2つほど購入した。

 

デイゴ並木とリリーの家:


それからデイゴ並木のある海岸まで移動し浜辺に腰を降ろして昼食となった。
浜辺でランチと言えば聞こえはいいが食べているのは怪しい菓子パン、風情もへったくれもない。綺麗な白い砂浜に波がザブザブと押し寄せる。雰囲気は最高だが食べているのは怪しい(以下略)。

1人1つの菓子パンはあっという間に食べ終わった。

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これが諸鈍の浜辺のデイゴ並木。ちょっと構図がイケてないので並木加減が分かりづらいが。
で、ここのすぐ近くにリリーの家というのがある。リリーの家とは何ぞや。

 

日本を代表する映画作品である男はつらいよ。海外ではTORA-SANと呼ばれて日本風俗や日本人の心意気を伝える映画としてつとに有名であると高校の英語の授業で習った。なんかその解釈は間違っているような気がするがそれはいいとして、寅さんを演じる故渥美清の遺作となった第48作の舞台がここ加計呂麻島なのである。

寅次郎の甥である吉岡秀隆演じる諏訪満男(パーマンの主人公の名前と同じ(漢字は違うが)なのは偶然?)が、浅丘ルリ子演じるリリーが暮らす加計呂麻島へやってきて、そこへリリーと半ば同棲状態だった寅次郎が帰ってきて、、、というシーンでこのリリーの家が登場する。
準備のいいことに旅行計画中に加計呂麻島へ行く可能性があることを知ったカミさんが、近所のレンタルショップで作品を借りてきてくれたのでロケのシーンは事前に学習済みだ。

だが海岸に沿って建ち並ぶ民家はどの家も似た雰囲気の外観をしていて、どれがリリーの家か特定できなかった。
どうしたものかと思って周りを見回すと、日向ぼっこをしていたオジイがいたので声をかけて家の場所を教えてもらった。

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微妙な切り取りで恐縮だがこれがリリーの家だ。

建物と海岸を隔てる塀は厚みのあるコンクリートの塀になっている。満男がこの塀から身を乗り出して家の中にいる寅次郎に話しかけるシーンは見覚えがあった。が、その塀は今目の前にある塀よりもっと高いものに見えた。それもあってなかなか見つけ出せなかったのもある。

ご覧のとおり建物は雨戸を閉ざされて中の様子は分からない。現在この家は住人不在だが管理はされているので敷地内立入は不可とのこと。

 

こうして聖地巡礼をするとその作品に対する思い入れが強くなる。シリーズ作品だったりすると他の作品も見てみたいな、とつい思ってしまうが、男はつらいよシリーズは1969年に第1作が公開された超ロングラン作品。上述のとおり48作(特別編を含めると49作)からなる超大作なので全作品を見る時間は流石に取れない。。。

老後の楽しみかな、なんて思ったりもするが見たら行ってみたくなるが体力が、、、なんてことになって、それはそれで悶々とさせられそうだ。

 

安脚場戦跡:


さてリリーの家の見学も済んだのでもう1か所付近の見どころを訪ねてみたい。その見所は安脚場(あんきゃば)戦跡という。
集落から北に進む道を進んでいくとほどなく渡連(どれん)集落の裏手に出る。正面に海が見え堤防が連なっているのが見えるが、戦跡へ行くのにどちらへ進めばよいのか案内がなかった。この辺りの道は細街路過ぎてカーナビにも道が表示されおらず頼りにならない。

自分の前を走っていた車も目的地が同じらしく、浜に出る交差点の手前で車の速度を落としてどちらへ曲がればよいか考えあぐねているようだった。その車は後ろから我々の車が追い付いたのに気づいてさっと左へ曲がって行った。

何となく左は目的地とは違う方向であるような気がした。もしその予想が正しかったら、さっきの車がどこかでそれに気づいて折り返してくる可能性がある。だが道幅が狭いのでその状態で戻ってきたらすれ違いに往生しそうな気がする・・・、というようなことをとっさに考えて自分は右へと進んで見ることにした。右折した先は浜辺の先端に突き出た岬があって道がそこで突き当りのように見えた。

右じゃなかったかな、と思いつつそのまま進めるところまで進んでみよう(というかUターンができない)と更に車を走らせて行ったら、岬に突き当たる手前で再度右へと入っていく道が分かれて、それも道なりに進んでいったらようやく戦跡を案内する標識が現れた。こんな所に掲示されてもなぁ。。。

ずっと進んでいくと車止めがあってそこが駐車場となっていた。車はここに置いて後は歩きだ。ここにたどり着くための難易度が高めだった割に戦跡が点在するエリアは公園としてしっかり整備されていて歩きやすい遊歩道になっていた。坂道なので疲れるが。

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ツタが盛大に巻き付いているこの建物は弾薬庫だった建物だそうだ。扉もなく出入り自由だが暗くて不気味な感じがしたので中には入らなかった。

多分元々は頑丈な扉が取り付けられていたのだろう。その蝶番部分とロッカーが付いていた場所が破壊されているのが見えるが、その破壊の雑さ加減といったら。。。取り付けられていた部分がコンクリートごとごっそり削り取られたようになっている。再利用できないように破壊したのだろうか。

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さらに遊歩道を進んでいくと、ひときわ大きな建物が建っているのが見えた。

この建物は金子手崎防備衛所という。一見平屋建てのように見えるが2階建てになっている。
ここもご自由にお上がりください状態で入口が開放されていた。こちらは窓も多くあまり不気味な感じもしなかったので、ちょっとお邪魔させてもらった。

一連の施設は昭和16年に整備されたものだそうだ。奄美大島と加計呂麻島の間の海峡は大島海峡というが、この海峡は地図で見てもらうと分かるとおりとても入り組んでいる。そのうえ水深も深いので海軍の戦艦の停泊地として利用されることになった。

この場所はその大島海峡の入口に位置している。大島海峡の防衛のために砲台などが整備されたのがこの安脚場砲台である。

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この部屋は八角形になっている。現在は窓の向こうに木が茂っているので風流な部屋でもあったかのような雰囲気すら感じられるが、恐らく当時はこれらの木々は綺麗に伐採されて海の向こうまで見渡せたことだろう。

ここで何らかの監視を行っていたのではないかと思う。まぁあまり軍事関係は詳しくないので、その辺は詳しい人に任せたい。

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奥に見える階段を登ってみた。
階下に木造の小屋のような物と濡れ縁が見えるが、実際木造のちょっとした小部屋のようなものがある。何に使われているものかは不明だが戦前からあったものではないと思う。

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登った先にはちょっとした小部屋とベランダがあった。監視などを階下の八角形の部屋でやっていたのだとしたら、この部屋は応接などをする部屋だったのかもしれない。

リライトに際し2023年時点で再チェックしたところ、建物の老朽化が進行して崩壊の危機があるとかで現在建物は立入禁止となっているそうだ。もっと具に撮影しておけばよかった。

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こちらも弾薬格納庫の建物とのこと。ガラスや扉は全て外されており中もがらんどうだが、あまり傷んだ感じがないので建築途中で放棄された建物のようにも見える。流石にこんなところまでヤンチャ坊主がやってくることはないらしく、落書きも目立たず非常に良い状態で保存されている。

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以前、横須賀の沖合に浮かぶ猿島を散策したことがあった。あそこは気軽にアクセスできる場所にあるせいか大いに荒らされてしまい、全ての施設がこんな具合に封鎖されてしまった。そのことから考えると内部の見学もできるこの施設の貴重さがが分かると思う。

Posted by gen_charly