小笠原上陸【24】(2008/09/14)
父島散策 - 中央山:
珍しいものが見れた幸運に気分を良くして山を登り詰めていくと中央山への登山口がある。
登山口と言っても既に結構な標高を稼いでいるので山頂はすぐそこにある。歩いても5分位だ。せっかくなので山頂まで往復することにした。
ちなみに写真に写っている2台が我々が借りたスクーターである。母島で借りたバイクより丸みを帯びたデザインになっていてより近代的な雰囲気だ。そして黄色のボディがトロピカル。父島タクシーの中では古い物とのことだがそんなに古そうには見えない。
それはさておき、こちらがその登山道。薄暗い場所で撮影したのでブレてしまったが、こんな具合に車が通れるくらいの広さがある。なので登山をしている趣は全くない。
てくてく進んでいくと程なく視界が開けて山頂に到着する。
中央山山頂。その名のとおり島の丁度中央に位置する山だ。相変わらずシンプルな命名である。
標高は319mとそれほどの高さではないが父島第2の標高を誇っている。
実は数年前まではこの山が父島で一番高い山だと言われていたのだが、改めて測量をやり直したところ中央山の東にある無名のピークがここよりもわずかに標高が高いことが分かり、父島最高峰の座を明け渡すことになってしまった残念な山でもある。
頂上広場には展望台があり、そこから四方を見晴らすことができる。見える景色を解説するイラストもついているので親切。
上の写真はその展望台から眺めた東側の風景。夜明道路より東側はほとんど利活用されていないこともありその景色に名前がつけられているところが少ない。解説板もシンプルである。
写真正面に横並びに同じくらいの高さのピークが3つあるが、そのうち一番左のピークが新たな父島の最高地点となった山だ。だが名前はない。イラストの方も「父島最高峰」とだけ書かれている。
アクセスするための登山道などはないらしいのであそこに立つのは至難の業であるが、標高はここと大して変わらないので景色を得る目的なら登る必要はない気がする。
こちらが南方向の景色。前方に時雨山、躑躅山が横たわっている。丁度さっき虹がかかっていたのがあの辺りである。流石にここからはもう虹の姿は確認できなかった。光源がさっきとは逆になっているから見えるわけがないんだけども。
その背後、水平線の彼方にうっすら見える島影は母島だ。
西方向には明日上陸予定の南島が見える。一昨日は上陸中止となってしまった島だが、今日はどうだったのだろうか。見る限りあまり波も高くはなさそうに見えるから今日はうまく上陸できたのかもしれない。いや、明日が大事なのだ。是非とも上陸を果たしたいと考えているがすべては明日決まる。もし無事上陸出来たらお慰み。
そして北。二見湾を囲うように大村の集落があり、その背後を三日月山が衝立のように覆っている。
右の方におがさわら丸が停泊しているのが見える。船の大きさと比較することで集落の規模が大体分かる。大村は母島の沖村よりは遙かに大きな集落だが、こうしてみるとやはり小さな集落である。
広場にこんなものがデンと置かれていた。最初はマンホールだと思っていたのだが、近くへ来てみると戦争の遺構のようだ。この場所で野晒しのまま戦後半世紀あまりを過ごしているので、鉄はサビてボロボロである。
真ん中と左側に空いた穴から鉢植えの植木よろしく草が生えている。これも固有種だろうか。その感じがフォトジェニックだなぁと思いながら1枚撮影。濡れて薄日が当たるそのテクスチャはなんだか廃墟系サイトのトップ写真とかに使われていそうな雰囲気を醸し出していたた。
ちなみにこの物体が何なのか帰宅後に調べたところ、電波探信儀(電探)の台座だそうだ。と言ってもそれがどんなものか分からないが。
父島散策 - 中央山~旭山のあたりにあるもの:
さて、上の大村集落と三日月山を写した写真でも分かるとおり、空の色がだいぶ赤くなってきた。気づけばもう間もなく17時になろうとしている。そろそろ本日の散策を締めくくらなくては。
三日月山の山頂にウェザーステーションという場所があって、そこが夕日のメッカなのだという。折角だからそこで水平線に沈みゆく今日の日没を拝んで散策を締めくくりたい。
まだこの先には点々と見所が散らばっている。流石に全部をフォローすることは無理そうだが、いくつかピックアップして立ち寄っておきたい。ただしあまりのんびりしていると日没までにウェザーステーションまでたどり着けなくなる。そのさじ加減は空の色を見ながら決めたい。
まずはJAXAの小笠原追跡所。種子島のロケット発射台からロケットが発射されたときに、その行方をここで追跡しているそうだ。その門はがっちりと塞がれていて全く立ち入る余地はない。
どうにか立ち入ってみようというモチベーションもなかったので門を見ておしまい。
そこから少し進むと夜明山の碑というものがある。碑と呼ぶにはややアバンギャルドなデザインになっているが柱状節理でもモチーフにしているのだろうか。
「時空を超えて 南へ一〇〇〇km 夜明けを迎える島 夜明山」と書かれていた。随分と壮大な書き出しだが、なんかあまり意味のあることを言っていないような気がするのは気のせいだろうか。
その背後に見える室内干し用の物干し台のような形のアンテナは何の施設か、どこが設置したものか特に解説等がなかったので不明だった。
この脇にある歩道を進んでいくと初寝浦展望台があるらしい。やっぱり行っている時間がないので省略。
で、この怪しげな銅像はその名も首無し尊徳像という。ご覧のとおり二宮尊徳の像だが首から上が無くなっている。
写真がブレているのはそれに動揺したからではなく単純にバイクにまたがったままシャッターを切ったせいだ。コンパクトデジカメの液晶は画面が小さいので画面で確認するとちゃんとピントが合って見えるのだが、帰宅してパソコンで開いてみるとブレてました、なんてことが時々ある。いちいちズームして確認すれば防げるのだが自分は撮影するとすぐ次へ進んでしまう癖があるので結構これをやらかしてしまう。
さてこのおどろおどろしい尊徳像はもちろん元々首から上もちゃんとあった。この首を落としたのは島に駐留していた米軍兵だという。戦後島が占領されている間に切り取って持ち帰ったらしい。何のために?
(戦争が終わって)にっくきジャップの首が捕れなくなってしまったから、腹いせに犯行に及んだとかだろうか。悪趣味すぎる。
実際戦時中は戦闘により殺害した日本兵の首(ないしは頭の骨)を本国にお土産として持ち帰ることがままあったらしい。生きるか死ぬかの極限状態の中でまともな判断ができなかったことは責められないが、だからといって銅像の首を持って帰ってもねぇ。。。今でも本国のどこかにこの首が転がっていたりするのだろうか。
さらに進むと今度は国立天文台の電波送信施設(現:VERA小笠原観測局)がある。こちらは門が開放されていて中に立ち入ることも可能っぽかったが、日没まで待ったなしの状況になりつつあったので、結局外観のみ一瞥してスルー。まぁメイン施設のパラボラアンテナはご覧のとおり中に入らなくても充分見学できる。
父島にはこのように地理的な条件を活かして科学技術系の様々な団体が施設を作っている。探せば他にもあるのかもしれない。
旭山を回り込むように進むと今度は道が下りに転じる。ここからはつづら折りを繰り返しながら麓まで一気に下っていく。
西側を遮る旭山の山体をやり過ごしたので、再び三日月山が見えるようになってきた。ら、もう三日月山の山頂辺りに太陽がかかっていた。
あそこに行くまでにまだ少し時間がかかりそうだが間に合うだろうか。。。