小笠原上陸【18】(2008/09/14)
母島散策 - 戦跡とか六本指地蔵とか:
再び北進線に戻り、沖村方面に進んでいくとほどなく砲台跡地入口と書かれた看板がある。太平洋戦争の頃に島に多数作られた軍事施設のひとつだそうだ。他の場所に作られたそれらは既に朽ち果てているか撤去されていることが多いが、ここにはまだそれほど朽ちていない物も残っているらしい。
貴重な物ということで見に行ってみたい気もしたのだが、ここから5分ほど歩かなければならないらしい。そうしてまで見に行きたいかというとそこまで興味がない。天秤にかけた結果ここも見学はパスした。
そこからすぐの所に六本指地蔵というものがある。その名のとおりお地蔵さまが祀られているのだが、何故かは不明であるもののそのお地蔵さまが錫杖を持つ手の指が6本あるらしい。
こちらは都道から見える所にあったのでバイクを停めて寄り道。お地蔵さまは遠目で見る限りどこにでもありそうなものにしか見えないが、近くへ寄って指の数を数えてみたら確かに6本ある。といっても多分オカルト要素はない筈だ。
今となってはこれを製作した人が誰だかも分からず、また疎開で島を離れている期間が長く歴史的な断絶を挟んだせいか、ここに置かれた由来なども不明らしい。案外そういうオカルト要素を混ぜ込むことによって、後世の人がなぜそうなっているのだろう?と不思議がるのを想像しながらいたずら心で作った、なんてのが真相かもしれない。知らんけど。
しかし六本指と書かれると一瞬六本木に見える。そこが狙いだったら座布団一枚である。
そして六本指地蔵の道向かいにあるのが探照灯基地跡。こちらも道からすぐの所にあったのでついでに覗いてみた。近づくとトンネルが口を開けている。地下壕の入口だろう。その中に何かガラクタのようなシルエットが見えたがそれがなんであるかはよく分からない。
フラッシュ撮影をしたら中にあったのがこれだった。探照灯というものの残骸らしい。夜間に敵機が近づいてきたらこれで照らして一斉に攻撃するために使うのだそうだ。
終戦後日本が再び軍事力を蓄えられないよう、米軍はこうした軍事に関連するものを徹底的に破壊し尽くした。ただ破壊したあと片付けをしないので、こうして残骸があちこちに残る始末になっている。
他の方が戦跡ガイドの案内で先ほどの砲台やこちらの探照灯基地を探検した際のレポートを掲載していたが、こうして案内看板が出ている範囲で見られるのはそれらのほんの一部で、そこ以外にも島の各所にこうしたものが残されているらしい。ただしそれらは地元で綿密に調査されているガイドが同行しないとまず辿り着くことが出来ないそうだ。
もはや時間切れである。今回もいくつかの見所をスルーせざるをえない結果になってしまったが、とりあえず沖村に戻る。やはり母島をじっくり探索するには2日以上のまとまった時間が必要だ。次回こそ。。。
母島散策 - ロース記念館:
時間切れと言ってもそこまでギリギリではない。沖村の集落の様子がまだちゃんと見られていないのでその分の時間も残した上での時間切れである。
行きにかかった時間を考慮して若干急ぎ足で戻ってきてしまったせいか、集落に着いた時点で想定より10分ほど早着した。10分で何が出来るかと言われると微妙だが、とりあえず建物の外観だけでも写真に撮っておこうとロース記念館に立寄ってみた。
こちらがロース記念館。ロースと言っても肉の部位の話ではない。母島で産出される凝灰岩はロース石と称される。加工が容易なうえ耐火性にも優れた石で、かつて島内ではよく使われていたらしい。この建物の壁がそのロース石を組み上げたものになっている。
このロース石を発見したのが、ドイツから移住してきたフレデリッキ・ロルフスラルフという舌を噛みそうな名前の人物だ。彼は日本人が入植するよりも前にこの島に移住しており、後に入植してきた日本人にこの石の利用法を伝えたのだという。
ロルフスラルフという名前が訛ってロースとなったとのこと。だいぶ訛りすぎている気がするが。
しかし、島でほぼ孤独に暮らしてきたであろうロース氏はゾロゾロと島に渡って来た日本人を見てどのような気持ちになったのだろうか。孤独を紛らわす仲間と思ったのか、はたまた楽園を汚す侵略者と思ったのか。自ら残留して定住することを決めたのであろうから後者であるような気もする。だが多勢に無勢で反撃もままならず渋々共存することになった、なんて話だったら悲しいが。
庭の一角にロルフスラルフの胸像があった。いかにもドイツ人っぽいいかつい表情をしている。で、その前にしゃがんで碑文を読んでいる女性がいた。観光客かなと思ったらここの館長だった。毎日読んでも飽きない味わい深い碑文なのだろうか。軽く挨拶をしたら、中も見て行ってくださいねと声をかけられた。のんびり見学する余裕はないのだが、折角なので建物の中も見学させてもらった。
記念館の中にはかつて島の生活に使われていた様々な道具などが展示されていて、さながら郷土資料館のようだった。それらをざっと眺めていたら館長も建物の中に入ってきて色々話しかけてきた。
まぁ、島で何してました?とかそういった雑談なのだが、次々と矢継ぎ早に話しかけてくるので展示物の文章を読む暇がない。時間があれば話の後ゆっくり読めば良いのだろうが、もう宿に戻らないとならない時間なので読みたいのに話し相手をしなければならずもどかしかった。
結局殆ど読む時間が取れないまま、後ろ髪惹かれる思いで館長の話を切り上げて記念館を後にした。ネット情報でおしゃべりが好きな館長である、と書かれていたが、まさしくその前評判のままの人だった。
ロース記念館からつきまではバイクなら1分くらいだ。バイクの給油をしに行こうと思ったのだが、出発前にガソリンスタンドの場所を聞きそびれたまま出発してしまったので、教えて貰うために一旦宿に戻ってきた。
主人を捕まえてガソリンスタンドの場所を訪ねたら、こっちで入れとくからいいよとサービスしてもらうことが出来た。島の南北を往復しただけだから多分1リットルも使っていないとは思うがありがたかった。
ガソリンスタンドへ行かずに済んだのでそのまま部屋に戻ってチェックアウト。荷物は出発前にまとめてあるので荷物だけ持ち出してすぐにチェックアウトした。これで出港までの残り時間はあと30分であった。
最後にその時間を使って集落を散策してみようと思う。