小笠原上陸【36】(2008/09/16)
中山峠:
2008/09/16
ジョンジニに行くなら夜明け前の起床がマストだったのだが、女将からのアドバイスを受けてあっさりと撤回。なので朝も少しゆっくり目に6時半起床となった。
今日は小笠原滞在の最終日。気が付けば竹芝を出発してから5日が経過している。そう考えると長い感じがするが、滞在中ずっとあちこちほっつき歩いていたのでそれほどの時間が経過した感じがしない。むしろまだ物足りない。やはり2航海で来たかったな。
なんか、今日はやることがないから海岸でのんびりするかぁ、みたいなタイミングが一度もなかった。何やってるんだろという気持ちにならないこともなかったが、まぁ、それがウチらの旅行スタイルだ。
ということで起床して朝食を頂きに食堂へ移動。宿メシが旨すぎるので次の食事の時間が楽しみでしょうがない。
果たして食堂にやってくるとこのオシャン具合ですよ。カメラワークが下手くそすぎてあまりおいしそうに見えないのが残念だが。
食事を済ませて、荷物をまとめて部屋を片付ける。今日父島を発つ船は14時に出港する。それまでが最後の自由時間となる。宿メシはもう充分すぎるほど我々の舌を楽しませてくれたが、折角父島に訪れているのだから一度くらいどこかの飲食店で食事をしてみたい。出港前に食事の時間を確保するとなると戻りは12時くらいだろうか。それまでの間に中山峠まで登ってみようと思う。
宿のチェックアウトは10時なので一旦部屋から荷物を出すが、これを持って中山峠には行けないのでフロントで預かってもらった。
中山峠は父島の南西部、小港海岸を囲む半島の中程に位置している。地図で父島を上から見ると首をかしげたゆるキャラのような形に見えるが、その左足部分と言えば伝わるだろうか。ちなみに前述のとおり中山峠をそのまま先に進んで行くとやがてジョンジニへと至る。峠の先へ足を踏み入れるのは島に2航海で訪れることができた時までお預けだ。
中山峠への登山道は小港海岸の一角にあるので、まずは都道を南下し小港海岸まで向かう。
小港海岸の辺りは小港園地と呼ばれるちょっとした公園のようになっている。その中を通り抜けて傍らを流れる八ツ瀬川に掛けられた歩道橋を渡るとその先が登山道となる。
八ツ瀬川。離島にしては珍しく水量の豊かな川だな、と思ったが、よく見ると海に注ぐところが砂で埋まっている。なので天然ダムになって水が溜まっているだけらしい。
橋の突き当りには柵が設けられていた。何やら柵の設置理由っぽいことが書かれたものが掲示されていたが何と書いてあったかは忘れた。多分ヤギをこちら側に来させないようにするためだと思う。
一瞬、立入禁止なのかとドキドキしたが、近くまで行ったらカギはかかっていなかった。
柵を開けてその向こう側へ入るとすぐの所に棒切れが落ちていた。カミさんがそれを指さして、杖あるよラッキーだね!と言った。棒切れを杖に見立てるなんて発想が逞しいなと思ったら、これは前にここを歩いた人が置いて行ったものなのだという。
自分はカエル岩の一件もあり、また騙してからかっているんじゃないかと思い、訳知り顔で話すカミさんの言葉を鵜呑みに出来なかった。またまたぁ上手いんだからぁなんて答えていたら、前に登山した時に同じような光景を見たのでこれは本当に杖なんだと力説した。
そこまで言うならと落ちている棒の中から1本適当に拾い上げてみたら、確かに杖として使うのに充分な強度のあるものだった。体重をかけてもしならないのでこれなら杖として役立ちそう。まぁただの棒きれだったとしても杖として使えるなら良いではないか、ということで山登りのお供に1本拝借することにした。
道は柵の先ですぐ上り道になった。とはいっても母島の小富士頂上手前の登りの険しさに比べたらなんと言うことはないレベルだ。遊歩道を散策するくらいの軽い気持ちで進む。
その道は土の歩道が続いていると思ったら、
傾斜の急なところは擬木を組んだ階段が拵えられていたりする。
そして場所によっては写真のように石畳風になっている場所もあった。歩きやすいと言えば歩きやすいが流石にこれはやりすぎではないだろうか。
登っていく途中に景色が開けた場所があった。奥に見えるのが時雨山や躑躅山(つつじやま)である。
見渡す範囲に一切人工物がないので、ギザギザとした山なみと相まってなんだか東南アジアあたりの熱帯雨林のような風景を連想させた。
やがて今度は右手側の景色が開けてくる。眼下は太平洋だ。
そうした景色の中を少し歩くと中山峠に着いた。あれ?もう着いたのか。まだ登り始めて20分経ってない。あまりにあっという間についたのでちょっと拍子抜けである。
他の見所でも見かけたが、峠には立派な看板が設置されていた。流石東京都だな。こういうのを木や擬木でやらないのが東京都、シュッとしているw
看板の下半分に書かれている解説は中山峠についてではなく、南島を含めた沈水カルスト地形の物だった。何故ここに。まぁそれだけ沈水カルスト地形が珍しいのだろう。
峠の周辺には草木があまり育っておらず岩がむき出しになっている。そこで撮影した写真が結構な高山の頂に立っているかのような写真っぽかった。格好がハイキングスタイルなのでよく見ると違和感だらけだが。
眼下には小港海岸が一望できる。その斜面は結構な急傾斜で落ち込んでいて、ギリギリの所に立つと足がすくむ。南島ツアーで船から見た海岸もそうであったが、この辺りは石灰岩の地質になっているせいか、海食崖が発達していて切り立っている場所が多い。
その向こうはコペペ海岸や、野羊山、更に背後に三日月山と大村集落、遠くに西島も見渡せた。なかなかの島なみであるが、瀬戸内辺りで見かける島なみともまた異なるワイルドな印象がある。
そこから振り返ると険しい山なみが広がっている。特に真ん中のギザギザした山は衝立山(ついたてやま)という。だれうま。
峠は写真のような細い尾根に位置している。両側が切り立っているさまが分かると思う。傍らには日よけの効果が全く期待できなさそうな小さな東屋がある。
折角あるのだから小休止しようかと近寄ってみたらヤギのフンだらけだった。。。というか、そこいらじゅうにフンが落ちている。♪奈良の春日の青芝に~状態wしかし凄い歌だな。
耳を澄ましていると麓の方から時折ヤギの鳴き声が聞こえてくる。島ではこのところヤギが繁殖して問題になっている。あまり植生を食い散らかされてしまうと島の生態系のバランスが崩れてしまううえ、裸地化は土砂崩れなどの原因にもなる。だから適当に間引くなどしてバランスを取って行く必要があり、最近では駆除対策もその効果が徐々に出てきているそうだ。
植生を食われすぎるからと駆除しなきゃと言ったかと思えば、反対に雑草が生えて困る所にヤギを放したら片っ端から食ってくれるので助かるなんて言っている。なんか人間の都合だな。
峠の広場の目立つところにコンクリート柱が立てられていた。近づいてみたら父島要塞第ニ?地帯標と書かれていた。丁度「二」と書かれているであろう場所が中途半端に削れていて、二なのか一なのか工なのか判読出来なかった。
戦時中に建てられたものと思うがわざわざこんなコンクリート柱を立てちゃうところが律儀というか何というか。
尾根の反対側もその麓はまた海岸となっており、左側にちらっと見える砂浜はブタ海岸と呼ばれている。小さな岬を回り込むようにして波が流れ込んでいて相当に複雑な海流が渦巻いているように見える。
というかブタって豚のことだろうか。兄島のキャベツビーチもそうだが、小笠原には由来がよく分からない地名が点在している。母島のワイビーチみたいに英語では別の単語だったものが日本人フィルターで訛ってブタになったとかはあるかもしれない。
ちなみに右側に延びる半島の先は饅頭岬(まんじゅうみさき)という。なんか食い物ばかりだなw
豚と饅頭と言ったら肉まんだ。本土の故郷の肉まんに思いを馳せて・・・なんてことはないだろうな。
ここまで20分で登ってきたことを考えると、あの海岸まで行っても20分くらいだろう。中山峠に行こうと思った時に時間の余裕があったらブタ海岸までは降りてみよう、なんて話もしていたがここから見る限り現地まで行ったとしても心動かされるような物があるような気がしなかったので、結局行くのはやめにした。
そして峠の西側には昨日上陸してきた南島が見える。こちら側からだと扇池は山に隠れて見えない。上陸しないと見られない絶景があるというのがいい。
20分ほど峠で潮風に吹かれながら汗を乾かし、落ち着いたところで下山することにした。思ったより随分早めの下山となるが、この先には行かないのでもうやることがなくなってしまった。それなら早々に下山して大村に戻るまでの間の見どころを少しゆっくり散策する時間としたい。