小笠原上陸【1】(2008/09)

このところ夏になると社員旅行などでどこかしらの離島を旅している。おかげで夏になるとどこか遠くの島へ行くのが自分らの中のルーティンと化しつつある。で、今年の社員旅行はどこへ行くのかなと思っていたら今年は中止だそうだ。昨年ごろから会社の業績悪化が表面化しつつあって社員旅行どころではないというのがその理由とのこと。

だが自分らにとって夏の島旅はもう年中行事である。毎年出かけているので今年もどこかへ行っておかないとなんだか落ち着かない。遠くの離島へ自腹で行くのはそれなりに出費がかさむが、誰も連れて行ってくれないのなら自分で行くしかない。ということで今年の島旅をどこにするかについてカミさんと相談した。

まだ行ったことのない離島は沢山ある。奥尻島、佐渡島、隠岐、壱岐、対馬、五島、、、枚挙にいとまがない。カミさんの希望は屋久島でトレッキングをしたいとのことだった。それは面白そうだということで屋久島行きを決めたのだが計画を進めようとした矢先、仕事が忙しくなって計画を練る余裕がなくなってしまった。このままでは島旅どころか夏季休暇すら取れなさそうな状況に屋久島行きは一旦白紙せざるをえなくなってしまった。


それから数か月ほど仕事に忙殺されたのだが、8月に入ってようやくその終わりが見えてきた。9月くらいなら夏期休暇を取得できる見通しも立ったので改めて旅行計画を立て直すことにした。

実は屋久島がキャンセルとなってからも忙しい仕事の片手間でネットで情報収集は進めていたのだが、その時にふと小笠原の記事を見つけていた。小笠原は自分が小学生の頃に存在を知って一度は行ってみたいと思っていた島である。過去に一度訪島を計画したこともあったのだが、とにかくアクセスが不便で調整がつかず結局棚上げになってしまった。それ以来どうせ行けない島なんだからとすっかり意識の範囲外に追いやっていたのだが、ネットに出ていた写真や滞在記などを読んでいたらまた行ってみたくなった。

で、最終的には行ってきたわけだが行くまでの調整は何かと大変だった。以下その手配のあれこれを書こうと思うが、その前にまずはどんな島かという所から。



小笠原と言っても小笠原島という島があるわけではない。父島、母島を筆頭に周囲に点在する30あまりの島々を総称したもので正しくは小笠原諸島なのだが、まぁ小笠原と言えば父島か母島を指すと考えて差し支えないと思う。

数こそ30あまりもあるのだが一般の住民が居住しているのは上記の父島、母島の2島のみ。両島合わせて2500人ほどが暮らしている。それ以外に自衛隊関係者のみが滞在する硫黄島や気象庁の職員のみが滞在する南鳥島といった島があるが、いずれも一般人の立入は出来ない。

それらの島々が東京から南へおよそ1000km離れた海域に点在している。点在していると言ってもその範囲は南鳥島から数年前に大きな話題になった沖ノ鳥島まで1800kmも離れているし、南北も最北端の聟島列島から南端の南硫黄島まで1000kmも離れていて、途轍もなく広大な諸島となっている。

南洋に浮かぶ島々であるだけに気候は亜熱帯性に属していて実に温暖。冬でも気温が20℃を下回ることは殆どなく、なんと元日に海開きが行われるのだという。つまり1年中海で泳ぐことができるのだ。


島の歴史は思ったよりもだいぶ浅い。日本の領土としての歴史はまだ150年程度でしかない。これらの島は日本人には長いことその存在が知られていなかった。歴史的に初めてこの島が発見されたのは西暦1500年代。スペイン人によって見つけられた。とは言っても当時は現在のような精密な海図があった訳ではないので、そのスペイン人が文献に残した島が状況的に推察して小笠原諸島だったのだろう、という程度らしいが。

その後特に誰が領有を主張するでもなく、付近で捕鯨を行う欧米人の間で水や食料を補給する場所として知られていた程度だったという。


それから時代は下り1800年代になると欧米人らによって入植が始まる。そう、小笠原諸島は日本で唯一先住民が欧米人という珍しい島なのである。以降、何度となく欧米によって島の領有権が主張されたが、明治時代に日本が領有を宣言すると国際的に承認され、晴れて日本の領土となった。

日本の領土となるにあたり既に先住している欧米人たちは日本に帰化する選択をした。以来彼らは日本人として島に暮らすこととなり、今でも島には「セーボレー」とか「ジョンソン」と言ったカタカナ名字を持つ人たちがいる。

戦時中に島を軍事要塞として使うために島民は強制疎開させられ、戦後はアメリカの施政下に置かれたため帰島は1968(昭和43年)の日本復帰まで待たねばならなかった。ただしその際帰島を許可されたのは父島と母島の住民のみで、激戦地として有名な硫黄島の住民は現在も帰島することができていない。


さて、自分が小笠原の存在を知ったのが小学生の頃であったことは前述のとおりだが、そのきっかけは授業で西之島新島が取り上げられたことだった。この島は現在(2025年)では、その近傍で新たに始まった海底火山の噴火によって大きな島が形成されるという、世紀の大スペクタクルが展開されている島の一部である。

元々西之島という小島があったが1973年に西之島近傍で発生した海底火山の噴火によって新たに島が出現した。その島に付けられたのが西之島新島で当時は当時で相当な騒ぎになったそうだ。自分が授業を受けたのはそれから15年ばかり経った頃で、まだ新島誕生という出来事がホットなトピックであったようだ。

自分は当時都内で暮らしていて、同じ東京都の中にそんなワイルドな島があることを知って興味を持った。まずはどんな島であるのか調べてみたいと思い、父に相談して東京都の地図を買って貰った。

その地図はA1くらいの大きな紙に東京都の全域が記載されており、その一部に伊豆諸島や小笠原諸島なども描かれていた。その時に西之島新島以外にも東京都の島があることを知った。自分は海や島とは無縁の埼玉育ちだったので島の地図というのはなかなか迫力を感じた。

もう見るからに険しそうな海岸が広がる島があってそこで暮らしている人がいる。とても不便そうに見えるけどどういう暮らしをしているのだろうか。もしかしてポリネシア(なんて言葉は知らなかったが)の原住民のように腰みのをつけてウホウホしたりしているのだろうか?なんて想像が膨らんだ。

それで一度どういう場所なのか見てみたいななんて思ったりもしたが、当時の我が家が島に渡る旅行に行くなど考えられなかったので、まぁ、妄想で終わったのだった。


大人になってからふとそのことを思い出して訪島を計画したことがある。だが、よくよく考えなくても船便なので船酔いは不可避となるだろうし、そもそも一緒に行こうと誘ったやつの日程が全然合わず結局断念したのだった。そうした調整の難しさについて少し触れてみたい。

Posted by gen_charly