奄美皆既日食観測ツアー【7】(2009/07/19)

道の駅歓遊舎ひこさん


2009/07/19

昨晩はアイのトランクルームに転がって就寝しようと目論んだわけだが、この日の晩はひどい熱帯夜でずっと寝苦しくてなかなか寝付けなかった。仕方ないのでエンジンをかけてエアコンで冷やすことにした。点けっぱなしという訳にもいかないので30分くらいしたら再び起きてエンジンを停める。暫くは寝心地が良かったが2時間もしたらまたムワっとしてきて目が覚めた。

結局それを繰り返しているうちに朝を迎えた。時間は8:30。外の気温がぐんぐん上がり、とても寝ていられなくなったのでやむなく起床。まぁ、普通なら起きている時間だが。

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道の駅歓遊舎ひこさん。どこにでもある感じの道の駅だが、一味違うのはすぐ横にJR日田彦山線歓遊舎ひこさん駅が隣接していることだ。
つまりこの施設は道の駅と鉄道の駅がセットになっているのだ。歯磨きのついでにカメラを持ってちょっと鉄道駅を見に行ってみた。

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日田彦山線はローカル線なので、駅舎も簡易的な待合所があるだけの無人駅である。この駅から道の駅を訪れる人はどのくらいいるのだろうか。時刻表をチェックしたらほどなく列車が来るようだったので少しホームで待ってみた。

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やってきたのはキハ125だった。乗客の乗り降りはなくそのまま出発していった。
それから車に戻って荷物をまとめて出発。まず向かうは昨晩一度訪問した彦山駅。

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駅舎が田舎の古い小学校のような趣深い佇まいの駅だった。

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入場券のない駅だったので一区間の切符を買ってみた。
時刻表を見るとこちらもあとちょっとで列車が来るようだったので駅構内を見学して待った。

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やってきたのはキハ147形。キハ47形のエンジンを高出力タイプに交換したものがキハ147形と呼ばれている。
数名の乗客が下車して程なく駅前に停まっていた車に吸い込まれていった。


二又トンネル:


さて、今回わざわざこんな鄙びた駅にやってきたのは列車の写真を撮るためだけではない。この最寄りにあるという二又トンネル爆発事故の現場跡地を見てみたいと思ったらである。

戦時中この区間はまだ建設中だったのだが、その中で既に掘削済みの二又トンネルとその先に有る吉木トンネルは旧日本軍が爆薬を隠すための保管庫として使っていた。その後敗戦を迎え、日本に駐留した米軍によってこの爆薬の焼却処理が行われることになったのだが、その取り扱いを誤って爆薬を全量爆発させてしまう事故を起こした。

その爆発はすさまじく、トンネルを吹き飛ばすのみならずその上にある山体をも吹き飛ばしてしまった。周辺の集落も崩壊した山体や落下物などにより壊滅状態となった。その爆発音は遠く離れた福岡市や別府市などにまで届いたそうだ。逆に現場付近にいた生存者によると爆発音は全く聞こえなかったという。音圧が強すぎて人間の耳では感知できなかったらしい。

この事故で周辺住民を含め150名近い人が犠牲となる大惨事となってしまった。当時の写真は上記リンク先のウィキペディアに掲載されている。


それほどまでに壮絶で悲惨な大事故であったにもかかわらず、戦後の混乱期に起こったせいか日本の事件史としてあまり語られておらず、自分は今回九州の辺りの鉄道ネタを調査をしている中で見つけたものだった。山を吹き飛ばすほどの大爆発を起こした現場がどのようなものなのか見に行ってみたいと思った。

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まずは駅のホームから二又トンネルがあったであろう方向を見てみる。駅構内を過ぎて線路が1本にまとまるとすぐに勾配区間が始まり、カーブの先は山間部に吸い込まれている。事件から既に60数年が過ぎているので周囲はすっかり緑の山々になっていて、痕跡らしきものは全く見当たらない。

上記リンク先に掲載されている写真を見ると、手前に川が流れてそれを越えるアーチ橋がありその先の山腹が吹き飛んでいる。ホームからその橋を探したが見当たらないので、一旦駅を出て隣駅である筑前岩屋駅方向に向かって歩いてみることにした。

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駅前の道を進んでいくとほどなく国道500号に合流する。そのまま国道を進んでいくとリンク先の写真と同じ物と思われるアーチ橋が見えてきた。ということはここが現場か。

写真の左右にピークがあるが、本来ここには一続きの山があってそれが爆発で吹き飛んでしまったらしい。高さにすると50mくらいだろうか。トンネルは結構な地被りをしていた筈なのにそれがもろとも吹き飛ぶなんて、一体どれほどの威力だったのか。当然、こんな場所に立って眺めていたら間違いなく吹き飛ばされた岩屑の餌食になる。

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もう少し近づいて橋の袂まで来てみた。手前のガードは国道500号線の物。まぁ当たり前だが、その吹き飛んだ断面はもはや濃い緑の中に沈んでしまってその痕跡を見つけ出すことは難しい。もう少し近くで見てみたいところだが、付近には人が歩ける道がないようなので周辺を少しウロウロして様子を眺めて見学を終了した。


金田駅:


それから車に戻って今度は平成筑豊鉄道金田駅へ。この駅には車庫が隣接しているのだがそれ以上に有名なのがその駅名だ。

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こちらが金田駅。かなだえき、と読む。
たまに「カナダへ行ってきました」というタイトルの下にこの写真を載せて見る者をガッカリさせるサイトを見かける。

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この駅も入場券が売られていなかったので1区間の切符を購入した。窓口で注文したら車内補充券のような、というか定期券の領収書のような、というかそういう雰囲気の手書きの切符が発券された。

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ホームの向こう側には車庫があり、平成筑豊鉄道の車両が多数羽を休めていた。
最初はホームから撮影していたのだが、ふと背後を振り返った時に歩道橋があることに気がついた。その歩道橋を渡った先は車庫の敷地になっているらしく、車両が間近に見られそうな雰囲気だったのでちょっと行ってみることに。

歩道橋を渡ってみるとその敷地の近く、というか敷地内の通路に繋がっていた。その割に特に道が塞がれているということもなく、なんとも長閑な雰囲気だ。いずれにしてもここから車両を間近に見ることができた。


そこでさらに数枚の写真を撮影していたら誰かに声をかけられた。一瞬立ち入りを咎められているのではないかと思って身をこわばらせたが、振り返るとそこに故野村克也氏をひと回り小さくしたような印象の老人が立っていた。

この老人はついさきほど、同じ敷地内で奥さんとお孫さんと一緒に遊んでいるところをビデオカメラで撮影しているのを見かけていた。

「$〇#д★¢!%&*」

訛りがきつくて何と言ったのかさっぱり分からなかった。なんですか?と2度ほど聞き返してようやく、

「あんた鉄道の写真ば撮っとると?」

というような事を言っているのが分かった(方言は適当)。はい、と答えると、

「こげん場所で写真ば撮ってもいい写真にならん。いい写真ば撮りたかったら竹下駅へ行ってみるとよか。」

と教えてくれた。へぇ。竹下駅か。
そうなんですかと相槌を打ったら、その老人は雪崩を打ったように話し始めた。相変わらず訛りがきつくて聞き取りづらかったが、分かる範囲で、

  • 自分も昔から写真を撮るのが好きであちこち写真を撮りに行った
  • 昔、結婚式に呼ばれて横浜へ行った時にたまたま港で撮った海鳥の写真が上手く撮れていたので、コンテストに応募したら見事入賞、それがきっかけで写真を撮るのが趣味になった
  • 今は体力がないからあまり遠くへはいけない
  • 昔は一眼レフを使っていたけど、今はビデオカメラで撮るだけでも綺麗に撮れるからもっぱらこればっかり使っている

というようなお話だった。
老人のお話にはその人の色々な歴史が詰まっているので聞いていて飽きないのだが、いかんせん日射を遮るものが何もない炎天下である。続々と吹き出す汗をぬぐいながら老人の話に耳を傾けた。

自分が話を聞いてくれるからか、老人の舌はどんどん饒舌になる。正直この先の予定もあり、いつまでもお付き合いする訳にもいかないので、話が途切れたところで切り上げようとタイミングを窺っていたら、奥の方で孫と一緒にいた奥さんから早くいくよ!と催促がかかりあっけなく終了した。肩をすくめながら、じゃ、頑張って!という言葉を残して老人は奥さんの元へ戻って行った。


とりあえず、自分も次の目的地へ移動しようか。老人は竹下駅での撮影を薦めてくれたが、竹下駅は博多駅からほど近い所にありここから2時間近く離れている。この後も筑豊地区を訪ね歩こうと思っている自分にとって流石に遠い場所なので、折角の薦めだが足を延ばすことはしなかった。

Posted by gen_charly