岩手のばあちゃんの葬式【1】(2009/08/17)
今の勤め先は会社として夏季休暇の日程を定めておらず、7月~9月の間で任意の3日間取得するルールになっている。今年は先だってエントリしたとおり、7月に日食観測するために奄美大島に行って早々に消化してしまったので世間様が休暇となるお盆期間中は出社して仕事をしていた。
自分の実家は近場にあっていつでも行けるから帰省する必要がない。周りの取引先も休みだから仕事は暇だしそのうえ電車も混まない。のんびり過ごしてお給料が貰えるのだから自分的にはお盆の出勤はむしろウェルカムである。
で、そんなお盆も今日でおしまいである。明日からまた電車が混んで嫌だなと憂鬱になっていたら弟から連絡があった。こんな時期に何だろうと怪訝に思いつつ電話に出ると、岩手のばあちゃんが亡くなったと言った。えっ!?
ばあちゃんが最近具合を悪くしていたなんて話は全然聞いておらず、突然の訃報に我が耳を疑った。何か不慮の事故に遭ったのだろうか。弟によると事故ではないが急に倒れてそのまま亡くなってしまったのだという。
いずれにしてもすぐに向かわなければ。一番早い移動手段は新幹線だが、今の時間から一関まで行ける便はないので明日の朝出発となる。だったら今から高速で向かえば新幹線の始発より早く一関に到着できるし、現地での移動手段も確保できるので今晩から出てしまうことにした。
もう夜遅い時間なので職場の上司とは連絡が付かなかった。誰にも報告せず東京を離れることは若干心配だが、明日朝の始業前に連絡すれば大丈夫だろう。
一関へ:
2009/08/17
というわけで帰宅して準備を済ませ、日付が17日に変わる少し前に自宅を出発。今日はお盆最終日だが、流石にこの時間に帰ってくる人は少なく、もちろんこれから地方へ向かう人はもっと少なく、特段混雑している箇所もなく進むことができた。
至って順調に進み、当初の予定どおり明け方に一関に到着。ばあちゃんたちは一関の市街地に暮らしているのだが、出身は一関市の東に位置する東山という地区で先祖のお墓もその近くにある。そのため葬儀は東山にある葬儀場で執り行うそうだ。弟からその会場の名前を教えてもらったのだがWebでは検索に引っかからず、地図でチェックしてもイマイチ場所が分からなかったのでほぼ同時に到着予定の弟の車に先導してもらうことにした。
弟から一関IC出口に隣接する駐車場を指定されたのでそこで暫く待っていると、程なく同じく順調に進んできた弟一家の車と合流。そこから弟の車の先導で山道を走ること小1時間で葬儀場に到着。
ばあちゃんの死顔:
葬儀場は村の集会場を少しマシにしたような程度のこぢんまりとした建物だった。少し緊張しつつ扉を開けると、一関にいるおばさんたちが出てきたので挨拶を済ませた。ばあちゃんはあっちの部屋にいるよと教えてもらい、安置されている部屋へ移動。棺の窓からばあちゃんの顔を見る。亡くなった人の顔を見慣れていないので対面の瞬間やや緊張したが、意外にもまだ血色が残っていて亡くなっている人のそれには見えなかった。しかしどうしてこんなに急に亡くなってしまったのか。頭ではあり得ないと分かっていつつも、いつもひょうきんなキャラクターだったばあちゃんが体を悪くするイメージがなく、亡くなってしまったことが信じられなかった。
控室に戻るとおばさんたちは葬儀の準備や早々に訪ねてきた親戚筋の対応でバタバタとしていた。ひと段落して手が空いた時に亡くなった理由を聞いてみたのだが、その答えが何とも要領を得ない。お袋の姉妹たちは時々そんな風に状況を把握しないまま行動していることがある。とりあえず教えてもらえたのは、倒れた際の病院への付き添いや臨終への立ち合いは従弟が行っていたから、後で聞いてみてくれということだった。
それからこの後の段取りを確認すると、今日は友引で何もできないので今晩は通夜のみを行い、明日告別式と火葬、そして明後日に葬儀と納骨を行う予定であるそうだ。そうか友引か。。。自分は六曜を見る癖がないのでともかく早く現地に行かなければと慌てて家を飛び出してきてしまったが、それなら今日職場に事情を話してから出発した方がよかったかな。
できれば納骨まで見届けたいところだがそうもいかない。どこかのエントリに書いたがお袋と父は自分が子供の頃に離婚している。このばあちゃんはお袋の母親であり、父に引き取られた自分から見ると現在は親族ではない。とはいえ小さい頃に沢山面倒を見てくれた人なので自分にとっては親族に等しい存在だ。だから最後まで見届けたいのが本音だが、職場の規定上そこは慶弔休暇ではなくただの有休となる。既に夏期休暇を消化した人間が、お盆明けに追加で3日間休ませて下さいとはちょっと言いづらかった。やむなく明日の火葬まで見届けたら東京へ戻ることにした。
それから職場に連絡。上司にざっくりと事情を説明し火曜日までの有給ということで了承をもらうことが出来た。職場にとって取り扱いが微妙な位置づけの方の訃報ということでその対応に苦慮しているらしく、有休の扱いは問題ないが電報はどうしますか?と聞かれた。自分の心情は身内ではあるが親族の全員が全員そのように思ってくれる人ばかりではないことくらいは分かる。そこへ出しゃばって電報なんか送り付けられたら微妙なことになりかねない。ということで電報については遠慮した。
会社への連絡がひと段落し部屋に戻ると、伯母さんから、夜通し運転してきたのだから少し休んでおきなさいと言われた。確かに眠いといえば眠いところだったので、お言葉に甘えて少し仮眠を取らせてもらうことに。といっても控室は一部屋しかないのでみんながバタバタしている片隅で雑魚寝するだけだが。
目が覚めた時には11時を過ぎていた。2時間ばかり眠れたようだ。短い時間だが仮眠を取ったおかげで頭はだいぶすっきりした。相変わらず周りの人たちはバタバタとせわしなく動き回っている。
地域のスタイルなのか、この親族における暗黙のルールなのかは分からないが、葬儀の手続きや準備を業者任せにせずみんなで手分けして行っているらしい。そうしたことが慌ただしさに繋がっているわけだが、そうして忙しくしているせいか、おばさんたちには自分の母親を亡くしたという悲壮感のようなものが感じられなかった。悲しんでいる余裕がないといった方が正しいか。
葬儀というのは遺族が忙しくなるものらしい。出産や結婚と違って基本的に突然やってくるイベントであり、故人の体は時間の経過とともに変化してしまうので、不幸にもその日が訪れてしまったら速やかに各種手配を済ませて火葬までを済ませなければならない。故にどうしてもバタバタと慌ただしくなってしまうというわけだ。ただこれはあえてそうしている面もあるらしい。忙しくすることで悲嘆に暮れる暇がないようにしているそうだ。
猊鼻渓へ:
それから程なく伯母さんから、どうせ今日は何もできないんだし岩手にはたまにしか来られないんだから、今日はどこか観光でもしておいでと薦められた。
まぁ、確かにバタバタと忙しない中にしきたりを知らない我々がいても手伝えることはほとんどなく、いても邪魔になっている気がする。弟と相談して少し観光に出かけてくることにした。どこへ行こうかと相談してここからほど近い所にある猊鼻渓の舟下りに行くことになった。参加者はウチら夫婦と弟夫婦の4人。このメンバーはそれぞれの奥さん同士も含めてお互いが気心知れているので気兼ねがない。
というわけでやって来た猊鼻渓(げいびけい)。ここは一関の観光名所として厳美渓と双璧をなす渓谷である。前回2006年に訪問した際にもカミさんが初一関ということでみんなに連れてきてもらったのだが、その時は到着が最終便の出発後になってしまい乗ることが出来なかった。なので今回はそれのリベンジマッチである。
チケットを購入して次の便を待つ。弟が店頭で売っている魚のエサを購入したので、カミさんに買う?と提案したらいらないと言われた。風情がないねぇ。
こちらが舟下りで使われる船。この川は水深が浅いので船底が平たくなっている。写真に写る水面の様子からも分かるように、この川は渓を冠する割にその流れは至って穏やかなので基本的に波を蹴らない。そのため両舷の高さが低く、座って船べりから身を乗り出すと容易に水面に手が届いてしまうほどの高さしかない。