岩手のばあちゃんの葬式【3】(2009/08/17)

幽玄洞:


猊鼻渓の舟下りを終えて残りの時間をどうするか話し合った。時間はまだ15時過ぎで日が暮れるまでにもう少し時間がある。
今葬儀場に戻っても多分邪魔になってしまうだろう。せいぜい弟と談笑することぐらいしかやることがない。それならもうちょっと時間つぶしをしてから帰ろうという話になり、どこへ行こうかとみんなで意見を出し合った。弟はばあちゃんの家に行ってみたいという。それも一興と思ったが自分的にはこの付近でもう1か所見に行ってみたいところがあった。

 

その場所は幽玄洞という洞窟である。比較的最近である昭和55年に初めて公開された洞窟で、まだ知名度はそれほど高くはないが、最近徐々に有名になってきているらしい。自分も以前にネットで存在を知って機会があったら行ってみたいなと思っていたのだ。

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自分がそれを提案すると、弟も賛成というので4人で行ってみることになった。

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この辺りの地層は3億5千万年ほど前には海底だったそうで、洞内からその当時の化石などが見つかっているらしい。

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入場料は1000円。洞窟は維持管理が大変なので入場料が高くなりがちなのは仕方ない所だが、それにしてもちょっと高い。
期待を込めて料金を支払う。

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洞内は順路にあたる部分がしっかり整備されていて歩きにくい所はなかった。もちろん洞窟なので多少のアップダウンはあるが、階段が整備されていて昇り降りに苦労するようなところもない。

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ただ、その洞内は鍾乳石とか池といった見どころがあまりなく淡々としている。言ってみたらただの奥行きのある洞穴である。洞窟の研究をしているような人が見たら貴重で学術的な興味の尽きない場所なのかもしれないが、素人の一観光客にとっては感動ポイントがよく分からないまま淡々と歩いていくような感じになる。

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なのでこの内容で1000円はやっぱりちょっと割高な気がした。それでも自分は洞窟があったら行ってみたいと思う方なのでこれはこれでと思ったが、他の3人は洞窟にそれほど興味がないので、ややがっかりとした表情をしていた。提案した自分としてはちょい気まずい状況。。。これだったら弟の提案に乗ってばあちゃんの家を再訪した方が良かったかもしれないなと思った。

 

15分ほどで順路を一周し洞外に出る。外は相変わらずの猛暑だが、洞内で軽く冷却された体にその熱気が心地よかった。弟は外に出た後、寒いといって敷地内の茶屋で味噌田楽を買っていた。自分らは入場料とその内容のバランスが釣り合っていないことにがっかりしたこともあって購入することは控えたのだが、それを哀れに思ったか我々にも取り分けてくれた。ありがてぇ。。。

茶屋の腰掛に腰を下ろして田楽を頬張りつつ周りを見回すと、既に夕方に近い時間になっている。周辺に広がる森の中からヒグラシの鳴き声が聞こえてくる。そう言えば東京にいるとヒグラシの声はまず耳にすることがない。なんか記憶が一気に自分の幼少時代にワープした。

散々外で遊びまくって日が陰ってくると間もなくヒグラシが鳴き始める。その声を聴くと無性に寂しくなってきて、早く帰らなきゃと気が急いてくる。岩手の夜は埼玉のそれと比べたら圧倒的に暗い。家にいても窓の外に広がる漆黒の闇を見るのが恐ろしくてカーテンが開けられなかったような子どもだったので、そうなる前に早く家にたどり着かなければとソワソワしながら帰った記憶だ。


それからようやく葬儀場へと戻った。葬儀場に戻る頃にはすっかり日が暮れてしまった。おばさんたちは何をしているのかよく分からないがずっとバタバタと動き回っている。それを少しだけお手伝いしたらもうやることがなくなってしまった。お袋を含めた親世代の一同は今日は葬儀場に泊まって通夜をすることになっている。ここに我々の寝床は用意されていないので、今晩は伯母さんの家に泊めて貰うことになった。

 

ばあちゃんの死因とじいちゃんのファインプレー:


伯母さんの家に到着すると孫世代が勢ぞろいしていた。なんかものすごく久しぶりに顔を見る人もいるがみんな元気そうだった。食事を終えるとビールを囲って近況報告や昔話に花が咲いた。ビールといってもコンビニで買って来た缶ビールだ。親世代が家飲みをする時は必ず日本酒の一升瓶が食卓にあった。ばあちゃんの家はじいちゃんもばあちゃんも酒飲みだったので家に出入りの酒屋がいた。これが孫世代になるとなぜかほとんど飲めない連中ばかりになってしまった。まぁそのくらいの方がハメを外す奴も出ないので全く下戸の自分からしたら楽なのだが。

 

その談義の流れでばあちゃんの死因の話になった。看取りを行った従弟からその報告がなされる。それによると、亡くなる当日の朝は特に変わった様子もなかったのだという。じいちゃんはここ最近認知症を患っていてばあちゃんが甲斐甲斐しく世話をしていたそうだ。この日の朝もいつもと同じようにじいちゃんの世話をしていたのだが、それから具合が悪くなったと言ってベッドに横になっていたという。

それから暫くしてじいちゃんから、ばあちゃんの様子がおかしいと連絡があり急遽病院へ搬送されることとなった。病院での診断の結果、脳梗塞を発症していることが判明。脳梗塞はその名のとおり脳の血管に血栓が詰まって脳機能の一部が不全となる病気だ。治療のために血液を溶かす薬を投与するのだが、ばあちゃんはかねてから心臓を患っており、体に浮腫みが出ていたのでそれを抑える薬を服用していた。この薬は血栓を溶かす薬の投与が禁忌とされていた。血液を固まりにくくする薬を服用していたのに血栓ができてしまったという状況である。つまり打つ手なし。結局、積極的な処置が行えず息を引き取るまで見守るしかなかったのだそうだ。

 

ばあちゃんは病床でしきりに喉の渇きを訴えていたそうだ。ところが医者から水分を飲ませることを止められていたので飲ませることが出来なかった。治る見込みがあるなら我慢させるがその見込みがないのであれば最後のお願いぐらい聞いてあげたい、と医者に掛け合ったが最後まで許可が下りなかったらしい。従弟は憤懣やるかたない表情をしていた。

結果的には救うことが出来なかったものの、倒れた時点でじいちゃんから連絡があったことは奇跡だったらしい。前述のとおりじいちゃんは認知症を患っている。近年はだいぶ症状が進行してトイレを1人で済ませられなくなったり、親族の顔も忘れるような状態だったらしいのだが、ばあちゃんの異変に気付いて、すぐさま伯母さんに連絡を入れてきたことに驚いたそうだ。異変に気づいて助けを呼ぼうという判断が出来たこと、そして伯母さんの家の電話番号を間違えずにダイヤルできたこと、どちらも奇跡的なことだったそうだ。

Posted by gen_charly