富士山に登ろう【1】(2009/09)

富士山という山がある。言わずと知れた日本の最高峰である。秀麗な山裾をもつ独立峰は日本人の心を表すアイテムとして古くから親しまれてきた。誰もがそんな富士山に一度は登ってみたいと思ったことがあるのではないだろうか。

「一年生になったら」という曲にも、100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを~、なんて歌詞が出てくる。正直小学1年生が富士山の山頂を目指すのはかなり無謀だと思うが。


自分は小学4年の時に父と父の知り合いの3人で登りに行ったことがある。だが、この時は頂上に到達することなく敗退している。3人で富士宮口から登山を開始し、初めのうちは順調に進んでいたのだが、8合目付近で父がバテて途中の山小屋で休憩を挟むことになった。一方、知り合いの方は至って元気で、父に付き合って山小屋で休憩なんかしてられないと言ってそこから別行動になった。

父と一緒に山小屋で2時間ほど休憩し、体力が回復した父と再び山頂を目指した。ところが、あろうことか9合5勺を過ぎてあともう少しで山頂という所で下山してきた知り合いと鉢合わせになった。頂上で待っていたが一向に自分らが登って来ないから下山を始めたところだという。

この時は今でいう弾丸登山で日帰りで下山する計画だった。時間は既に昼を過ぎており、今から頂上へ行って下山したら日が暮れてしまうと思ったのだろうか、父はあまり迷うことなく知り合いと下山することを決定した。9合5勺まで行っておきながら敗退するのは心残りだったが、1人で続行するわけにも行かず、やむなくそのまま下山してしまったのだった。

それ以降、あとちょっとだったのに惜しかったな、と思い出すこともないわけではなかったが、リベンジを果たす機会もないまま今に至っている。


一方のカミさんはというと、カミさんの友達グループで毎年のように富士山に登りに行っている。富士山については、一度も登らぬバカ、何度も登るバカという至言がある。それはさておき、その友達グループのメンバーにMちゃんという体力に覚えのある子がいて、その子がこの時期になると毎年富士登山を提案してくるのだそうだ。

カミさんは自ら積極的に山登りをするほどではないが登山は嫌いではないらしく、毎年お誘いがあると参加している。それがやがて年中行事になってしまったのだとか。

毎年登っているとたまには趣向を変えてみたくなることもあるらしく、時々自分にもお誘いが来ることがある。だがここ最近の自分はすっかり運動不足である。そのうえ喫煙者でもあるので今登ったらあの日の父を同じ目に遭う姿しか想像できない。それを他の女子と行動を共にするなかで曝け出すのは、流石に男としての沽券にかかわる。そんなわけでこれまでは仕事が忙しいとか、他に予定があるとかでお誘いをはぐらかしていた。


そうしてやってきた今年。またぞろ今年の登山はどうする、という会話がカミさんグループの中で始まった。ところが今年は多忙を理由に2名が欠席になってしまった。そのグループの富士登山は全員で登ることをマストとしていたため、欠席者が出るなら今年はやめておこうと、数年にわたって続いた恒例行事はあえなく中止となった。

だが、例のMちゃんはイベントが中止になることに少なからず忸怩たる思いがあったようで、特に仲の良いカミさんに単独で登りに行かないかと誘ってきた。で、せっかくだから自分も一緒にと声がかかった。


前述のとおりこれまでお誘いを断り続けていたのだが、今年はなんか行ってみようかなという気になった。カミさんたちが毎年登山を成功させているのを見て、自分もあの時のリベンジを果たしたいという思いがくすぶり始めたのだ。Mちゃんは他のメンバーたちと比べると幾分気心が知れている子で、今回なら人数が少ないので万一自分が足手まといになったとしても迷惑のかかる範囲を最小限に抑えることができそうな気がする。だったら一度くらいリトライをしてもいいかなと思った。


ただ、彼女らの毎年の登山計画を聞いていると自分の苦手とするものが沢山含まれている。その登山計画というのは、ツアーバスで吉田口へ行き、そこから登山を開始、8合目付近の山小屋で休憩した後、夜のうちに出発して頂上でご来光を拝んで下山するというものだ。つまりご来光を拝むために富士山に登っているということだ。全てにおいてよろしくない。

まず登山形態がツアーであること。カミさんたちが利用しているツアーは麓から頂上まで終始ガイドが同伴するらしい。自分のような他人に行動を合わせられないタイプの人間がガイドや他の登山客とともに行動したら大いに足を引っ張る結果になりそうだ。

次に登山道が吉田口であること。この登山道はご来光遥拝登山のメインルートとなっている。そのため山頂近くなると登山道が大いに混雑すると聞く。山に登ってまで人ごみに揉まれるなどゾッとしない。

それから山小屋。それだけ大いに混雑する登山道の山小屋だから常に満室状態である。狭い寝台に肩を寄せ合うようにして仮眠をとるらしい。肩を寄せ合うくらいならまだいい。本気で混雑すると頭と足を互い違いにして詰め込むようなこともあると聞く。それはもはや捕虜収容所だ。寝られるか寝られないかではなく、そんな布団に自分が納まる姿を想像するだけで悪寒が走る。

そもそも自分はご来光を拝むことにそれほど魅力を感じていない。あくまで頂上に立ちたいだけなのだ。ご来光を拝むためにそれだけの苦行に耐えなければならないのだとしたら、いっそご来光はなしで日中に登りたい。


とまぁ、かように自分的に全く食指の動かないツアーなのだが、カミさんたちはそのプランでしか登ったことがないらしく、そのほかの手段が分からないという。だったら、たまには趣向を変えてツアーなんか使わずに朝からのんびり登るんじゃダメなの?と聞いたら、ご来光を見るために登るんだから日中の登山はあり得ない、感動するから絶対に見て欲しいと熱く語られてしまった。。。

ただ、自分のそうした思いは一部くみ取ってもらい、ガイド付きのご来光ツアーではあるものの、そのガイドは途中の宿泊先となる山小屋まででその後は自由行動というツアーを見つけてきてくれた。

山小屋の劣悪な環境に耐えられるか不安がないでもなかったが、そこまで配慮してもらって行かないとも言えなくなってしまったので、意を決して参加することにした。まぁ、山小屋から頂上へのアタックは自分らのペースで進めるのだから、いくらか気楽な気分で登ることができそうだ。

Posted by gen_charly