四国・山陰初日の出 - 15(2009/01/03)
— らでぃっしゅあいらんど —
雲州平田駅で一畑電車のデハニ50形を堪能してから、国道431号を通って大根島へ。
途中は延々と宍道湖の脇を一畑電車と一緒に走っていきます。
あまり天気がよくないので、べたっとした写真になってしまいました。。。
そのまま走りつづけていくと大山(だいせん)が見えます。
河口湖から見た富士山では有りませんw
宍道湖沿いを走ってきた国道から抜けて、一旦松江市の中心部に入り、そのまま行くと中海に突き当ります。
暫く中海沿いを走ると、大きな土手が見えて、土手の上を走る道が分岐します。
この土手がかつての中海干拓事業の時の堤防です。
中海干拓事業はかつて農地不足を解消する為に中海を干拓して広大な農地を作ろうとしたかなり大規模な計画で、その後の減反政策などで農地を増やす必要がなくなり、最近になって中止された国の事業でした。
かつて、秋田県の男鹿半島の付け根にあった日本で2番目に大きかった八郎潟を干拓して、干拓地に農村を作ったのと同じことをやろうとしたのです。
それはさておき、分岐に従って右に入ると土手を延々と渡って大根島に上陸します。
原付は、「大根島」と書いて「おおねじま」と読むものだと思っていたのですが、そのまま「だいこんじま」と読む事を知ったのはつい最近のことでした。
#というのも、小田急線の「東海大学前駅」がかつては「大根駅」という名前で、「おおねえき」と読むのを知っていたので、そのまま「大根島」にも当てはめてしまったからなのですが。。。
さぞかし大根が沢山取れる畑作の盛んな島なのかと思ったら、そうでもないようで、Wikipediaによれば、
「出雲風土記には、杵築の御崎のたこを捕らえた大鷲がこの島に飛来したことにより「たこ島」と名付けられたとの言い伝えが紹介されている。たこから太根(たく)そして大根(たいこ)と変化して今に至る。」
と記述されていて、「たこ」がなまってついたものらしいです。
ちなみに牡丹と高麗人参の栽培が盛んだそうです。
で、堤防を渡りきると島に上陸となるわけですが、折角来たので何か見所が無いかとガイドブックをめくったら、「大根島の溶岩隧道」というのが載っていました。
何でも、国の特別天然記念物にも指定されているそうで、なにやら面白そうだったのでそこに立寄ってみる事にしました。
例によって、ガイドブックの地図は大雑把で、実際の道路に出ている看板もやや曖昧な感じだったのもあって、目的にたどり着くまでに結構迷ってしまいました。
現場も、周辺に看板が無く、住宅地に迷い込んでしまい、「こんな所に有るのか?」 と不安に駆られながらウロウロしていたら、やっと看板を見つけました。
住宅地の真中に、極めて普通の雰囲気の小さな公園があって、なんとそこが溶岩トンネルの場所でした。。。
#物凄くわかりづらい上に、天然記念物、という感じも全然しません。。。w
車を降りて、公園のほうに歩いていくと、公園の脇にフェンスで囲われた場所があって近づいてみると、フェンスの向こうに地面に穴が空いています。
んで、フェンスの入口にはしっかりと鍵がかかっていて、中には入れなさそうです。近くに事務所などもないようなので、諦めてフェンスの隙間から写真だけ写して、帰ろうと思った所、立て看板が目に付いたので読んでみると、 「見学をご希望の方はxxxまでご連絡ください」と書かれています。
今日は1月3日、まだ正月休み中で、看板に書かれた電話番号は個人の名前だったので、ちょっと連絡するのが憚られたのですが、このトンネルの情報だけでも聞いてみようと思って意を決して電話して見たところ、 「5分くらいで向うのでそこで待っててください」とのお返事。
ラッキー。ダメもとでもやってみるものだと、ワクワクしながら5分ちょっとその場で待っていたら、ヒゲを蓄えたおじさんが車でやってきました。
おじさんは車から顔を出して、「今こっちの洞窟は中に水が有って腰くらいの高さまで浸かっちゃって入れないので、もう一つのトンネルの方に案内するのでついて来て下さい。」とのこと。
車に戻り、おじさんの車の後ろをついていくこと5分くらいで、だだっ広い畑の真ん中の道路わきで車が止まりました。
後ろに並ぶように車を止めて降りると、ノートに見学者の名前を書くように言われました。
名前を書き終わると、まずおじさんの自己紹介がありました。
おじさんの名前は門脇さんといって、 島根県の自然観察指導員をやっている学者さんだそうです。
続けて、この島の概要が説明されました。
曰く、この島は大根島という島で、なんと火山島だそうです。
「火山島なんだけど、溶岩の粘り気が非常に少ないので、高く盛り上がらずとても平坦な島になっています。」
そういわれて指を指された方向を見ると、タンクがある小高い丘がその火山の頂上だそうです。
平たすぎです。。。
溶岩トンネルは粘り気が少ないこの火山の溶岩が山の表面をさらさらと流れて、流れた溶岩の表面が固まった後、中の固まっていない溶岩だけが下流へ流れ落ちてしまった為に出来た空洞だそうです。
さっき連絡を貰った所にあるトンネルが「幽鬼洞(ゆうきどう)」、このトンネルが 「竜渓洞(りゅうけいどう)」と呼ばれていて、他にも規模の小さいものは何箇所かあるそうです。
こちらのトンネルは、今原付達が立っている道路を建設する時に偶然見つけたものだそうです。
この中には、キョウトメクラヨコエビやイワタメクラチビゴミムシという聞きなれない名前の生き物がわずかに生息しているそうです。
普段真っ暗な洞窟の中にいるので目が完全に退化してしまっているそうです。
ゆえに両方とも「メクラ」という名前が入ります。
「メクラ、って差別用語が入っちゃっているけど、そういう名前のエビです。体が常に横向きになっていて、そのままの格好で泳ぐのでヨコエビ、目が退化しているからメクラ、関西方面で京都で一番最初に発見されたからキョウト。でキョウトメクラヨコエビと、長い名前がついています。」と写真つきのパネルを出して説明してくれました。
ちなみに、エサは天井から落ちてきたコケなどで、あまり大きく成長できないそうです。
また、イワタメクラチビゴミムシに付いては、このトンネルでしか見つかっておらず、しかもトンネルが発見されてからまだ7匹しか見つかっていないという、大変貴重な生物だそうです。
そこまで説明してから、「それでは中に入ってみましょうか」と言って二人に懐中電灯を渡した後、入口の門扉を開けてくれました。
(真中のおじさんが門脇さん。後ろがトンネルの入口。)
上にも書いたとおり、生態系が非常に貴重な為、外来種などを持ち込まないようにする為にトンネルの中では長靴に履き替えます。
この辺は小笠原の南島と同じです。
当然、長靴は持ち合わせていなかったのですが、扉を開けると無造作に詰まれた長靴が。。。
「適当に選んで履き替えてください」というので、適当に二つ選んで履き替えました。
今思うと左右バラバラだったかも知れん。。。w
で、門脇さんについて、ゆっくりと階段を下りると、途中で立ち止まって説明がありました。
言われるままに階段の壁を見ると手前の光が入る方にはカビや放線菌などの菌類が、少し入るとコケなどの地衣類が、さらにその奥にはシダ植物が生えています。
「この壁も溶岩を積んだもので、土では有りません。なので、生育できる植物も限られているのですが、外から入る光の加減と、湿気の加減で、たったこれだけの短い空間でも、生育する植物が分かれます。これも貴重なものです。」
と説明してくれました。
一番奥にシダが生えている理由はまた後ほど。
いよいよトンネル内に進入です。
トンネルに入ってすぐに透明な屋根がかけられた通路に出ます。
周りの岩は繋がっているように見えますが、鍾乳洞と違って石の塊が溶けて穴が空いたものではなく、それぞれバラバラの溶岩が冷えて固まっているだけなので、どの岩が突然崩れ落ちてきてもおかしくない状態なんだそうです。
それゆえ、門脇さんですら内部の探索にはとても気を使うそうですが、見学者の安全を考慮して文化庁に掛け合って、この屋根を設置して貰ったのだとか。
屋根はポリカーボネイトで作られていて、ちょっとした落石程度なら耐えられるそうです。
トンネル内は湿気が思ったより多いみたいで、ポリカーボネイトの屋根は水滴で曇っていました。
ただし、設置できた範囲が途中までなので、奥のほうへ進む事は出来ないそうです。
まぁ、これは水溜りに生息する貴重な生物を荒らさないようにするためでもあるそうですが。
説明を受けた後、門脇さんが懐中電灯を照らしておもむろにその辺の水溜りを探し始めたのですが、キョウトメクラヨコエビもイワタメクラチビゴミムシも残念ながら今回は見つかりませんでした。
見つからなかったので、今度は壁を照らし出して、見せてくれたのが上の写真。
洞窟に行けばよく見られる鍾乳石。
鍾乳石は、洞窟内の石灰分が水に流されてたれ落ちる所に徐々にたまっていく事でできるものですが、ここの岩は溶岩で、水に溶けるものでは有りません。
では、これは何かというと、溶岩のしずくなのだそうです。
溶岩が流れきった後、空洞に垂れたしずくが固まったものだそうです。
そして、写真には残せていないのですが、トンネル内の空洞を照らした時に一瞬キラリと光る糸を見つけました。
最初クモの糸かなんかだと思ったのですが、門脇さんの説明では、これは上の写真に出てきた入口の階段の所に生えていたシダの根なのだそうです。
トンネル内に土が存在しないので、土の中に根を巡らせる事が出来ず、トンネルの壁を伝うように細い根を伸ばして、根にまとわり付いたトンネル内の湿気を水分として摂取しているそうです。
屋根の下を通って一番端の所まで来ました。
その奥にはドーム状の円形の空間が広がっています。
ここは「神溜まり」と呼ばれる場所で、かつてこの火山が活動していた頃に、ここから溶岩を噴出していた火口の跡だそうです。
火口というと、地表にあるように思いがちですが、ここも実は元々地表にあった噴火口が溶岩によってふさがれたもので、その後、噴火が終わるまで、この火口から噴出した溶岩が人目に付く事無く(って人類はまだいない時代の話ですが)そのまま地中を通過してどこかに流れ下っていったそうです。
上の写真手前にある落石を見て分かるとおり、意外と崩落しやすい岩盤なので、奥に入って見学することはできません。
さて、ここまで一通りの説明をして貰って、質問タイムになったので、ふと周りを見回したところ、壁の色が他と違う所が有ったので、 「これはなんですか?」と聞いてみた所、、、
「アナタは文化庁にケンカを売りましたね(ニヤ)。」
と意味深な事を言われました。
何の事だろうかと思っていると、続けて、
「さっきも話しましたが、ここの天井は非常に脆いので、見学者の安全対策を文化庁の役人に頼んだ所、あろうことか天井をモルタル(だったかな?)で固める、と言って塗り始めたので、慌てて霞ヶ関まですっ飛んでいって、『どれだけ価値のあるものか分かってやっているんですか?』と怒鳴り込んで、すったもんだの挙句、これ(ポリカーボネイトの屋根)を設置してもらったんです。。。せめて同じような色のものを使うとかして気を使って欲しかったんだけど、こんな事をやっているから高松塚古墳の壁画でもあんな失態(※)をしでかすんでしょうねぇ。」
と呆れ顔で言ってました。
(※)今から40年程前に奈良県の高松塚古墳の石室内に極彩色の壁画が発見されたのですが、それを適切に管理していなかったため、カビが生えたり退色してしまっていた事が近年明るみに出て、マスコミによってすっぱ抜かれてしまい、文化庁が大いに叩かれた事件。詳細はこちら。
(机上の空論だけで動こうとするからこういう失態を繰り返すんだ、という事が言いたかったようです。)
モルタルを吹き付けちゃった所は元に戻せないようで、その悔しさがにじみ出ているようでした。
中には30分程居たのだと思いますが、一通り説明が終わったので、再び外に戻ってきました。
外に出ると、さっきまでの日常がそこにはあるのに、一歩地下に入ると、全くの別世界が現れる事に新鮮な驚きを覚えました。
上の写真は道路から、地下のトンネルが伸びている方向を写したものですが、ただの畑です。
後ろの高い山は本土の山です。
ちなみに、神溜まりの部分の岩盤は地表から数十センチから一メートルくらいの厚さしか無いそうで、崩落する危険もあるので、直上部を花壇にして踏み込めないようにしているそうです。
当初はただ通過するだけの予定だったのに、思いの外知的探究心を興奮させる楽しい経験が出来ました。門脇さんのしゃべりもひょうきんで面白かったし。
これが無料で楽しめるのは勿体無い!
とても貴重な場所なので、あまり有名になって荒らされてしまうのはイヤですが、それでももう少し有名になってもいいのにな~、と思いますね。
門脇さんにお礼を言って、その場を後にして、今回の旅行、最後の目的地、境港に行ってみようと思います。