従弟の結婚式 - 2(2009/12/06~12/07)
— 門 出 —
12月6日。従弟の結婚式当日。
地元のホテルに併設されたチャペルで挙式を挙げました。
ここでは珍しく割と長文の夫婦の誓いを読み上げるイベントがあり、照れ屋の従弟はたどたどしくそれを読み上げて、 参列者をハラハラさせましたが、どうにかちゃんと読み上げていました。
式はつつがなく完了し、同じホテル内で披露宴になだれ込みます。
定番の親族の子供からの花束贈呈があったり、同級生や友達のちょっとしたゲームイベントがあったりといいムードで披露宴は進んでいきます。
しかし、いつも疑問なのが、親族のおじさんおばさんによる唄の披露。
過去にもカミさん方の親族の披露宴のときもそうだったのですが、ど演歌をカラオケで歌うの、あれなんですかね。
というか、30年前ならまだ分かるんですけど、今のご時世、誰得?
まぁ、それはさておき、宴は盛況の内に幕を閉じ、みんなで晴れて夫婦となった従弟たちの門出を祝うことが出来ました。
— まさかの遭遇 —
さて、原付は月曜日を有給としたのですが、カミさんが業務が多忙で休みが取れず、夕方の新幹線で先に帰るということなので、 一ノ関駅までお見送り。
一緒に帰れよ、という声が聞こえてきそうですが、もう1,2ヶ所撮り鉄をしたい場所があって、カミさんと同行していたら、 カミさんが退屈してしまうこと請け合いなので、それだったら今後ちゃんとした観光地を巡れるように今回は原付の時間にしよう、 という事になった次第です。
新幹線に乗って去っていくカミさんを見送った戻り道。
駅の渡り廊下の窓から見えた景色に違和感を感じて思わず二度見してしまいました。
あれ?京浜東北線の209系が止まってる!
ホームに駆け下りてよく見るとやはり間違いなく京浜東北線のものです。
先日全て引退したという話はありましたが、まさか、解体待ち?
カメラを持ってきておらず写真に撮れなかったので、明日改めてもう一度来ることにしました。
— 気ままな撮り鉄旅 —
12月7日
弟が出る時間に合わせて原付も東京へ戻ることにしていたので、午前中は買い物とかをして過ごし、 それから昨日写せなかった209系の写真を撮りに一ノ関駅へ。
この日も留置されたままで、無事カメラに収めることが出来ました。
後の報道で、房総方面で使う2000番台へ改造するために一時的に疎開していたものだと分かりました。
それからおばさんの家に一旦戻って解散。
折角気ままな一人旅状態になったので、心置きなく行きには寄れなかった2箇所の鉄路の写真を撮りながら南下していくことにしました。
まずは、 一ノ関から見るとすぐ隣町に有ったのに撮影することが出来ないまま廃止されてしまったくりはら田園鉄道。
車両が現在も保存されているということで、その車両が留置されている若柳駅へ行ってみることに。
のんびり一時間ほど一般道を走って若柳駅に到着。
廃止された鉄路は、当然の事ながら最新版の地図には一切記載されません。
が、原付の車のカーナビの地図が古く、まだ若柳駅を含めた鉄路が全て残ったままだったので難なくたどり着きました。
くりはら田園鉄道はその昔は栗原電鉄という会社名で、 その名の通り電車が走っていました。
晩年になって経営難から第三セクター化され、その流れでコストのかかる電車をやめてディーゼルカーを走らせる事になりました。
その際、「電鉄」では矛盾するということで、くりはら田園鉄道へと社名を変えたという経緯があります。
というわけで、現在残っている車両も電車ありディーゼルカーありと多彩です。
まずは電車のM153
自社オリジナルとのこと。
続いてディーゼルカーのKD95形
この車両も自社オリジナルとのことです。
KD10形
元は名鉄のキハ10形で、ニ軸のレールバスです。
残念ながら他の車両の中間に置かれていて、ご尊顔は拝めず。。。
それから、電気機関車のED20形
それとディーゼル機関車のDB10形
ひととおり撮影できたので、次の目的地、福島駅へ。
まだ時間の余裕も有ったので、高速代をケチってそのまま国道4号をひたすら南下したのですが、流石にちょっとのんびりしすぎたか、 福島駅に到着する頃には日が傾いてだいぶ暗くなってしまいました。
福島駅から飯坂温泉方面へ福島交通というローカル私鉄が通っています。
福島交通の福島駅は前述の阿武隈急行の駅と共用されていて、島式ホームのそれぞれ片側ずつで運用されています。
とりあえず、ホームに上がると、停まっていたのが元東急の7000系。
最近地方私鉄でよく見かけるようになった車両です。
暗かったので余り上手く写せませんでしたが、とりあえずこんな感じで。
写真を撮り終わったらすっかり暗くなったので、後は高速に入って一気に東京まで帰ってきました。
(おわり)