信州ドライブ【10】(2010/09/20)
松代の町:
2010/09/20
外を見ると雨である。今日は松代(まつしろ)の大本営跡なる場所を散策しようと思っているので雨降りはちと憂鬱である。散策開始までに上がってくれると良いのだが。
大本営というのは戦時中に皇居に置かれた日本軍の最高機関で、いわば総本部のようなものだ。ここが制覇されたらその時点で即敗戦確定となる超重要な拠点である。だがその皇居は海岸近くの平地にあるので、防御の面で非常に脆弱である。太平洋戦争の戦況が日に日に悪化していく中で、いよいよ米軍との本土決戦が現実味を帯びるようになってくると、大本営の移転が検討されるようになった。
移転先として国内の様々な場所が候補に挙がったが、検討の結果選ばれたのがここ松代であった。なぜ松代が選ばれたのかについてウィキペディアの該当ページの記述によると、
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- 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場がある。
- 固い岩盤で掘削に適し、10トン爆弾にも耐える。
- 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
- 長野県は労働力が豊か。
- 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
- 信州は神州に通じ、品格もある。
といった理由によるそうだ。なんか最後の方に思い込みやこじつけっぽいのがある気がするが・・・。
松代の町は北向きに開けた町で、南側を象山(ぞうざん)、舞鶴山、皆神山という山に囲まれている。それらの山の地質は堅牢で、大本営の設置場所として最適であると判断されたことから、この地に建設されることとなった。また、日本の国体護持の中枢となる皇居や政府機関、放送局(NHK)なども同時に移転する計画だったそうだ。
確かに長野は本州で最も内陸に位置し、海岸から現地までの間にいくつもの険しい山があるので、南方から上陸して陸路で攻め込まれたとしても、到達までに相当な時間が必要となり、その分防衛ラインを多重化できる。そして、それが地中にあるのだから、上空からの攻撃に対しても万全の防御ができる。そういった意味では理にかなっているが、なにせトンネルなので逃げ場はない。沖縄や硫黄島などでは地下壕に火炎放射器を向けて火あぶりにするような攻撃も行われた。もし実際に移転してここで籠城戦となったら、むしろひとたまりもなかったことだろう。
それはさておき、戦局が悪化する中、一刻の猶予もないとして勤労隊や朝鮮人労働者が大勢投入され突貫で工事が進められた。だが計画の75%ほどを掘削したところで敗戦。結局大本営が移転してくることはなかった。もっとも天皇自らが松代への移転を拒んでいたという話もあり、仮に完成したとしても移転されなかった可能性もあったそうだ。掘削された延長は10キロにも及ぶ。それだけの労働を強いておいてやっぱナシねではあまりにも報われない。まぁ戦争は総じて報われないものだが。
終戦を迎えて以降、これらの地下壕は放棄されそのままの状態で放置されていたのだが、後年になって公開の機運が高まったことから、上記のうち象山に掘られた地下壕が公開されることになった。今回はこれを見に行ってみることにしたわけである。ただ一般ウケしない施設であるせいか、手元のガイドブックには情報が載っておらず、場所などが全く分からなかったので、まずは長野電鉄の松代駅に行って情報収集をしてみることに。
だが、駅舎内のパンフレットラックには何もささっておらず、近隣の観光マップのようなものは入手できなかった。ただ、駅前に観光案内図が掲示されていて、そこに象山地下壕の表記を見つけることができた。それによると駅から地下壕まではそれほど離れていなさそうだったので、徒歩で行ってみることにした。ご覧のとおりの雨模様なので、持参しておいたレインコートを着込んで出発。
松代の町は古くからの城下町でもあるので歴史的な建物などが数多く残っている。そうした建物の建ち並ぶとおりを、由来などに意識を向けるでもなく眺めながら淡々と歩く。雨降りだからかあまり人の気配が感じられず寂しい行軍だったが、10分ほど歩くと象山神社があり、そこさらにもう少し進んだら地下壕の入口に着いた。
だが施設はまだ開館していなかった。建物の前に掲示された開館時間を見ると9時に開館すると記載があった。9時までまだ1時間ほどあるが、雨の中をぼんやり待つ気にはなれないし、かといって街中を散策する気分にもなれない。そこで、象山地下壕の見学のあとで見に行こうと思っていた、舞鶴山の地震観測施設のほうを先に見に行ってみることにした。こちらは歩いて行ける距離ではないので、一旦戻って車で行くことに。
舞鶴山地震観測施設:
こちらがその地震観測施設の入口。ここは気象庁の施設で、松代大本営用として掘られた地下壕を活用して作られた施設である。地盤が安定しており、外部からのノイズなどの影響を受けにくい場所であることを活かして、精密な地震計などが設置されているそうだ。
気象庁の施設だというので、一般人がフラっと訪ねて見学ができるような施設ではないのだろうという気はしていたが、その予想どおり出入口の扉は固く閉ざされていて、施設への入口の外観しか見ることができなかった。
帰宅後に調べていて分かったのだが、敷地の奥にある展示室(上の写真の緑色で塗られた建物)は公開されていて見学が可能だったらしい。まぁどちらにしてもあの時間は開館前だったとは思うが。それを知っていたら時間を合わせて訪問したのに・・・惜しいことをした。
ちなみに施設の中には天皇の間というものがあるらしい。天皇の居室となる予定だった部屋だそうで、年に一度一般公開されているとのこと。次回訪問の機会があったら、改めて展示室とともに見学してみたいところである。