信州ドライブ - 6(2010/09/20)
— 不思議な町、松代 —
翌朝。
外を見回すとあいにくの雨。。。
天気予報を見てみると、午後からは回復するとのことです。
昨日、松代に行きたい、と書いたのは、松代大本営跡を見たかったからです。
大本営というのは、戦時中の日本軍の最高機関で、いわば総本部というようなものなのですが、太平洋戦争末期に米軍の本土襲来の可能性が高くなり、その際海に近い東京(皇居)では、大本営を置く場所としては脆弱という事で、象山(ぞうざん)、舞鶴山、皆神山のそれぞれの地下にトンネルを掘って大本営や各種首都機能を移転することになり、以降勤労隊や朝鮮人労働者によって突貫工事が進められたのですが、75%ほど完成したところで敗戦を迎えたため、作業が中断、そのまま放棄された場所です。
それぞれの山に掘られたトンネルの長さは10キロ以上にも及び、計画の壮大さと、工事の大変さを想像させられる施設です。
この跡地のうち、象山の地下に掘られたトンネルの500m程が公開されています。
また、舞鶴山のトンネルは日本でも有数の規模を誇る地震観測の施設になっています。
原付の持っているガイドには詳細な情報が出ていなかったので、まずは松代駅で情報収集。。。のつもりが、駅のパンフレット置き場に松代を案内するガイド類が一切置かれていませんでした。
駅員に聞いてみると、丁度切らしてしまったとのことです。
仕方ないので、駅前の案内地図で大体の場所を頭にインプットして、とりあえず駐車場のある所まで行くことにしました。
駐車場に車を置いて、まだ小雨が降り続いていたので、持参したレインコートを羽織って、お散歩がてら雨の松代を散策することに。
松代神社の前を通って、神田川の川岸に設けられた遊歩道を歩いていくと、案内看板が出ていたので、それに従って橋を渡ると程なく到着。
が。。。
公開時間は9時からとなっていて、入り口の扉は堅く閉ざされていました。。。
時計を見るとまだ8時を少し過ぎたところ。
一時間ここで時間を潰すのもアレなので、一旦車に戻って、舞鶴山の地震観測施設がどんなものか見に行ってみることに。
ここは車で5分ほどで到着。
入り口の近くには割と立派な駐車場と公衆トイレがあって、こちらも公開されているのかと思いきや、こっちは非公開という事で入り口はフェンスで塞がれて監視カメラが目を光らせています。
家に帰ってきてからネットで調べたところ、近くにある展示室は年中公開していることが分かりがっかり。。。
しかも大本営跡の天皇の間なるものも年に一度公開されているそうで、今年の公開日は原付が来たわずか2週間前。。。
その時に訪れればよかったと激しく後悔。。。
しょうがないのでトイレ休憩だけ済ませて再び大本営跡に戻ると、まだ9時前でしたが既に開場していました。
入り口の係のおばさんに声をかけると、ノートを渡され、出身地域と人数を記入。
棚に置かれたヘルメットを装着して入り口へ。
なお、ここは無料で見学することが出来ます。
大本営の移転先になぜ松代が選ばれたのかというと、
- 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場がある。
- 固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
- 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
- 長野県は労働力が豊か。
- 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
- 信州は神州に通じ、品格もある。
などの理由によるものだったそうです。
最後のほうはちょっとこじつけっぽい感じもしなくもないですが、本州の一番幅の広いところにある、というくだりは、付近に日本で一番海から遠い場所、というのが存在するので、確かにその通りですね。
陸路では到達までの時間稼ぎができるし、空からは山が天然の防空壕になるので、確かに理に適っています。
もっとも、肝心の天皇陛下はここへ移動することを拒否していたという話もあり、出来上がった所で無用の長物になっていたのかもしれません。。。
という事で中に入ってみると、手掘りの通路が延々と奥のほうへ続いています。
トンネル特有のひんやりとした湿った空気に包まれながら進んでいくと、奥のほうにはコウモリが飛び回っていてなかなかスリリング。
このコウモリ、人が怖くないのか、こちらに向かって飛んできたりして結構うろたえます。
闇雲にシャッターを切ったら一枚写りこんでいました。
日本のコウモリは吸血コウモリではないので、心配要らないのですが、トンネル内のうす暗い電球の明かりと相まってお化け屋敷さながらのスリルを味わうことが出来ますw
途中、10m間隔くらいに直角に交わるトンネルが続いており、こちらはフェンスで塞がれていて立ち入り禁止ながら、奥が全く見通せないので若干不気味さが感じられます。
途中には壁に突き刺さったままの削岩機のロッドが残されていたり、掘り出したズリを運び出すためのトロッコの線路跡があったりします。
また、非公開の部分に残された朝鮮人労働者が書いたと思われる落書きがパネルで展示されていたりします。
意図するところがあるのかないのか分かりませんが、どちらかというと、このトンネルの掘削工事における労働者たちの悲惨さをアピールするような演出になっています。
一方Wikipediaに掲載されている内容などは、どちらかといえばさほど悲惨な色合いを感じさせない内容になっており、この辺りは関係者でないと分からないものかもしれません。。。
公開されている一番奥まで進むと、進入禁止のフェンスに千羽鶴がいくつもかけられていて一瞬ぞっとしました。
思いのほか訪れる人は多く、何組かの人とすれ違いましたが、世の中には物好きが結構いるもんだな、と変な感心をしながら外に出てきました。
外に出ると、入り口の脇に日本語と韓国語で書かれた慰霊碑が建てられています。
また、敷地の2軒先には「もうひとつの歴史館・松代」という施設がありました。
あいにく開いていなかったので中を見ることは出来ませんでしたが、敷地の壁にいくつかの展示物があったので見学させてもらうと、やはり、主に朝鮮人労働者についてこの工事の悲惨さを訴えるものでした。
ヘルメットを返して受付のおばちゃんにお礼を言って神田川のほとりまで来ると、100mほど先の寺に20人ほどの団体が。
案内人の説明に聞き入っているようでしたが、胸にぶら下げたネームプレートや腕につけた赤い腕章など、どうも昨日のとんくるりんに来ていた団体のような気がしてなりません。