都内の東日本大震災【1】

この世に大地震というものがあって、ことと次第によっては大きな被害を出すものなのだ、ということを自分が知ったのは、多分小学校低学年の頃に読んだ図鑑が最初だったと思う。その図鑑の詳細はもうはっきりとは覚えていないが、実際に起こった地震の例として関東大震災が挙げられていたことと、次に発生すると東京で大きな被害が出ると予想される地震として東海地震というものがあり、しかも間もなく発生する可能性が高いので、普段から備えを忘れないようにすることが大切である、といったようなことが書かれていたことは覚えている。他にも、松代の群発地震や宮城県沖地震、新潟地震なんかも取り上げられていたような気がする。

ただ、あくまで子ども向けの図鑑なので、概念的な内容に留まっており、関東大震災についての記述も、この震災により関東一円に甚大な被害が生じたことが写真付きで紹介されていたが、それを読んでもいざ地震が発生した時に、身の回りにどのようなことが起こるのかということは、あまりイメージができなかった。というのも日本では戦後から暫くの間、甚大な被害を生ずるような地震が発生しなかったからで、古い白黒写真とイラストだけでは、どのような経過を辿ってそのような破滅的な状態に陥るのか、というあたりの動的なイメージが湧かなかったのだ。

まぁ平たく言うと映像がないから分からない、というわけである。想像力の限界というか、昭和のテレビっ子あるあるではないかな。

で、もうひとつ触れられていた東海地震の方は、当時最も発生が懸念される地震として、しきりに警鐘が鳴らされていたこともあり、多くのページを割いて紹介されていた。この東海地震や南海地震(当時は東南海地震や南海トラフ地震という表現ではなかったと記憶している)は、過去の文献から、繰り返し発生している地震であることが分かっており、その発生間隔から、そろそろ次の東海地震が起こってもおかしくない時期にさしかかっている、というようなことが書かれていた。

その東海地震の想定震源域は、東海道に面した静岡県沖となっている。東海道は日本の最も重要な大動脈であるので、そこを地震でやられることは絶対に避けなければならない。そのため国も観測態勢の整備に注力した。その結果、この地域でもし大地震が発生する場合、事前に震源域での微少なスリップ(プレ・スリップ)が観測される可能性があることが分かった。

このプレ・スリップを捉えることができれば、本震の発生前に対策を行うことが可能となるため、それによって被害を最小限に食い止めることが国の対策方針となった。その内容は多岐にわたるのでここでは触れないが、大枠としては、もしプレ・スリップを検知したら、内閣で検討した上で緊急宣言を発令し、このエリアにいる人の行動を制限するというものであった(後にこのプレ・スリップの検知による大地震の予知は不可能であると結論づけられ、今ではこうした対策は行われていない)。

まぁ、今から振り返ると、それらのプランは実効性の点で疑問を抱かざるを得ないようなものが多かったように思うが、当時はそのプランに基づいた行動指針の策定や、インフラの整備が行われていった。特に静岡県や山梨県の辺りは重点的な対象エリアとなり、高速道路のSAなどに、ここがそのエリアに含まれる地域であることや、発令時の対応や制限事項を明記した巨大な看板が掲げられているのを見たことがある。

上記の東海地震予知への取り組みは、自分が大きくなって改めて調べたものだが、図鑑にも平易な言葉で同じようなことが書かれていた。だが、それを読んでも漠然とした不安を植え付けられただけだった。学校にいれば定期的に避難訓練が行われるし、イベントに起震車が来て、地震の体験をすることができたりもした。だがそれでも、地震が起きたら世の中がどんな風になってしまうのかは全くイメージできなかった。

避難訓練は流れ作業だし、起震車で震度7の揺れを体験しても、立てないような揺れではなかったから、これが何で関東大震災のような被害に繋がるのかが分からなかったのだ。

テレビなどでは時々特集が組まれていた。だがその内容はちょっと煽り気味のものが多かった気がする。それこそ東京が地震でやられたら世界が終わる位の論調でやるものだから、オカルトと同レベルでいたずらに恐怖心を植え付けられただけだった(そういう内容でも当時は当時の知見で真面目に制作していたのかもしれないが)。

今ならインターネットであれこれ裏取りをすることができるので、信じて良いことと、与太話として聞き流すべきことの区別はしやすくなったが、当時の情報源は、もっぱら新聞雑誌かテレビしかなかったので、そんな番組でも真に受けてしまったのだった。

これは子どもの世界だけではなく、大人も同じだったのではないかと思う。何しろ当時の日本は、大地震はめったに来ないものだったのだ。とりわけ関東近郊や関西近郊は静穏そのもので、何十年もの間大きな地震に見舞われていなかったから、それが明日にでも起こりうるかもしれないという切迫感は、ほとんどの人が持っていなかったと思う。それこそ、関東大震災を経験した人でもない限り、やがて起こるであろう大地震を具体的にイメージすることはできなかったのではないかと思う。

そうした平穏な時代は、自分がそれらのことに触れてから10年位続いた。だが1995年にその平穏はついに打ち破られた。阪神淡路大震災である。この地震は、自分が生まれて初めて目の当たりにした大震災となった。建物はぐしゃぐしゃに壊れ、道路は横倒しに。あちこちで火災が起こって多くの人が犠牲になった。

(その2年ほど前に北海道南西沖地震が発生して、奥尻島が津波で壊滅状態になったが、阪神淡路大震災の方が自分がかつて行ったことのある場所であったこともあって、強烈な印象として記憶に残っている。)

久々に大都市で発生したその震災は、映像技術が発展したこともあって多くの映像が記録された。特に地震発生の瞬間を捉えた映像というのはこれまで見たことがないものだった。このとき初めて、実際の大地震が起こった時にどのようなことが起こるのか、というのをはっきりと印象づけられた。

そして、現地からの中継も多くの時間を割いて放送された。その中継の姿勢には、プライバシーの侵害といった負の側面もあったりして、大きな課題となったが、一方で遠く離れた関西の地で起こった事象でありながら、そこで何が起こっているのかということについて、多くの情報を得ることができた。

自分自身、正直なところ、この震災が発生するまで、もう日本では(少なくとも自分の生きている間くらいは)大きな地震が起こらないのだろうという、漠然とした暗黙知のようなものがあった。そうした中で発生した阪神淡路大震災は、震災というものがいつでも起こりえるんだという、当たり前の事実を改めて突きつけられ、脳天をバットで殴られたような衝撃を感じた。

その一方、不謹慎を承知で書くが、この地震が東京で起こったものではなかったことに安堵の気持ちがあった。ただ、東京でこんな地震が起こったら、一体どのようになってしまうのだろうという、恐怖心を伴った不安は更に膨らんだ。

この震災以降、日本の各地で大きな地震が頻発するようになっていった。だが、不思議と東京はそのターゲットとはならず、関東地方は平穏なままだった。それはまるで東京を徐々に包囲していくかの如き有様で、次こそは東京なのではないかという恐怖心は、自分の中に常にくすぶっていた。

そして、2011年3月11日に東北太平洋沖地震(3・11)が発生した。自分は都内の職場でこの地震に遭遇した。この地震は、東京も近年ないほどの大きな揺れとなった。大きな地震に遭遇した経験のない自分は、関東大震災が来てしまったのだと誤解したほどだ。それまで日本の各地で多くの人を悲嘆にくれさせた地震災害を、ついに自分が味わう番が来てしまったのだと思った。

だが、この地震の一番の被災地はまたしても東京ではなく、東北の太平洋側であった。東京は東北地方が蒙った被害からしたら、些細といっても良いくらいの被害に留まった(痛ましい被害がなかったわけではない)。


さて、次章より、自分が東京都内で体験した東日本大震災について、地震発生から概ね1ヶ月後位までの間に、自分の身の回りに起こったできごとや、見聞きしたことなどをまとめた手記をお届けする。正直、東北の筆舌に尽くしがたい被害を思えば、ただの日記に過ぎないような文章なので、書いたはよいものの公開することに迷いがあったのだが、都内在住者の震災体験記はあまりなさそうなので、ひとつの体験記として公開に踏み切ることにした。

大した浮き沈みのない(というかむしろ沈みがちな)淡々としたものではあるが、東京に住まう人間の観察記として、ご一読いただければ幸いである。

Posted by gen_charly