都内の東日本大震災【5】
3月11日 17時30分 帰宅:
帰宅の道のりは全行程の半分以上進んだ。カミさんたちと話をしながら歩いていたので、それほど長時間歩いている気はしなかったが、ゆっくりと歩いていたので、既に1時間半くらいは歩いている。この分だと自宅まで3時間くらいかかりそうだ。今日は妙に冷え込む日で、いつの間にか手足が冷えきっていた。
なにか温かい飲み物でも買おうと思って、通りすがりのコンビニを覗いてみたら、見事にほとんど売り切れていた。やっぱりそうなるよね。売るものがないのに、なぜ店を閉めないのか不思議だが、本部の許可なく勝手に閉店したりできないのかもしれない。結局飲み物は手に入れられなかったが、まぁ家まで辿り着けば何かしら飲み物があるのでそれまで我慢。夏の盛りだったら死活問題だったかもしれない。
出発時点では同じ方向を目指して歩いていた人たちも、自宅の1キロ圏内あたりまで進むと、徐々にばらけてだいぶ閑散とした。もう間もなく自宅のマンションが見えてくるはずだ。倒壊していなければよいのだが・・・。
自宅マンションは2006年に建てられたものだ。当時最新の耐震基準を満たした建物、という触れ込みで販売されたものだが、その基準は阪神淡路大震災の揺れを元に定められた基準であるらしい。阪神淡路の時は、震度こそ7を記録したが、揺れの時間は数十秒程度だったという。一方、今回の地震の震度はそれほどでもなかったが、3分あまりの長時間にわたって揺れが続いた。そのうえ震度3から5程度の余震も頻繁に発生している。つまり全く性格の異なる地震であり、そんなに長時間揺れが続くようなことまでは想定していないのではないか、という気がするのだ。
もし万が一倒壊していたら、欠陥なのか想定外なのかで大きなもめごととなるだろう。家財については非常時だから、この際目をつぶるにしても、その議論や裁判が長々続くのは煩わしい。
そんな不安を抱きつつ歩いて行くと、やがて自宅マンションが見えてきた。ちゃんといつもどおりの場所にいつもどおりに建っていた。無事でよかった・・・、といっても全く無傷というわけでもなかった。

建物内に入ると、あちこちで外壁タイルが剥がれていたり、地面にひび割れが生じているのが確認できた。ただし、それらは建物の躯体そのものには影響なさそうなものばかりだったので、まずは一安心。
ホールに入ると、その片隅で住民と思しき女性が、青い顔をして携帯をいじりながら座り込んでいた。大きな揺れに肝を冷やして避難しているのかなと思いつつ、彼女を横目にエレベーターホールに向かったら、エレベーターが停まっていた。あの人はそれで帰宅を挫折してしまった高層階の人なのかもしれない。
かくいう我が家も15階である。エレベーターが停まっているとなれば、階段を登らないと自宅にたどり着けない。少しうんざりしたが、それでも早く荷物を降ろして一息つきたい、という気持ちに後押しされる形でひたすら階段を上った。
そして玄関前にたどり着いた。エントランス部分に特段の被害はなさそうだ。カミさんが横で、中がどんなになっているか不安だねとつぶやく。そんなこと言うなよ・・・。まぁ、外がこんな具合だから、中もそれほど酷いことにはなっていないんじゃないかな、なんて思いつつ、玄関ドアを開けた。
玄関から見えた室内は普段どおりで、特に何かが倒れているといったこともなかった。電気のスイッチを入れたら、普通に電気も付く。

それで安堵しながら靴を脱ぐと、北側の部屋に置いてあった、ベースアンプとキャビネットスピーカーが盛大にひっくり返っていた・・・おいアンプ、大丈夫か!?

リビングへと進むと、真っ先に重心の高い鉢が転倒して割れて粉々になっていた。

そのまま他の部屋も見ると、立てかけておいた姿見が倒れて割れていたり、棚の小物が落下したり・・・。玄関の様子から想定していた以上の被害状況に言葉を失った。一方で特に心配していた食器棚は無事だった。この食器棚は壁に固定されていて、扉にはロックが取りつけられているものだったので、地震で扉が開かず、中の食器はいつもどおりの定位置に収まっていた。ここがやられていなかったのは一安心である。
他にも耐震補強を済ませておいたテレビなどは全く被害がなく、対策を怠っていたものがてきめんにやられていた。これだけものが散乱しているところを見ると、自宅はかなり大きな揺れに見舞われたようだ。高層階だから揺れが増幅されたのかもしれない。自宅で地震に遭遇しなくてよかった・・・。
散乱状態のまま放置するわけにもいかないので、疲れた体に鞭を打って片づけを済ませることに。カミさんと手分けして片づけを進めつつ、避難袋の中身確認と追加の補充も済ませておいた。今回の地震は今までに経験したことのある地震とはまるで違う。ひっきりなしに小さな余震がくるし、たまに大きめの余震も起こっている。そうなると本震に近いレベルの地震が起こる可能性も、当面ありそうな気がした。そうなった時にあれどこだ、これどこだ?などと探している余裕はないので、今のうちに整えておこうという寸法だ。
3月11日 18時00分 津波の映像:
さっき避難している時にちょろっと見たきり、地震の情報が途絶えていたので、アップデートを確認しようとテレビを点けた。テレビは各社特別報道番組に切り替わっていて、地震報道一色になっていた。もっぱらヘリからの映像と、東北の沿岸各地で視聴者により撮影されたという、津波の映像が繰り返し放映されていた。
今回は地震発生が日中帯であり、かつ動画撮影可能な携帯電話が普及していたため、津波のみならず自宅内での被災状況など、克明に記録された動画が数多く撮影された。特に津波に関しては、恐らく多くの人がそれらの映像によって、その有様を初めて目にしたのではないだろうか。数年前にスマトラ島沖地震という大地震があり、インドネシアの沿岸各地に押し寄せた大津波の映像がニュースなどで流れていたが、日本に被害が及ばなかったこともあり、すでに記憶に残っていないという人も多い気がする。
映像は、津波警報が鳴り響く中、沿岸部から押し寄せた津波が、瞬く間に街の中に流れ込み、その勢いで車や家が洗いざらい押し流されていく様子があられもなく収められている。なんでこんなことになっているのだろうかと、何とも説明しづらい不思議な気持ちに襲われる。
津波という自然現象があることは知識としては知っている。明治三陸沖地震というのが過去に発生して、その際の津波で沿岸の町に甚大な被害が出たということも知っている。だが、その明治の津波が、どのように街に襲い掛かったのか、どのようにして建物が破壊され、どのようにして人命が失われていったのかといったことは、映像が記録できなかった時代の話なので想像するしかない。
ところがなぜか今ここで、恐らく明治の津波はこうだったのだろうな、という光景が展開されている。津波が街に襲来する様子が克明に記録されている。だがこれはイメージ映像ではない。その映像に映る流された家には、そこで暮らしていた人がいるかもしれない。そして自宅が流されていくのを為す術なく見ていることしかできない人がいるかもしれない。さらには家の中にまだ取り残されている人がいるかもしれない。どれをとっても絶望的なまでに悲惨なできごとなのに、なぜかそういう部分に思いが馳せられない。なんなんだこの現実感のなさは。
いま自分が見ているものは一体何なのだろうかという、ゲシュタルト崩壊のような、認識はできているが理解ができない、変な感覚に支配されながらテレビを見た。