都内の東日本大震災【6】

3月11日 福島第一原子力発電所のトラブル:


片付けを続けながらテレビに耳を傾ける。今回の地震の規模が訂正され、マグニチュード8.8になったことを伝えていた。地震の規模というのはざっくりいえば、どのくらいの量が破壊されたかということだ。数字が大きければ大きいほど、広範囲が一気に破壊されたことを表している。

8.8といったら、前章で触れたスマトラ島沖地震(マグニチュード9.3)に匹敵する規模の地震だったことになる。だから宮城県沖で発生したにもかかわらず、東京がこんなにも長時間大きく揺れたのか。今回の地震では、宮城県沖から茨城県沖という非常に広大なエリアが、いっぺんにずれたらしい。といってもそれだけの距離となると一瞬でというわけには行かない。宮城県沖を皮切りに断続的に茨城県沖まで破壊されたため、あんなに長時間に渡って揺れが続いたということのようだ。

こうした地震は、東北の太平洋沿岸では、およそ1,000年に1度程度の周期で繰り返し発生していたらしい。直近では西暦860年に貞観地震という地震が起こっているであろうことが、歴史書の記述や実地調査により判明している。ただしその地震が、今回の東北太平洋沖地震に匹敵する規模のものであったことが分かったのはつい最近のことで、今後の備えを促すべく提言をまとめているさなかの地震発生だったそうだ。

ニュースは次に福島第一原発でトラブルが発生したことを報じた。ただ、情報が錯綜しているらしく、具体的にどのようなトラブルなのかは、まだ時を追うごとに内容が変化している。放射性物質の飛散を警戒して、福島県の浜通りに位置する原発周辺自治体の一部が、立ち入り制限区域に指定されたと言っている。その地域の住民は制限区域外への避難を始めているらしい。

いや待ってよ。なんか暢気に報道しているけど、それって福島の原発がチェルノブイリみたいなことになってるってことじゃないのか。もし放射性物質が飛散したら、風向き次第で関東辺りにも浮遊してくるではないか。

そんなことになったら、ことと次第によっては我々もどこぞへ避難しなければならなくなるが、どこへ避難したら安全なのだろうか。というか、それ以前に首都圏の人間がこぞってどこかへ避難することなど100%不可能だ。なにしろいま、首都圏の交通機関は絶賛大マヒ中なのだ。

飛散しないことを祈るしかないのか。ともかく手遅れになる前にはちゃんと情報発信をしてほしい。日本が戦時中の大本営のままの状態でないことを祈る。


片づけをしながらそれらのニュースを聞くはずが、目まぐるしく様々なニュースが飛び込んでくるので、その都度思わず手を止めて、テレビを注視してしまい、部屋の片づけは一向に進まなかった。

それでも1時間ほどかけてあらかた終えることができた。ついでに高い場所に置いてあるものを下におろしたり、倒れやすいものは予め倒しておくことにした。再び大きな地震に見舞われた時に、少しでも被害を最小限に留めるようにしておきたい。

3月11日 安否確認:


そこまで済ませたところでようやくひと段落。時間は既に19時を過ぎていた。とりあえずコーヒーでも飲んで一息入れようと、やかんを火にかけたらコンロが点火しない。ガスはやられたか・・・と一瞬うろたえたが、すぐにマイコンメーターが地震を検知して、供給を止めている可能性に思い至った。屋外にあるマイコンメーターを確認したら、案の定供給が止まっていたので、手順書を見て復旧処理を行いあっさり復旧。

コーヒーを飲みながら、暫くの間テレビを見た。東北の沿岸部は一旦津波が引いた後も、第二波、第三波が襲ってくる可能性があるため、救助活動が始められない状況が続いているそうだ。おまけに道路網が各地で寸断されており、近隣の支援者も被災地に入ることができずにいるらしい。辛くも逃げ延びることができた人達は、ライフラインが途絶した避難所で不安な夜を過ごしているそうだ。

東北でそういう極限状態に晒されている人が沢山いるのに、一方の自分はコタツなんぞに入りながらぬくぬくとテレビを眺めている。そこはかとない罪悪感・・・。

いつの間にかカミさんの携帯に、実家から無事を知らせるメールが届いていた。カミさんの実家は千葉にある。実家は特に被害もなく、ご両親も無事だったが、停電しているそうだ。東京からそれほど離れているわけでもないのに、千葉ですら停電しているのか。

メール着信を確認して、通信環境が復旧しつつあると判断し、知り合い関係に安否確認を送ることにした。それから徐々に回答が送られてきて、結果全員無事であることが分かり一安心。ただし友人の1人は、奥さんを迎えに行くために車を出してしまい、大渋滞に巻き込まれて身動きが取れなくなっていると返信があった。やっぱりそうなったか。

ベランダに出て一服しながら、それらメールの返信を送った。一段落して外の景色に目をやると、自宅前の道に車が数珠つなぎになっているのが見えた。自宅前の道は単なる生活道路である。これまで渋滞など一度もなかった道が渋滞で膠着状態になっている。まさかこんな身近なところにまで影響が出るとは・・・。

室内に戻ると、テレビのニュースから帰宅困難者についての情報が流れていた。電車は未だに動いていないらしい。そのうえ首都高速も道路点検のため通行止めになってしまったので、車両が全て一般道へ流れ込んで、都内各所で全く身動きが取れない状態に陥っているそうだ。やはり頑張って徒歩帰宅して正解だった。

覚悟を決めて長距離を徒歩で帰宅しようとする人や、逆に駅周辺の小学校や、オフィスビルなどに開設された一時避難所に身を寄せて、帰宅を諦めた人のインタビューが放送されていた。自宅が今の場所でよかった。ここに引っ越してくる前は調布市に住んでいたのだが、もし今も調布に住んでいたら、自分も帰宅を諦めて体育館やオフィスフロアに身を寄せていたかもしれない。だが、固い床でスーツのまま毛布に包まって一夜を明かすのはゾッとしない。案外無謀と分かっていても休み休み歩いて調布を目指したかな。

その時ふと上司がどうしているのか気になった。どこかで時間を潰すと言っていたが、時間を潰せる場所は見つかったのだろうか。試しにメールを送ってみたらほどなく返信があった。それによると解散後、ほどなく近隣の中華料理屋に転がり込むことができたそうだ。8人ほどのメンツで店に入り、すぐさま酒を注文し酒盛りを楽しんだとのこと。その後、夕方辺りで店が閉店することになったため、コンビニで酒を買い込んで、今は事務所で二次会をしているらしい。なんだ心配して損したwまぁ、無事ならいいか。

それから再度従弟に電話をかけてみた。今度はすぐに通じてほどなく電話に出た。彼は今は帰宅しているが、停電しているので車にいるらしい。従弟は自動車整備士をしており、地震発生時も職場で車のメンテナンスをしていたそうだ。

地震発生時は下から突き上げるようなすさまじい揺れだったらしい。そうした揺れが何度も襲ってきて、体が浮き上がるほどの衝撃もあったそうだ。その揺れによって建物のガラスは全て割れて、上の方に置いていた工具類が自分めがけて落下してきた。さらにジャッキアップしていた車まで揺れで落下してしまい、とにかく肝を潰したと言っていた。

確かに整備工場に行くと、棚の上の方まで工具が積み上がっているのをよく見かける。直撃を免れて本当に良かった。ともかく余震に注意して、すぐに逃げられるように避難口を確認しながら過ごすよう伝えて終話した。

しかし散々な1日だった。しかも明日になれば元通りというわけにもいかない。幸いにして東京は壊滅を免れたが、東北の方は悲惨な状況が今も続いている。とりあえず身の回りで大きな被害に見舞われた人がいなかったのが、自分にとって不幸中の幸いだったが、この先どうなっていくのだろう・・・。

ともかく今日は疲れた。もう就寝したいところだが、夜中に大きな余震に見舞われないとも限らない。もしそれで避難を要することになっても極力すぐに行動に移せるよう、普段着を着たままコタツで眠ることにした。

寝ている間に何度か余震があった。その都度起されたので大して寝た気がしないまま朝を迎えた。

Posted by gen_charly