— 納豆は10パックもいりません。。。 —
店は沢山の人たちで賑わっていました。
おばさんは人ごみが大嫌いで、さっさと買い物を済ませたかったらしく、早足で店内に入っていってしまいました。
原付はカートを押して人ごみをかき分けながら進まなければならないので、はぐれてしまいそうでちょっとドキドキ。
岩手のお土産ということで、油麩 (あぶらふ)と一関の佐々木製菓の手焼きせんべいを買うつもりです。
油麩はその名の通り麩を揚げたものなので、見た目はフランスパンみたいな感じです。
これを適当に切って味噌汁に入れると、とってもうまいのです。
それから、日用品も安ければ買おうと思っていました。
納豆売り場で「納豆買うか?」と聞かれ、買う、と言うと「10個くらいでいいか?」 と聞かれました。
いやいや、10個も食べきれないよ、と答えると、「冷凍しておけばいいんだから」といいながら、バシバシとカートに放り込み始めました。
いやー、まいったなー、と思っていると、ふと脇にあった納豆に目が行きました。
白糸納豆、という納豆、地元のもので、少し高いけど一つ一つ紙に包まれた納豆です。
以前おばさんの家で出されて美味しかったのを思い出し、こっちにする、と言ってさっきおばさんが放り込んだ納豆をいくつか棚に戻して、こっちを幾つか入れました。
その後、晩御飯のおかずと、東京に持ち帰るヨーグルトを買って慌しくレジへ。
原付が財布を出そうとすると、おばさんが「いいから!」と言って遮ってきました。
いやいや、それでは被災地にお金が落とせないから、というと、「いいの、あんたは貯めときなさい。」といって譲りません。
岩手の親戚って、そういう時絶対に譲らない人ばっかりなんだよなぁ。。。
なんとなくそんな風になる気もしたんだけれど。
結局ご好意に甘えることになりました。
レジを抜けた後、名店街で手焼きせんべいを購入。
南部せんべいは巖手屋(いわてや)で出しているゴマが入っているものとか八戸のせんべい汁に使う何も入っていないシンプルなものの方がルーツなんだそうです。
が、小さい頃から南部せんべいといえばコレ、という具合にインプリンティングされているので、原付的にはサブレ風の手焼きせんべいの方が好み。
せわしなく買い物を済ませて、おばさんの家までの帰り道、
「一関でも家が傾いている所がある。」
というので、見学に行くことに。
橋のたもとに経つその家は橋を渡る前から明らかに大きく傾いているのが見えました。
この辺は従弟が通っていた小学校の近所だったそうで、 「あそこの下って小さい時遊んだ防空壕があったとこだったよね?」 と言っています。
庭の地面が大きく陥没していて、明らかに防空壕が崩れてしまった事を物語っています。
続けて、小さなアパートが立ち並ぶ団地を通りかかりました。
「どの家も障子紙が破れてるでしょ?アレも地震で破れたんだよ。」
写真だけ見ると、単に障子が破れただけのようにしか見えませんが、良く見ると斜めに一直線に破けているところがあり、普通の破れ方にしては不自然です。
立ち並ぶ家々の障子紙が全て同じ具合に破けていて、地震の影響であることがよく分かります。
その後、晩御飯の準備をするというおばさんを自宅で降ろして、従弟も自宅まで送り届けました。
その帰り際、油麩を買い忘れたことに気が付きました。
で、丁度近場にスーパーがあったので寄ってみることに。
油麩は無事ゲット。
ついでに一関の地酒がほしいなと思い売り場へ。
一関のお酒は、関山(かんざん)と世嬉の一(せきのいち)が有名らしいです。
(お酒飲めないので、よく分からないのですが。。。)
前回関山を買ったので、今回は世嬉の一を買ってみることに。
それと、カミさんがちびちび行くだろうと、ワインを一緒に買いました。
ワインは「いわて早池峰山麓 月のセレナーデ」というもの。
これで、お土産は十分でしょう。
日が暮れた頃におばさんの家に戻り、晩御飯をいただくと、あとは東京へ帰路につくことになります。
Uターン渋滞が気になって調べてみると、福島の辺りで40キロの渋滞とのこと。
まぁ、そんな感じになるのはわかっていたので、少し仮眠をとらせてもらうことに。
携帯の目覚ましを22時にセットしていて、時間通りに目覚ましがなりました。
寝起きの余りよくない原付は、スヌーズの設定に任せて二度寝。
何度かスヌーズを停めながら惰眠をむさぼっていたのですが、ある時スヌーズのアラームがなる前にはっと目が覚めました。
根拠はないけど、なんだか揺れが来そうな予感がした瞬間、小刻みな振動。
震度2程度の揺れでしたが、揺れが来る前に目が覚めて、しかも地震が来る予感があったことにゾッとしました。
予知能力に目覚めたのかと思いましたが、その後の地震では全く予知出来なかったので、どうやらたまたまだったようですが。。。
予知した気持ち悪さで目が覚めたので布団から起き上がり、再度渋滞のチェック。
見ると福島の辺りにまだ数キロ程度の渋滞が残っているようでしたが、そのくらいなら何とかなりそうなので、出発することに。
リビングでテレビを見ていたおばさんにそろそろ出発すると伝えると、気をつけて帰るんだよ、と言葉をかけてくれました。
荷物を車に積み込んで、おじさんとおばさんに挨拶して、帰路につき始めました。