九州初日の出 - 12(2013/01/03)
— 九州の北海道にある東洋のナイアガラ —
鹿児島の親戚は朝が早いそうなので、頑張って7時に起床。
軽く朝食を済ませて出発。
栗野インターで高速を降り、後は一般道を進んでいくのですが、大口の市内(現在は正確には伊佐市内ですが。。。)に入ると、小雪がちらつくようになり、昨日までいた場所と同じ鹿児島県内とは思えません。
やはり「九州の北海道」の異名はダテじゃないなぁ、と妙に感心しました。
この辺りは鹿児島でも有数の米どころとなっていて、周囲は水田が延々と広がっています。
ナビはそんな農道を通行するよう案内しているのですが、ふと道の脇に櫓が組まれているのが目に付きました。
なんだろうと思って車を寄せて窓を開けてみると、「鬼火炊き」 と呼ばれる儀式に使われる櫓のようで、傍らの看板には1月5日に点火するようなことが書かれていました。
鬼火炊きというのは、松の内が終わった後に門松などをここで燃やして無病息災を祈る儀式だそうです。
それから程なく親戚宅に到着。
まずは新春の挨拶と共に到着が遅れに遅れまくった事をお詫び。
それと、ご先祖様へもご挨拶。
居間でコタツに入るとすぐに、おばさんが雑煮を食べるか?と聞いてきたのでありがたくいただくことに。
いやぁ、こういうのがあると正月って感じがしていいものですね。
みんなは箱根駅伝を見ていたところで、原付たちも一緒のコタツに納まって、お雑煮の餅をほうばりながら、時折近況などを話したりしつつ、まったりとした時間が流れていきます。
それから今度は手打ちした年越しそばの残りを食べないか、というのでそれもいただくことに。
暫くして出てきたそばは、妙に丸い麺で、ものめずらしさを感じつつ口にすると、ダシとそばの風味はなかなかのもの。
「いつもは麺がボロボロになっちゃうんだけど今回はそこそこうまくいったんだよね。」
というので、前回よりも上手くいった秘訣を聞いてみたら、包丁で切るのではなく、肉をミンチにする機械を通したのだとか。
どうりで、パスタのように麺がまん丸だったんだ。。。
不意に、「この後の予定はどうするの?」と聞かれたので、長崎の方へ出ようと思います。と答えて、
「そういえば、長崎に行くのに、長島、天草経由と熊本、佐賀経由のどちらが早いですか?」
と質問したら、みんな親切な人たちなので、あちこち電話して知っている人から教えてもらったりインターネットから沢山のプリントアウトを出してくれたりと、思いのほか大騒動になってしまったのですが、どうやら船のタイミングが合えば島伝いに渡った方が早いらしいという結論になりました。
こういうの暖かくてうれしいですね。
そうこうしているうちにあっという間に2時間ほどが過ぎ、若干慌しいもののこの後の予定もあるので、またゆっくり来ますと伝えてぼちぼち出発する事にしました。
みんなで記念撮影し、全員に見送られて出発。
— 圧倒される —
まずは、大口の有名な観光地として知られる「曽木の滝」 を見に行ってみようと思います。
原付が鹿児島へ来るのはこれで三度目になるのですが、最初に来た時は下調べをしていなかったので滝の存在を知らず、二度目の時は法事で観光する時間が全く取れず、というわけで三度目にして初めての探訪です。
別名「東洋のナイアガラ」と呼ばれるほどの名瀑らしいのですが、カミさんを含め周りの人の反応がイマイチ薄かったので、実は大したことのない場所なのかな、という先入観を持っていたのですが、いざ駐車場に降り立つとすぐ脇に土産物屋やお茶屋が並び、想像していた以上に観光地らしい雰囲気が漂っていてちょっと面食らいました。
土産物屋を冷やかしつつ、滝の近くの展望台に上がってみると、これがまた実に立派なもので。
思わずパノラマで写真を撮ってしまいましたが、高さは12mと控えめなものの横幅は210mもあり、これは日本一の規模なのだとか。
カミさんが原付の横で、「あれ、曽木の滝ってこんなとこだったっけかなぁ?」と言い出しました。
なんか、そのセリフ、どこかで聞いた気が。。。w
どんなイメージだったのか聞き返すと、
「なんかもっとしょぼい滝だったイメージなんだよね。」
・・・。
それは一体どこなんですか?
それはさておき、川幅一杯に広がった水流が、大小入り乱れてそこかしこから流れ落ちる様は確かにナイアガラの滝を彷彿とさせます。
この滝は加久藤(かくとう)カルデラの火山が数十万年前に大噴火した時の噴出物が蓄積して出来たものだそうです。
展望台から見ると、滝のすぐ背後に橋が通っていて、これが景観の邪魔をしているという理由で日本の滝百選の選考から漏れたことがあり、下流側に新たに新曽木大橋をかけてこの橋は撤去する事にしたらしいのですが、ダム工事のトラックが行き交っていた頃と違い、今では風景の一部にちゃんと溶け込んでいるので残した方が良いのではないか、という機運が高まって最終的には遊歩道として残すことが決まったそうです。
曽木の滝から程近いところに、旧曽木発電所という名の明治時代の発電所の遺構が有るそうです。
普段は滝のすぐ下流に位置する大鶴湖のダムに沈んでいるのですが、ダムの水位が下がる5月から9月にかけて姿を現すらしく、当時をしのぶレンガ造りの重厚な建物が水際に佇む姿は一見の価値があるとのことで、ちょっと見てみたいと思ったのですが、今は1月。
どう考えても見えない時期なのですが、折角来たのだから場所の確認だけでも、と行ってみることにしたのですが。。。
曽木大橋を渡り対岸に出ると、やがて発電所遺構への案内看板があり、それに従って進んでいくと、新曽木大橋にぶつかるのですが、橋を渡る右折は進めるのですが、遺構のある左折がなぜか通行止めで進めなかったので、結局行けずじまいでした。。。
悔しいので後で調べてみたのですが、どこにも通行止め情報に訪ねあたらず、もしかしたら原付の見間違いだったのかもしれません。
そうだとしたら惜しい事をしました。
明治時代の記憶を今に残す貴重な遺構ということで、地元ではこれを観光資源として活かして行こうとあれこれ整備しているようなので、ついでに案内標識もぜひ分かりやすく設置してください。
ということで、大口を離れ、まず一旦人吉に抜けてみる事に。
人吉は大口と山を挟んだ反対側に隣接する町なのですが、近くに有る割に訪れるチャンスに恵まれなかった場所です。
人吉といえば一般には球磨焼酎や球磨川下りがイメージされる土地ですが、原付的にはやはりくま川鉄道のある場所というイメージが強い場所です。
到着が昼時になりそうだったので、カミさんに人吉近辺の食事処の検索をお願いすると、市内にある「好来(ハオライ)ラーメン」 というラーメン屋さんがかなり有名との事で、駅での撮影後に行ってみる事にしました。
大口からは国道267号線をまっすぐ行けば人吉に着くのですが、途中の久七峠越えはなかなか険しい場所でした。
今では九州一長い久七トンネル一本で峠を抜けているのですが、トンネルを過ぎると結構な急勾配、急カーブが連続します。
このトンネルの開通前はしょっちゅう通行止めになる厳しい酷道だったといいますから、その険しさは推して知るべしです。
まずは真っ直ぐ人吉駅へ。
駅のホームには真っ赤に塗られたキハ185系の「九州横断特急」が停車していました。
それが程なく発車すると2番線に停まっていたのがキハ40の「しんぺい」。
入れ違いに両方とも発車して駅はすぐに静かになりました。
いいタイミングで来たものだ。
それからくま川鉄道の写真を撮影しようとくま川鉄道ホーム(駅名はJRと異なり 「人吉温泉駅」 となるそうです。)に渡ると、ホーム上に詰所があったので、係員に入場券がないか聞いてみたのですが、ないとの事だったので、代わりに一区間の切符を購入。
ホームから見える車庫(留置線)に停まっていたKT-100形。
10分ほどで折り返しの列車が来るというので少し待ってみることに。
なぜか写真には残していないのですが、駅舎とは反対側の線路脇の岩肌にはポコポコと小穴が開いていて、さながら吉見百穴の規模を小さくしたようなある種異様な姿を晒しています。
後に調べたところによると、ここは大村横穴古墳群というそうで、まさしく原付の読みどおりでした。
程なく入線してきた列車が、これまたラッキーな事にKT-100形のKUMA-2。
この車両も水戸岡鋭治さんがデザインしたものだそうです。
今回の旅行で初めての鉄道ネタでしたが、思いのほか内容の濃いイベントになりました。