伊豆急行の写真を撮りに - 1(2012/01/28)
— 103といっても103系じゃないよ —
伊豆急行にかつて走っていた100系という電車の生き残りであるクモハ103が手直しされた上で本線を走行するイベントをやるという情報が入ってきて、思わず見に行きたくなったわけですが。
伊豆急のサイトによると、基本的には2月末までの隔週土曜日に運転されるということで当初は12月中に見に行こうと思っていたのですが、色々立て込んで調整が出来ずに結局1月末までずれ込んでしまいました。
流石に鉄道の写真を撮るためだけに行って帰ってくるのはもったいないしカミさんの視線が痛いので、釣りと、温泉と、観光を含めたドライブを仕立てることにしました。
ということで、1月27日の会社を上がってから、下田に向けて出発。
伊豆は見た目以上に遠いところで、地図だと小さな半島に見えるのですが、いざ走ってみると下田までは沼津から道が空いていても2時間近くかかってしまいます。
そんな訳で、東京を出発してからおよそ4時間、下田に到着。
その日の寝床は道の駅「開国下田みなと」に求めました。
翌日。
ここの道の駅は、併設された食堂の金目鯛の煮付けが美味くて、かつてはここを訪れると毎回食べていたのですが、今回は持参した朝食で済ませました。
件のクモハ103は11時半ごろ下田に到着するとのことなので、それまでの時間は道の駅の売店などを散策して時間つぶし。
カミさんが手作りマーマレードを見つけて買っていました。
それから丁度良い時間になったので駅へ向かうと、クモハ103はまだ到着していません。
もう10分前だというのにホームにはファンの姿もなく閑散としていました。
原付は写真が撮れれば満足なので、今回のイベントもイベントそのものには参加しておらず、これはもしかしたらイベント参加者以外は締め出されるのかなぁ、と不安になったのですが、まぁその時はその時で、どこか途中の駅にでも先回りしようという腹積もりで臨むことに。
実際には締め出されることも無く、列車入線のアナウンスの後、ホームの向こうからこぢんまりと単行列車が入線してきました。
伊豆急行100系クモハ103
伊豆急行は比較的歴史の浅い鉄道会社で、このクモハ103はその開業時の車両の一つです。
もともと東急の子会社であるせいか、開業時の自社オリジナル車両が引退してからはもっぱら東急の通勤電車のお下がりばかりが走る路線で、あまり車両が魅力的ではなかったので、近年までなかなか足が向かなかった鉄道会社の一つです。
乗客(イベント参加者)が列車から降りて来て、思い思いに車両の撮影を始めました。
丁度車内には誰もいなくなったので、その隙に車内を撮影させてもらいました。
シートはJRの113系などの旧国鉄型車両よりも若干明るめの青色のモケットが張られていました。
係員が車両をホームの反対側からも写せる様に線路内に立ち入り可能な場所を設けて、準備が出来たところで声がかかりました。
そこに入れるのは参加者のみとのことで原付は入れません。
でも参加者がみなそっちに行ってしまい、ホーム上には誰もいなくなってしまったので、却ってじっくりと写す時間が取れました。
二つ上の写真は伊豆急下田側の写真となり、この上の写真は伊東側の写真なのですが、ヘッドライトの周りの塗装が異なっています。
その理由は分かりません。。。
無事撮影も終わり、一旦駅を出ることに。
カミさんは駅前の足湯で暇つぶしをしていましたが、ぬるくて参ったとのこと。
伊豆急を代表する特急列車であるリゾート21のうち、近頃旧伊豆急カラーに塗られた 「リゾートドルフィン号」が運転されているということで、それも写すつもりなのですが、やってくるのはまだ先になるので、それまで少し市内をお散歩することにしました。
— 下田観光 —
下田といえば黒船。
当地で結ばれた日米和親条約が結ばれる際にペリー一行が歩いた通りが「ペリーロード」 という名前で今も残っているということで、まずはそれを見学に。
その途中、軒先でやたらめったらみかんが売っている商店がありました。
冷やかしがてら覗いてみると、一袋150円とか200円とか付いているプライスが破格だったので、一袋買って帰ることにしました。
店番をしていたおばあさんに「この辺の見所ってどこかありますか?」と聞くと、
「どうかね、これといってないんじゃない?」
とすがすがしいくらいの言い切りっぷりです。
そこから少し歩いていくとレトロな雰囲気を漂わせる小道に出ました。
この道がペリーロードで、川の反対側を中心になまこ壁の蔵や石積みの建物が並んでなかなか風流な場所です。
それらの建物はバーや喫茶店に改築されて今も営業しているようです。
途中で橋を渡り路地に入り込んでいくと、「長楽寺」 と書かれた看板が見えました。
ちょっとした階段を上ると本堂があります。
この寺で、かつてロシアとの間で結ばれた日露和親条約の調印式が行われたのだそうです。
本堂の斜め向かいには、その辺の資料を展示しているらしい資料館が建っていましたが、中には入りませんでした。
そしてその向かい側には弁財天が並んでいました。
最初は半年ほど前に高野山で見かけた「水かけ地蔵」 と同じものだと勘違いして、並ぶ像の一つ一つひしゃくで水をかけては手をあわせていたところ、
「その弁天様は自分の生まれた干支のところでお祈りするんですよ。」
と背後から声をかけられました。
確かに良く見ると、像の前に干支が書かれていました。。。
声の主は、少し呆れたような顔をしてそう言った後、資料館に戻っていきました。
これはとんだ赤っ恥。。。
原付夫婦は、よほど欲張りな人に見えたんだろうなぁ。。。
そんなこんなあって、寺の脇の小道からペリーロードへ抜ける途中見つけたオーパーツ。
唐突に窓ガラスの外に設置された洗面台。
住人が何のためにこんな所に洗面台を設置したのか全く想像が付きません。。。
それから小物屋を冷やかしつつ道なりに歩いて了仙寺にやってきました。
ここ了仙寺も下田条約を調印する際の舞台となった場所だそうですが、原付的には裏手にある「了仙寺横穴遺跡」 に興味を惹かれました。
本堂の前を素通りして裏手に回るとその遺跡があるのですが、穴の入り口に柵が設けられていて中を窺うことすら出来ず、なんだか原付が想像していたものとは少し違っていました。
ちなみにこの寺は別名「ジャスミン寺」というそうで、時期になるとアメリカジャスミンが到る所で咲き誇る花の寺になるそうです。
それからカミさんがここへ来る途中に車窓から見たという坂本竜馬の木像がある宝福寺へ行ってみることにしました。
境内から出ようとした時、駐車場脇の売店前で休憩していたおばさんがいて、カミさんがこの辺の見所がないかと聞いてみると、そこの宝物館はいいところよ、というので前まで行ってみたのですが、入館料がちょっと高くて結局素通りしてしまいました。
それはさておき、宝福寺。
了仙寺からは少し離れた場所にあって、下田駅のほうへ10分ほど戻ったところにあります。
ここには唐人お吉の記念館もあるのですが、坂本竜馬の木像が見れればそれで満足だったので、中には入りませんでした。。。