四国初日の出2012 - 8(2012/01/02)
— 兵どもが夢の跡。。。 —
風呂にも浸かってすっきりした所で、時間もだいぶいい感じになってきたので、あとはまっすぐ姫路の手柄山公園へ向かいたいと思います。
途中渋滞に阻まれたりしつつ、どうにか16時過ぎに到着。
手柄山には、かつて姫路駅からモノレールが走っていました。
手柄山で開催された姫路博覧会へのアクセス手段として開業したのですが、博覧会終了以降の運用を十分検討しなかったため収支が悪化し、開業からわずか8年後の1974年に休止となり、また1979年には正式に廃止となってしまった悲運のモノレールです。
悲運のモノレールと言えば横浜ドリームランドへのアクセス鉄道として開通したドリーム交通モノレール大船線もかなり悲惨な運命をたどった路線ですが、それはさておき。
詳細はリンク先を参照してもらうとして、日本では珍しい方式(ロッキード式)を採用して開業したモノレールだったうえ、そのロッキード社がモノレール事業から撤退してしまい保守がままならなくなってしまったことも廃線を後押しする原因だったようです。
通常路線が廃止されると施設は撤去され、車両はよほど保存要望が強くない限り解体されてしまうのが殆どなのですが、このモノレールの車両はいつの日かの再開を夢見ていたのか、廃止から30年以上も手柄山に設けられた車庫の中で眠り続け、2000年代に入って公開する機運が高まったことから2011年に手柄山交流ステーションという名前で再び日の目を見ることになったといういきさつがあります。
さて、到着したのはいいものの、手柄山公園はかなり広い公園で、球場や体育館、水族館など多数の施設が密集していて、事前に余り調べずに来てしまった原付にとっては、どこを目指していけばよいのか分からず、ひとしきり難儀しました。
まぁ、陸上競技場や体育館には展示されていないだろうと思って、水族館と書かれた矢印に従って左折し坂を登って行くと一番頂上に駐車場がありました。そこに入場してから園内の地図を見て調べるつもりでいたのですが、場内の看板に"モノレール展示室"の表示を見つけ、目の前の建物(緑の相談窓口の手前の階段)が入り口と書かれていました。
お、直感冴えてる♪
それはさておき、展示場が正月休みという残念なオチが待っていないかという心配があったのですが、入り口に書かれた表記を見ると、なんと今日から営業開始と書かれていて、これまたラッキーな展開に。
早速入り口の扉を開けると、階段が下に続き、そこへ降りていくと、うす暗い役所の地下みたいな場所に出たのですが、そこから展示室への案内がすぐに見つからず、一瞬たじろいだのですが、少しウロウロしたら案内が見つかりました。
エレベータを降りると、視界の先に青と白とシルバーの3トーンのモノレールが停まっているのがみえました。
ここはモノレールのかつての終点、手柄山駅を改築して作られたもので、かつて運行されていた頃の様子を偲ぶ事が出来るようになっています。
ホームに当たる部分は展示スペースとなっていて、姫路博覧会の時の様子や、ジオラマ、解体された車両の部品の展示などがされています。
壁の広告も当時のものを再現しているそうです。
停車している車両のうち片方の車両は車内が公開されていたので乗り込んでみると、赤いモケットのクロスシートが並び、天井の空調噴出し口の作りなどもそうですが、全体的に昭和40年代テイストがあふれる作りです。
また車両の先頭部分では車外に設けられた液晶モニターで運転席からの展望ビデオを交えた開業当時の様子が放映されていて、あたかも車窓から景色を眺めているような展示がなされていました。
階段を下りて階下に下りると、ホームの裏側にある姫路市立水族館の入り口になっていて、係員から「入場券は?」 と聞かれましたが、その脇にいたもう一人の係員が、原付がカメラをぶら下げているのを見て、 「モノレールを写すんですか?」と聞いてきたので、「そうです」と答えると、「じゃ、いいですよ。」と立ち入りを許してくれました。
ということで、下から見たモノレール。
モノレールの軌道と車両をこの角度から見ることはなかなかない体験です。
コンクリートの上にレールが敷かれている様子が分かります。
車両がコンクリートの軌道を跨ぐような形式のモノレールを「跨座(こざ)式」といって、東京モノレールや多摩都市モノレールが有名ですが、どちらもゴムタイヤでコンクリートの軌道の上を直に走るのに対し、 「ロッキード式」は、上述の通りコンクリートの上にレールが敷かれていて、一般の鉄道のように鉄の車輪で走行します。
日本では余り採用例がない形式で、ここ姫路モノレール以外には東京の旧向ヶ丘遊園へ向かうモノレールで採用されているだけだそうです。
(この向ヶ丘遊園のモノレールも、長いこと比較的近いところに住んでいたのに廃止されるまで写真を撮りに行かなかったという、今となっては悔しい思い出の残る路線だったりするのですが。。。)
ひとしきり堪能して、再び外に出てきました。
入場する前から気が付いていたのですが、駐車場から見えた謎の庭園、というか建築物。。。
カミさんが散歩したいというので、少し歩いてみることに。
庭園に設けられたいくつかのミニチュアの城のような建物は、上部の展望台のような場所まで立ち入り可能でした。
この庭園もどうやら姫路博覧会当時に造られたものらしく、そう考えると建てられて45年以上経つ訳ですが、思いのほかそれぞれがしっかり手入れされていて、危険な場所も少なく、小さい子供たちの格好の遊び場になりそうな雰囲気です。
塔の上に登ると、そもそも山の上に位置するおかげでかなり展望が開けて結構爽快なものです。
時折新幹線が通過していきますが、防護壁に阻まれて余りいい構図は得られませんでした。
一方姫新線のキハ127系がやってきたので撮影してみたらそれなりに写せました。
こっちの写真は車両に架線がかかってあまり良い出来ではありませんが、背後に姫路モノレールのレールの残骸が見えました。
いくつかの塔の上に登ってあちこち眺めていたら17時を過ぎてしまい、そろそろ閉館時間に近い様だったので、ぼちぼち撤収することに。
帰りがけに見たモニュメント。
これは「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」というもので、太平洋戦争時に空襲を受けた日本全国の自治体が建てた慰霊碑だそうです。
さて、ここから先は完全に帰るコースです。
明日も時間が遅くなれば中央道も東名道も激しい渋滞に見舞われます。
なるべく早い時間に抜けるために色々戦略を練ることにしました。
まずは、給油がてら晩御飯の調達を。
市内の道路が地味に渋滞を始め、郊外へ向けて暫く走って見つけたマックスバリュで晩御飯のおかず等々を調達。
それから高速に入って、三木サービスエリアで夕食と仮眠タイム。
22時過ぎまで仮眠してから、道路情報を見たらまだ西宮の辺りが渋滞していると表示されていました。
そこで、若干遠回りになるものの阪神高速へ出て名神を経由して抜けるコースに変更しました。
果たして阪神高速は、走る車もまばらな状態で、いたって快適です。
京都からは京滋バイパスを経由して大津SAまで行ったところで小休止。