埼玉の地味な名所ツアー - 2(2012/04/15)
— なぜここに。。。 —
お墓へ向かう途中、道すがらにある「聖天宮(せいてんきゅう)」という一部の人には結構知られているお寺に少し寄り道してみることにしました。
東武東上線の若葉駅から真っ直ぐ伸びる道を、駅前から続く若葉台団地もその先に建ち並ぶ富士見工業団地も抜けて進むと、やがて田畑の広がるエリアに入り、まもなく道路の左手に黄色い瓦に派手な装飾が施されたかなり場違いな建物が見えてきます。
この寺が聖天宮で、その昔不治の病を患った台湾の法師様が三清道祖に祈願したところ、奇跡的に回復を果たしたことから、他の人もこのご利益に預かれるよう寺院を建てることにしたのですが、その土地を探していたところ、当地に建てるべしとのお告げがあり、以来、15年の歳月をかけて建てたものだそうです。
しかし、いくらお告げが有ったからとはいえ、縁もゆかりもない土地に15年もの間一貫して建築を続けてよく心が折れなかったなぁ、と変な感心をしてしまいます。
そして、神様がなぜこんな地味な街をその場所に選んだのか、非常に興味深いものです。
というか、原付は小さい頃から日々建物が形作られていく様子を見ながら育ったわけですが、今のようにネットもなく海外の情報が余り入ってこなかった当時、敷地に立ち入れないよう厳重に囲いで覆われたその異様な光景に、もっぱら地元の子供たちの間では 「怪しい宗教の人たちがやっている」とか、 「中国人の寺だから怖い」 とか、変な噂が立って、ある種迷惑物件のように扱っていたものです。
当時は富士見工業団地を抜けると川越方面と勝呂方面へ分かれる交差点は突き当たりのT字路で、まだ聖天宮方向への道がなく、周囲が雑木林や畑が広がっているような場所だったことも、怪しさが増して見えた理由かも知れません。
親からも「あそこには余り近づくな」と言われていたのを覚えています。
もちろん、道教は怪しい宗教ではなく、中国人ではなく台湾人なので、典型的なデマを信じ込んでいた訳ですが。
上述の通り、情報の少なかった当時はまだアジア圏の文化に対する理解が無く、ど派手な装飾と色使いの建物に脅威というか違和感のような物を感じたものですが、多少なりとも異国文化の知識を得た今の視点で改めて見てみると、個人の力で良くここまでやったものだと感心してしまいます。
しかも、今となっては坂戸市にとって貴重な観光スポット。
あと数十年したら、観光客が引きも切らさぬ観光地になっているかもしれませんね。
それはさておき、この寺は8年ほど前にも一度来ているのですが、その時は余りまじめに見学しなかったので記憶が曖昧で、この機会に再び見学しようと思ったものです。
広い駐車場に車を停めると、既に何組か先客が居るようでした。
門のところで拝観料300円を支払い中に入ります。
天門をくぐると前庭が広がり、前殿がそびえています。
前庭の石畳が広さを強調してなかなか絵になる構図です。
畑の真ん中に作られているだけに、辺りに視界を遮るものは一切なく、一瞬台湾にワープしたのかと思うほど世界観に引き込まれてしまいます。
この広場では、テレビドラマの西遊記の収録も行われたそうです。
前殿の両脇にある入り口から中に入ると、前殿の中はガラス張りの空間となっていて、ここからお祈りを捧げられるようになっています。
ここでお祈りして願いが叶った時には、そのお礼として油(だったかな?)を奉納するというしきたりがあって、前に来た時は業務用サラダ油の巨大なボトルが所狭しと置かれていたのですが、今回は綺麗に片付けられていました。
前殿を抜けると中庭が広がり、その一番奥に本殿が控えています。
数人の先客が、係員の説明に耳を傾けていました。
係員が一通り話し終わると、先客はお礼を言って寺を後にしていました。
それで、誰もいなくなったので本殿の方に行って見たら、さっきの係員が声をかけてきました。
係員いわく、
- ここは台湾の神社(寺ではなくて神社と言っていました)である。
- 台湾の神社は日本ではここと、横浜と長崎にしかない。
- 黄色い瓦は、神様の建物にしか使ってはならない。
- 本殿の天井にあるドームは一つ一つ手作りした物で釘を使わず組み合わせている。
- 螺旋を描きながら組み合わせるのはとても難しく、高度な技術が必要。
- 前殿の鐘楼・鼓楼は鐘が陽、鼓が陰を表していて、陽が太陽の昇る東側、陰が太陽が沈む西側になっている。
- 鐘楼も登れるので見に行って欲しい。
- 写真撮影はOKだけど本殿の撮影は控えてほしい。
などなど。
本殿の前に立つ柱や九龍網と呼ばれる彫刻などは、一枚の岩を削って作られています。
その装飾一つ一つが物凄く凝った作りで、色々下世話なことを考えたりしましたが、それは自分の心の中に留めておくことにします。。。
折角なので、鐘楼へも上がってみることにしました。
人がやっと一人通れる位の狭い階段を登ると鐘楼のある空間に出ます。
そこからデッキに出てみると、周囲に高い建物は殆ど無く、見渡す限りのどかな田園風景が広がります。
背後側に回ると原付が通っていた中学校が見えます。
鐘楼は前殿の両側にあり、こちら側(東側)は「陽鐘」という鐘が吊り下げられており、また反対側は「陰鼓」という太鼓が吊り下げられています。
どちらも毎日15時に打ち鳴らされると書かれていました。
鐘楼からは、特徴的な装飾の屋根瓦を間近に見ることができ、異常とも思えるほどの繊細な装飾が施されているのが手に取るように分かります。