— 巨大内陸地震の爪跡 —
根尾谷断層は明治24(1891) 年に発生した濃尾地震によって生じた断層です。
濃尾地震はマグニチュード8.0と推定され、国内においては最大級の内陸型地震とされています。
ちなみに過去の旅日記で記載した岩手宮城内陸地震のマグニチュードは7.2。
マグニチュードは0.2違うとおよそ2倍の規模を、1違うとおよそ32倍の規模を示します。
数字で言うと0.8の差なので大した違いではないように感じますが、当てはめて考えると0.8という差はおよそ16倍もの違いがあります。
ちなみに3.11はご存知の通りマグニチュード9.0。
陸地から遠いところで発生しているのにも関わらず、東日本各地であれだけの激しい揺れをもたらしているので、その30分の1の規模とは言え足元直下で発生した揺れは相当に激烈なものであったと推測されます。
ナビの案内に従って水鳥駅に到着。
折角来たので、念のため近いうちにやってくる列車がないか調べたところ、次の列車は30分以上後だったので、予定通り先に断層の見学をすることにしました。
水鳥駅を出て南下するとすぐに築堤のような場所を掘割のようにして下り、通り過ぎると駐車場が設けられていました。
この築堤と表現した場所こそ、濃尾地震で生じた根尾谷断層の露頭部分です。
ぱっと見、川の土手のようにも見えますが、これが断層そのもので、高さは6mにもなるそうです。
草が生い茂ってぱっと見、地震によって出来た断層には見えないのですが、100年以上も前の地震ならそれは仕方の無いことです。
ここから少し奥に入った場所からここを通って、延々85kmに亘って断層がずれているそうで、そこだけ聞いても如何に巨大な地震だったかが分かります。
しかも、それが6m(場所によりますが)。
これほどの高さの断層が地表に現れるのは珍しく、かの阪神淡路大震災で淡路島に生じた野島断層ですらその高さは数十センチから1m程度だったことを考えるとその巨大さが分かります。 。。
その断層を目で追っていくと、さっき通ってきた道があり、その先に建物が建っています。
この建物は「根尾谷断層観察館」 といって、地震のあらましの展示や断層の露頭の保存展示などを行っている施設です。
そちらも見てみようと、建物まで来ると、入館料は500円とのこと。
カミさんは地震には興味がないとのことだったので、原付が一人で入ることになりました。
入口で入館料を払うと、まず最初に地震の洗礼を受けます。
とはいっても、それは音響だけで、やや肩透かしな感じです。。。
原付はいつ揺れが始まるのだろうと1分ほど中でとどまってしまいました。
ゴールデンウィークといえど、ここまで来るとその影響は殆ど無いようで館内は客もまばらな状態です。
まぁ、その分じっくりと見学が出来て原付的にはラッキーなのですが。
通路を抜けると、濃尾地震に関する展示室になっていて、実際の地震のように動いて断層が形成される様子を模したジオラマが展示されており、見ていて飽きません。
奥に進んでいくと地震の体験室なる施設があり、興味を惹かれたのですが、別途入場料が必要になるということと、実演が一時間に一度で次の実演までまだ30分以上あり、それを待っていたら外にいるカミさんが待ちくたびれてしまうと思われたので、今回はパス。
説明を読むと、ドラマ仕立てのストーリーの中で座席が揺れたりして臨場感あふれる体験が出来るようなことが書かれていましたが、その揺れは震度4から5程度とのことで、わざわざ見ていくほどでもないのかな、と思ったのもあるのですが。
震度5強は昨年体験したので。。。
実際の濃尾地震と同じ揺れを体験できるのであれば、是が非でも参加したところですが。。。
その奥には地震の露頭を保存した建物があります。
こうやって見ると、ほぼ垂直に走る断層の様子が良く分かります。
底の部分に近い白い表記の場所から、ずれの反対側の上の方に見える白い表示の場所まで一度の地震でずれてしまったことを表しています。
この露頭は、外の露頭を見ても分かるとおり縦方向のずれが6mも有るのですが、実は横方向のずれの方がもっと大きく実に7mもずれているのだそうです。
横ずれの断層は土地利用の上で余り影響がないせいか、過去の地震の痕跡が現在も残っている場所は少ないのですが、ここ根尾谷には今でもそのずれの痕跡が残る場所があるとのことです。
そう言う場所があることは事前の調査で知っていたのですが、場所が分からなかったので、館内に何か資料がないか探していたら丁度地図がありました。
それによると、思いのほか現在でも観察できる場所が点在しているようなのですが、今回は特に天然記念物に指定されているという横ずれの断層を見に行くことにしました。
場所は樽見駅の更に先の「中」という集落に有るそうです。
早速行ってみようと外に出ると、少し離れた所にカミさんの姿が。
おまたせ、と言って合流し、何をして時間をつぶしていたのか聞くと、前の道を散歩したり、花の蜜を吸うミツバチを見たりして時間を潰していたとのこと。
そんな、危険極まりない。。。
原付が別の場所へ行くと言うと若干少しうんざりしたような表情をされました。。。
ま、明日はカミさんの見たいところをじっくり回るから今日は勘弁して、となだめて出発。
ということで観察館から10分程度走ると道路わきに唐突に、「根尾谷横ずれ断層はここです」と書かれた小さな看板が掲げられた場所がありました。
水鳥駅付近の断層は小藤文次郎という学者が地震後に断層を撮影して論文に掲載したという有名な写真(上の写真)があって古くから知られており、早い段階で国の天然記念物に指定されていたのですが、その横ずれ断層もその重要性が認識されて、近年になって天然記念物に指定されました。
そのせいか看板等の整備が遅れているようで、注意して見ていないと通り過ぎてしまうほど控えめな看板です。
車を道路わきに止めて降りた時に、丁度後ろから地元のおばあさんが網を担いで歩いてきました。
こんにちは、と挨拶すると、
「その車のところを通りたいから車を少し動かしてくんない?」
といわれ、少しぎょっとして車の方を振り返ると、気付かずにあぜ道への道を塞ぐように停めてしまっていたようで、すみません、といって少し車をずらしました。
これが横ずれ断層の痕跡です。
なんと言うか、縦ずれ断層に比べて見た目のインパクトは小さいというか、説明がないとなんだか分からない感じですが、この生垣は本来敷地を隔てる境界線として真っ直ぐに植えられていたもので、地震によって生じた横ずれ断層によってそれが途中で引きちぎられてしまったものです。
上の写真に解説を入れると、
こんな感じで、およそ5~6mずれてしまっている様子が分かります。
上述の通り横にずれた断層と言うのはやがてその痕跡が失われていってしまうものですが、ここでは地震によってずれた敷地をずれたままで境界として生かし続けてきたことで、結果として現在までここに断層ががあったことが明らかになっているという貴重さが認められて天然記念物に指定された訳です。
よく見ると畑へと降りていく道も生垣と平行に不自然にカーブしていて、ここも恐らく同様にずれた痕跡かもしれません。
考えて見れば、ずれたままでは耕作地がひしゃげてしまって色々不都合も出ると思われ、普通に考えれば敷地を改めて真っ直ぐに切り直した方が合理的なように思います。
どのような事情があったのか、このまま残す事にした当時の人たちの判断は実に非合理的なようにも感じられますが、100年を経た現在においてはそれが価値として認められるわけですから、世の中何があるか分かりません。
写真を何枚か写していると、さっきのおばあさんが戻ってきて、
「断層を見にきたん?そこの建物の裏にももっと分かりやすい場所があるでな、そっちも見ていったら?でも畑には入らんでな。敷地の人に怒られるで。」
といいます。
「この時期は猿が良く出るもんだで、こうやって網かぶせておかんと食われちゃうからね。まぁ、子猿がかぼちゃをかかえて逃げて行くのを見とったらかわいいもんだけどね(笑)」
「このあたりには学者さんが良くいらっしゃるよ。山奥にもっと凄いところがあるらしくて、大体そっちへ行かれてしまうけどね。」
とそういって畑へ去っていきました。
折角なのでおばあさんおすすめの場所も見てみることにしました。
目で見ると良く分かったのですが、写真では木々が生い茂って見づらいですね。。。
手前の枯れ枝のような色合いの生垣と、その奥に見える同じ色合いの生垣のズレが分かります。
確かに上で解説した生垣よりも大きくずれています。
さて、大地のパワーをじっくりと見学したところでもう一箇所、今日のうちに回っておきたい場所が有るので、ぼちぼち撤収。
一旦樽見駅にも立ち寄りましたが、次の列車は1時間半ほども後だったので、そのまま先に進むことに。
ちなみに、この道をそのまま更に上流方向に進んでいくと、酷道として名高い温見(ぬくみ)峠があります。
温見峠へ抜ける途中には路上河川なるものが存在し、冒険心をくすぐられるのですが、 今回はコースから外れるので行きません。