道南散歩【9】(2013/08/15)
食後は午後の時間を使って有珠山周辺をもうひと散策。。。
今朝の段階ではフットパスのコースの一つである「昭和新山と有珠山山頂を巡るコース」を散策するつもりだった。このコースは麓から有珠山山頂まで登山するコースで、雄大な有珠山カルデラと洞爺湖や噴火湾を一望できる山登りは、来週に控えている富士登山への足慣らしに最適だろうと思っていたのだが、午前中歩きっぱなしで流石にバテてしまい、流石にここからもう一回山登りをする気にはなれなかった。
とはいえ、有珠山は前回もスルーしてしまったので、折角だから今回はちゃんと見ておきたい。そこで予定を変更し、ロープウェイで有珠山の山頂へ行って見ることにした。
湖畔の道路を走っていると、湖岸の至るところにテントが建ち並んでいる。水辺で遊んだり、バーベキューを囲ったりとめいめい優雅なリゾートを楽しんでいてイイ雰囲気。いつか再び来ることがあったら、自分らもここにテントを張ってみたいなと思った。
道すがら、1977年の噴火の際に被害にあった病院(三恵病院)の遺構に立ち寄り。
病院の遺構は集落の裏手の道を少し登ったところにあるが、大きな看板等が出ていないので経路が若干分かりづらい。
車を停めるとあっという間にアブに集られる。。。よけながら車を降りて、フェンス越しに遺構を散策。
1977年の噴火は山頂からの噴火だったが、地中をせりあがってきたマグマによってこの辺りの地盤が押し出されるように隆起し、結果生じた断層によって建物がゆがんで壊れてしまったそうだ。
当時の院長と町長が協議して、噴火の予兆があったら、入院患者を対岸の仲洞爺小学校へ避難させる段取りを決めていた。
1977年8月、前兆現象が観測される。
その一報を受けて、職員は段取りに従って患者を避難させる準備に取り掛かる。ところが、いつもなら前兆から数日後に噴火するはずの有珠山がこのときはわずか32時間で噴火を始めてしまったため、準備が済んでいない中での避難を余儀なくされた。
その時病院には230名の入院患者がいたそうだ。段取りが全く意味をなさない緊急事態の中、彼らをどのように避難させたか。なんと徒歩での避難である。まずは避難場所となる仲洞爺小学校へ向け患者を歩かせ、順次用意できた車両で避難中の患者を拾ってはピストン輸送するという荒業でこの難局を切り抜けたという。
結果、建物はこの状態である。避難にてこずっていたら少なからず人的な被害も出たはずだ。
入院するほどの患者だから殆どはロクに歩けないんじゃないかという気もしなくもないが、火事場の馬鹿力とでもいうのか、少しでも火口から離れたい一心で皆歩いたそうだ。
三恵病院の見学が済んだら、ロープウェイの駐車場へ移動。車を置いて窓口でチケットを購入。
駐車場の背後に昭和新山の荒々しい山肌が間近に迫る。手前が芝生になっているので、絵画的で穏やかさすら感じてしまうが、未だ地熱が高く、そこまでフレンドリーになるつもりはないらしい。
ただ、表面温度は徐々に低下していて、その影響で山体も徐々に小さくなっているらしい。
昭和新山もそうだが、この地域の火山は活発な造山活動が特徴で、噴火のたびに周辺に新しく山を作っている。ある意味威力がほどほどなので、吹き飛ばずにもりもりと盛り上がるような活動を示すのだろう。
ロープウェイに乗り込むと乗客は7割ほど。このロープウェイは山頂のすぐ手前まで5分ほどで結んでいる。
山頂駅を降りるとすぐに展望台になっている。さっき見上げていた昭和新山も今は見下ろす位置に見える。
駅を降りてすぐのところで写真撮影のサービスをやっている人がいて、定期券サイズの写真なら無料で渡すので一枚いかがですか?と声をかけられた。少し思案したが、せっかくだし撮ってもらおうか、ということで二人並んで昭和新山をバックにパチリ。
出来上がった写真を見たら、なんか妙に写真映りが良かったので、結局一枚買ってしまった。1000円。。。
山頂の遊歩道を歩いて銀沼大火口へ。円形に配された遊歩道をぐるりと回れば景色を堪能しつつ10分程度で駅まで戻って来れるようになっているが、このコースは有珠山の遠景を眺めることしかできない。
冒頭でも書いたが、当初、麓から山を登ってここへ出てくるルートを歩くつもりだった。体力的、時間的に勘案して登山は諦めたが、折角ここまで来たのだから有珠山の山頂火口の様子はしっかりと見ておきたい。
ということで、遊歩道の途中からカルデラの縁へ降りていく遊歩道の方に入る。登山を諦めたので、カルデラの縁を歩いて反対側にある展望台まで行ってみるつもりだったのだが。。。
まず現れるのがカルデラの底まで延々と続いているかのような階段である。そういえば下調べの時に、登山道に600段の階段があって唯一の難所、と書かれていたことを思い出した。これがそれか。フットパス散策と登山で疲労も最高潮の時に600段の階段上りとか、拷問でしかないw登山は諦めておいて正解だったかも。。。
暫く階段を下り続けると、遊歩道が左に折れ曲がるところに看板が出ていた。ようやくカルデラの縁にたどり着いたようだ。
ここから、銀沼大火口と大有珠、有珠新山、小有珠が見渡せる。
が、写真のとおり階段はカルデラの底を目指して更に下っていく。てっきり、ここから先はカルデラの縁を歩いて進むものだと思っていたが、写真中央右側にカルデラ斜面を下る歩道が見えているとおり、一旦カルデラの底をタッチしてから再び縁に上がるという、意味の分からないコースになっていた。だから600段もあるのか。。。
いや、そこは分岐でよくない?
この光景を見せられて、流石の我々も戦意を完全に喪失してしまった。仮にこのまま強行しても、反対側の展望台をタッチして戻ってくる間に日が暮れてしまいそうだ。。。
頂上の散策路は散策する人がそこそこいたが、こちらのエクストリームコースへと足を踏み入れる物好きは少なかった。足を踏み入れた数少ない物好きたちも殆どがこの延々と続く階段にウンザリして途中で戻って行ってしまうので、ここまで降りてきた人はさらに少ない。
まぁ、そうだよな、と思っていたら、カルデラを散策したと思しき親子が自分らの脇を必死の形相で大汗をかきながら登っていった。もうお腹いっぱいである。
ということでカルデラ見学はここまで。折角来たので、少し休憩してから戻ろう。
恒例のパノラマ写真を作ってみた。
画面中央右寄りの小さく煙が出ている場所の背後から盛り上がる山が、江戸時代の噴火で出来上がった小有珠。その煙から右手前方向に続く稜線が、これも江戸時代の噴火で作られたオガリ山。
77年噴火時にできた有珠新山はオガリ山の背後になるそうだ。また、大有珠もこの場所からだと背後に位置するため見えない。
この平原にはかつて金沼、銀沼、茶沼と呼ばれる火口湖が存在していたらしいが、77年噴火の際に全て姿を消して今では煙のあたりにある火口を銀沼火口と呼んでその名を残している。
20分ほど休憩し、さて戻ろうかと、目の前の急段を登り始めたらトカゲがこんにちわ。尻尾が茶色いので大人だね。
行きはよいよい、帰りはなんとか。。。休み休み展望台まで戻って息を整えてからロープウェイで下山。
駐車場のある場所には、昭和新山熊牧場があって、有名な登別のクマ牧場ほどではないものの、良心的な料金でクマを見ることが出来るということだったので、時間があれば立ち寄ろうと思っていたのだが、閉館まであと30分ほどしかなかったので、ここも見送りで。