瀬戸内周遊初日の出【24】(2014/01/03)
鞆の浦の散策を終え、午後は半日かけて岡山の鉄道散策をするつもりだ。
これまで岡山界隈は、気になる路線がいくつかあったものの、なかなか訪ねる機会に恵まれなかったエリアである。今日はそんな岡山の鉄路を訪ね歩くまたとないチャンス。
全く興味のないカミさんに頼みこんで、時間を作らせてもらった。
と言ってもJR線などの主要な路線は過去の旅行でもある程度カバーできているので、今日の狙いは鉄道経由でアプローチしづらいところにある鉄道、すなわち、ローカル私鉄や、既に廃止になった路線の保存車両などをターゲットとするつもりだ。
なお、ここから先2ページほど、鉄道のことしか書かないので、興味ない方はその先に飛んでいただいて問題ない。
まず最初は、福山市北部の神辺(かんなべ)から、総社市の清音との間を結ぶ、井原(いばら)鉄道を見るために神辺駅へと向かう。
駅の時刻表を見ると、次の列車はまだ暫く先だったので、途中の井原駅まで先回りすることに。
が、井原駅にも思ったより早く到着してしまい、次の列車までまだ30分近くあった。
そこでもう一駅先まで行ってみることにし、次の早雲の里荏原駅を目指して車を走らせると、畑の中を一直線に線路が伸びている撮影しやすそうな場所を見つけたので、そこから狙ってみることに。
井原鉄道IRT355形
ということで、無事やってきた車両の写真が撮れた。まぁ、構図的には平凡そのものだが、普段駅のホームからの写真ばかりなので、こんな写真でも個人的にはいい写真であるw
続いて向かったのが、下津井電鉄の下津井駅跡。
その道すがら、水島臨海鉄道の水島駅を通りかかったので、ちょっと立ち寄り。
水島臨海鉄道MRT300形
丁度駅に列車が到着していたので、ここでも一枚。
ここでお昼なってしまったので、下津井に向かう前に昼食を取ることにした。カミさんと何を食べるか相談したところ、たまにはホカ弁みたいなのが食べたい、という話になり、探しながら道を流してみるもののそういう時に限って案外見つからない。
で、結局道すがらに見つけたスーパーのお弁当でお茶を濁すことに。。。
正月の旅行はこういうところが不自由だ。大抵のところは空いてていいんだけどね。
それから30分ほどで旧下津井駅に到着。ここはナローゲージの私鉄として有名だった下津井電鉄の終着駅の有った場所である。
ナローゲージというのは、線路の幅が一般的な路線(JR在来線など)の幅よりも狭い鉄道のことを指す言葉で、軽便鉄道とも称される。かつては全国津々浦々に路線があったが、こんにち残っている路線は3路線しかなく、絶滅危惧種である。
下津井電鉄もナローゲージ私鉄としては割と後期まで頑張っていたのだが、1991年1月にあえなく廃止となってしまった。当時、駆け出しの鉄道ファンだった自分もその存在は知っていたのだが、関東に住む身にとって岡山は遥か遠い地であり、学生の分際でおいそれと来れるような場所ではなかったので、結局未訪だった。
廃止後の1991年の5月になってようやく岡山広島方面の鉄道を撮り歩く機会に恵まれたのだが、その時も下津井電鉄を訪ねることはなかった。というのも、この鉄道は他の路線と接続していなかったので、アクセスが非常に悪く、鉄道で行こうと思うと立ち寄りに大幅に時間を取られてしまうからだった。
岡山や広島など、そうそう来れる場所ではないので、少しでもコレクションの数を増やすためにアクセスが容易なところを中心に狙わざるを得なかったのだ。
廃止後、車両は下津井駅に集められて放置され、荒れるに任せた状態だったが、それを見かねた有志により2002年に下津井みなと電車保存会が設立され、こんにちに至るまで残された車両の保存・展示活動を行っている。
とはいえ、多分今日は中に入って見学することは出来なさそうだ。車を停めて敷地の周囲を歩いてみたが、人の気配はなく、また、敷地内への立ち入りも出来なさそうだったので、外から撮影させてもらうことに。
まず最初が、井笠鉄道の廃止後に下津井電鉄にやってきたホジ3。
その背後に停められてたのがクハ5。
車両の前面に取り付けられた荷台がクラシカルである。
少しでも雨風をしのぐためか、いくつかの車両は「温室」と呼ばれる建物の中に保管されている。
もっとも、写真の通り温室の屋根はすでにあらかた吹き飛んでしまっていて、野ざらしと大差ない状態だが。。。
温室跡に止められている列車は、まず写真のモハ1001。
かつては「赤いクレパス」号と名付けられ、落書きOKという斬新な車両だったが、今は消されて昔の塗装に戻っている。
反対側にはモハ103+クハ24のコンビ。
現役当時は一時期「フジカラー」号と名づけられ、フジカラーのフィルムの箱と同じ色に塗られていた車両であるが、こちらも今ではオリジナルカラーに戻されている。
そして最後がファンの間で悲運の電車として知られている「メリーベル号」の愛称をもつモハ2001+サハ2201+クハ2101の3両。
利用客の減少に悩む下津井電鉄が、世紀の大プロジェクトである瀬戸大橋が沿線最寄りを通過することから、橋の開通に先駆けて観光鉄道にその活路を求め、社運をかけて世に送り出した新製車両だ。当時の経営状態で新製車両を調達するというのは、それこそ大バクチだったわけだが、その後どうなったかは言うまでもない。
前述の通り、廃止前の下津井電鉄の路線は、他の鉄道と一切接続がなかった。JR児島駅から少し離れたところに児島駅があったが、乗り換えが不便なうえ、沿線にこれといった観光地もない路線にわざわざ足を運ぶ観光客は限られ、同社の経営を立て直す救世主とはならなかった。
当時は現代のようにレア物を愛でる文化やそれを広めるツールが揃っていなかったので、鄙びた路線を楽しむような人はそれこそレア物扱いされ、嘲笑の対象ですらあったように思う。
時代が悪かった、としか言いようないが、これほどレアな鉄道は他にない訳で、もしこんにちまで生き残っていたら、本当の観光鉄道として大人気になっていたのだろうな、と思うと非常に惜しく感じる。
メリーベル号はデビュー後わずか3年で路線廃止の憂き目に遭い、ほとんど活躍することができなかった。
わずか3年しか使われていない車両なので、普通であれば中古車両として引き取りに手を挙げる鉄道会社もあるのだろうが、写真のとおり、設計が汎用的でない観光車両であったことや、なにより線路の幅が合わないため他の路線への融通が利かないという致命的な不運により、引き取り手は現れなかった。
鉄道車両のウルトラC改造で知られる京王重機が当時から事業を手がけていたら、魔改造のうえ案外、銚子電鉄辺りで走っていたかもしれないが、そういったミラクルも起こらず、今もここで静かな時を過ごしている。
敷地外からの撮影なので、細かいディティールを間近に見れないもどかしさがあったが、そこは仕方なし。二十数年を経て車両の姿が見れただけでも御の字である。
保存会が活動していれば敷地内に入ることもできるそうなので、いずれそういうタイミングに合わせて見に来れればと思う。
さて、鉄道に興味のないカミさんがこの間何をしていたかというと、車中の掃除であった。撮影を済ませて戻ってきたら車の中がすっきりしていた。誠にありがたい。
ちなみにこの下津井駅は駅の目の前が海である。その先には件の瀬戸大橋がゆったりと島々をまたいでいる。
今までどこにもなかったような現実離れしたものが地元にできるというのだから、そりゃ観光客も沢山来て、お金を落としてくれる明るい未来を想像しちゃうよな。
後でまた触れるが、瀬戸大橋自体も、交通量が想定を下回っているそうだ。
そう考えると罪深いものがある。。。
次はおとなり、玉野市へと向かう。